フランスとドイツ、移民をめぐる不安と葛藤と欲望
――『隠された記憶』と『愛より強く』をめぐって


隠された記憶/Cache/Hidden――――――― 2005年/フランス=オーストリア=ドイツ・イタリア/カラー/119分/ヴィスタ/ドルビーデジタル・DTS
愛より強く/Gegen die Wand/Head-On―― 2004年/ドイツ/カラー/121分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「Cut」2006年5月号 映画の境界線57)

 

 

 ミヒャエル・ハネケの新作『隠された記憶』は、物語を追うだけなら、典型的なスリラーのように見える。テレビの書評番組で人気のキャスター、ジョルジュは、編集者の妻アンと一人息子のピエロとともに、パリ郊外で何不自由ない生活を送っている。ところが、そんな彼のもとに謎のビデオテープが届くようになる。

 その中身は、最初は彼の自宅の光景だったが、やがて彼の実家など、少年時代と結びつく光景へと変化していく。そして、ジョルジュのなかに、マジッドというアルジェリア人の少年と共有した時間の記憶が、不安とともに甦ってくる。

 かつて彼らの間に何があったのか。ビデオの送り主は一体誰なのか。そんなスリラーとしての見所は、物語が展開していくに従って必ずしも重要ではなくなっていく。この映画を観ながら筆者が思い出すのは、フランスで活動するモロッコ出身の作家タハール・ベン・ジェルーンが書いた『歓迎されない人々』のことだ。

 フランスに生きるマグレブ人を題材にしたこのノンフィクションでは、植民地主義やマグレブ移民に対するフランス社会の姿勢やフランス人の心理なども鋭く掘り下げられ、もしかしたらハネケはこれを参考にしたのではないかと思えるほど、深い繋がりを感じさせるのだ。

 たとえば本書では、以下のような表現で“忘却”が問題にされる。「フランスが消し去りたいと願っている思い出があるのだ。いくつかの価値がその特性と輝きを失うという犠牲を払っても、敢えて人々は忘却を培う」「忘却は過てる助言者だ。それが歴史のなかに腰を下ろすと、歴史を改竄し歪曲する」。そして、そんな忘却の象徴が、1961年に起こった悲劇だ。

 当時、マグレブ人に対する夜間外出禁止令に抗議するために、民族解放戦線(FLN)のフランス連盟が組織したデモは、当局の激しい弾圧に遭い、多くの死傷者が出た。だが、それから20年後、「リベラシオン」のジャーナリストが、その迫害と殺戮を人々の記憶に甦らせようとしたとき、同世代のジャーナリストはほとんどが信じなかったという。『隠された記憶』のマジッド少年は、この悲劇で両親を失い、ジョルジュの家に預けられた。しかし、現在のジョルジュのなかで、その記憶は完全に消し去られていた。

 ハネケは、そんな忘却を編集に置き換えてみせる。この映画には、書評番組の編集作業を進める場面が盛り込まれている。その番組のセットは、ジョルジュの家の居間と非常によく似ている。彼の人生もまた巧妙に編集されているのだ。一方、彼に送りつけられるビデオの映像には、カットもなく、その時間の流れは、彼にとってある種の脅威となる。

 そこでジョルジュがとる行動もまた、『歓迎されない人々』を思い出させる。本書には、以下のような記述もある。「そこで社会は、直接の攻撃を受けていないにもかかわらず、自己防衛に出る」「この態度は批判に先立って攻撃態勢をとりながら正当防衛を主張するものだが、深刻な不安の印なのである」。マジッドと再会したジョルジュは、具体的な証拠もないのに彼を脅迫し、過去の記憶を再び抹消しようとする。しかし、息子の姿が見えなくなると、歴史には目を背けたまま、彼を自分の世界に引き出そうとする。

 この映画でハネケが見つめているのは、フランス人に限らない。『ピアニスト』におけるクラシック音楽がヨーロッパの伝統的な社会を象徴していたように、この映画でも、ヨーロッパ人、あるいはオリエンタリズムという幻想に深く囚われた人々の心理を抉り出しているのだ。

 一方、トルコ系ドイツ人の監督ファティ・アキンの『愛より強く』では、ハンブルクとイスタンブールを舞台に、トルコ人移民の複雑な心理が、対照的な立場にある男女の関係を通して、実に鮮やかに描き出される。ともにトルコ系である40歳のジャイトと23歳のシベルは、精神科クリニックで出会う。二人はそれぞれに移民二世の苦悩を背負っている。


 

―隠された記憶―

 Cache
(2005) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ミヒャエル・ハネケ
Michael Haneke
撮影監督 クリスチャン・ベルジェ
Christian Berger
編集 ミヒャエル・フデチェク、ナディーヌ・ミューズ
Michael Hudecek, Nadine Muse
音響 ジャン=ポール・ミュジェル
Jean-Paul Mugel

◆キャスト◆

ジョルジュ・ローラン   ダニエル・オートゥイユ
Daniel Auteuil
アン・ローラン ジュリエット・ビノシュ
Juliette Binoche
マジッド モーリス・ベニシュー
Maurice Benichou
ジョルジュの母 アニー・ジラルド
Annie Girardot
編集長 ベルナール・ル・コク
Bernard Le Coq
マジッドの息子 ワリード・アフキール
Walid Afkir
ピエロ・ローラン レスター・マケドンスキー
Lester Makedonsky
(配給:ムービーアイ
+タキ・コーポレーション)
 
 
 

―愛より強く―

 Gegen die Wand
(2004) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ファティ・アキン
Fatih Akin
撮影 ライナー・クラウスマン
Rainer Klausmann
編集 アンドリュー・バード
Andrew Bird
音楽コンサルタント クラウス・メック
Klaus Maeck

◆キャスト◆

ジャイト・トムルク   ビロル・ユーネル
Birol Unel
シベル・グネル シベル・ケキリ
Sibel Kekilli
マレン カトリン・シュトリーベック
Catrin Striebeck
セレフ グーヴェン・キラック
Guven Kirag
ゼルマ(シベルの姉) メルテム・クンブル
Meltem Cumbul
(配給:エレファント・ピクチャー)
 

 破滅的な空気を漂わせるジャイトの過去は定かではないが、彼が自殺未遂を起こす理由は察せられる。彼は、文化の媒介者でもあったドイツ人の妻を亡くしたことで、帰属意識や居場所を失っている。シベルは、保守的な家族から逃れるために、自殺未遂を装って一時的にクリニックに紛れ込むが、確実に家を出るためには結婚するしかない。そんな彼女は、ジャイトがただトルコ系というだけで、形だけの結婚の話を持ちかける。

 このシベルの立場については、フランスとドイツという違いはあるものの、やはり『歓迎されない人々』が参考になる。マグレブの親たちは、新たな環境に現実的に対応するよりも、すでに出来上がっている答えを選択し、「イスラム教と母国のしきたりに対する彼らの愛着をことさらに強調した」。そして、「このような状況では、心中に荒々しい力と変化への激烈な意欲を最も強く抱いているのは娘ということになる」。シベルの親兄弟も、単に保守的なのではなく、家族の名誉の象徴という建前のもとに娘を徹底的に抑圧し、スケープゴートにしている。形だけの結婚をした彼女がフリーセックスにのめり込むのは、まさにその反動なのだ。

 ジェルーンは、マグレブの親たちの選択について、「何かの傷や恐怖を抱かせる問題を覆うのに使われるヴェールのようなものに思われてくる」とも書いている。その心理は、シベルの親兄弟だけではなく、ジャイトやシベルにも当てはめることができる。ジャイトは、トルコ人の名前に興味を持つ医師から、名前の意味を尋ねられても口を閉ざす。彼はいつもドイツ語を使い、トルコ語は風化しつつある。そして、酒とパンクに救いを求める。シベルは、家庭や未来から目を背けるように、セックスとドラッグにのめり込む。

 この映画に描かれるのは、単純な文化の衝突ではない。ジャイトとシベルは、もっと複雑な文化の歪みに翻弄され、自分を見失っている。二人の前に立ちはだかるのは、死を覚悟しなければ乗り越えられないような壁であり、彼らの愛とは、生まれ変わるための儀式でもあるのだ。

《参照/引用文献》
『歓迎されない人々 フランスのアラブ人』タハール・ベン・ジェルーン●
高橋治男・相磯佳正訳(晶文社、1994年)

(upload:2007/12/04)
 
 
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