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2冊の本から浮かび上がるこうした現実を踏まえてみると、先述した2本の映画をインディアンの人々がどのように見るのか、興味深く思えてくることだろう。筆者は、ネットで彼らの意見を聞くために、今回はAOL(アメリカ・オンライン)とMSN(マイクロソフト・ネットワーク)というふたつのオンライン・サービスを利用した。
AOLとMSNは、インディアンのウェブ・コミュニティが充実しているからだ。AOLのインディアンのメッセージ・ボードは、小説、音楽、映画から家庭内暴力、生活、料理、ゲイまで45のトピックに分類されている。MSNにも様々なトピックで分けられた17のニューズグループがあるのだ(※筆者は現在、
このふたつのオンライン・サービスを利用していないので、いまもあるかどうかは不明である)。
筆者のメッセージに対するインディアンの人々の回答からは、いろいろな意味で複雑な立場にある彼らの感情や背景が見えてくる。
まず、『ネイティブ・ハート』については、好感を持つ意見が目立った。たとえば、ある若者は、シャイアン族が山奥で密かに生き続けていたという話が本当のことであったらという気持ちで、この映画をすでに5回も観たという。もうひとりは最初の若者に比べると客観的で、全体的にはいい映画だし、これを観ると、
学者が先住民の墓を掘りかえすよりも長老から話を聞いた方がより多くを学べるということがよくわかると書いていた。そして、これはさらにメールのやりとりをして分かったことだが、ふたりはともに混血で、最初の若者は、自分のルーツを証明する記録はないが、インディアン文化のなかにいると安心できるということだった。
次に、本人はインディアンではないが、インディアンのコミュニティに長く暮らし、彼らの勧めもあって現代のインディアンに関するドキュメントを製作しているゲイリー・ラインという映像作家からも意見をもらった。ちなみに彼はホームページThe Native American Relations Video Seriesを持っていて、ここで彼のドキュメンタリー作品の内容をチェックすることができる。
彼は「心の指紋」については、インディアンの聖域を扱っているところは評価できるが、その表現があまりに皮相的であるという。『ネイティブ・ハート』については(この映画でシャイアン族の若きリーダー、イエロー・ウルフに扮するスティーヴ・リーヴィスは彼の友人だそうだ)、
白人のふたりの主人公たちがクローズアップされすぎていて、隠れて生きるインディアンの生活がどんなものかという視点がほとんど見えてこないという。さらに、インディアンを扱う近年の映画は、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』にしても『ラスト・オブ・モヒカン』にしても判で押したように窮地を救う白人の活躍が描かれ、一種のターザン映画になっていると批判している。
それから、カナダに住む純血のインディアンだという大学生も映画に関するメールをくれたが、彼とのコミュニケーションではまったく別の意味で考えさせられた。彼は、キリスト教徒で、インディアンの宗教でも仏教でもイスラム教でもなく、キリストの言葉を信じる者だけが天国に迎え入れられるというのだ。
実は、先述のボードウィッチの本では、現代のインディアンの宗教にも触れられているが、インディアンの高校生を対象にした90年の調査によれば、彼らの70%がキリスト教徒で15%が無宗教で、伝統的な宗教に属すると思われるのはわずかに6%なのだ。
一方、小説『Indian Killer』については、やはり非常に現実的な意見が目立った。ある混血のインディアンは、著者アレクシーは現代社会に生きるインディアンの恐怖と怒りを描くことができる数少ない作家のひとりだという。それは、時として居留地ですら差別にあう混血の恐怖であり、川の漁獲権を主張した途端に、
隣人の白人たちがインディアンの人形を燃やしだす恐怖であり、カスターの亡霊が眠っているのはインディアンが沈黙しているときだけだという。また、白人は、まるで今が1830年代であるかのように、インディアンがバッファローか何かを殺すことを期待し、科学者やコンピュータのプログラマーであることがわかると落胆し、その現実も知らないのにインディアンになりたがると糾弾する。
さらにもうひとりの混血のインディアンは、アレクシーは彼らがロスト・バード・シンドローム≠ニ呼ぶ体験をリアルに描いているという。1890年に騎兵隊が無防備なラコタ・スー族を虐殺し、そのとき生き残った赤ん坊が白人に引き取られた。成長した彼女は、民族の絆を取り戻そうとしたがその希望も叶わないまま他界し、虐殺が行われた場所にある墓地に葬られた。
その彼女の名前がロスト・バードで、小説の主人公ジョンにその体験が投影されているというのだ。また、題名のインディアン・キラー≠ノついては、社会がジョンに対して行ったことを意味する、人を殺すのにはたくさんの方法があるのだと彼は言う。筆者もこの小説についてはまさにその通りであると思う。
彼らの言葉に耳を傾けると、現代のインディアンがそのアイデンティティをどこに求めるべきなのか、非常に難しい状況にあることがよくわかることだろう。
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