インディアンの人々の声に耳を傾ける
――『心の指紋』と『ネイティブ・ハート』をめぐって



心の指紋 / Sunchaser――――――――――- 1996年/アメリカ/カラー/123分/スコープサイズ
ネイティブ・ハート / Last of the Dogmen――― 1995年/アメリカ/カラー/118分/スコープサイズ
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(初出:「骰子/DICE」No.21、1997年9月、若干の加筆)

 

 

 マイケル・チミノの『心の指紋』とタブ・マーフィーの『ネイティブ・ハート』は、どちらもアメリカ・インディアンを題材にしている。この2本の映画を観て筆者が最初に考えたのは、インディアンの人々が2作品をどのように見るかということだった。

 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』や『ラスト・オブ・モヒカン』、『ジェロニモ』などを見ればわかるように、確かにアメリカ映画におけるインディアンのイメージは大きく変わりつつある。しかし、こうした作品が描くのは過去の物語であり、どれも歴史を見直すような視点が目立っている。これに対して『心の指紋』と『ネイティブ・ハート』では、 現代のインディアンと白人との関係が描かれ、内容にも共通する部分がある。

 『心の指紋』の主人公は、殺人罪で服役している混血のインディアンの若者ブルーと将来を約束されたエリート医師マイケル。末期癌を宣告されたブルーは、病が癒えるというインディアンの聖域に行く決意をし、マイケルを人質にとり、ロスからグランドキャニオンへと向かう旅が始まる。その旅のなかでふたりは激しく対立しつつも、次第に絆を作りあげ、マイケルはブルーに協力しようとする。

 『ネイティブ・ハート』の主人公は、モンタナ州オックスボウの山麓に暮らす賞金稼ぎのゲイツと、インディアンに憧れ、その文化や歴史を研究する女性教授リリアン。ゲイツは山奥で偶然、130年前に滅んだはずのシャイアン族の戦士らしき人影を目にする。そこて、彼らが山奥で密かに生き続けているという伝説の真偽を確かめるために、 インディアンの言葉が話せるリリアンを説得し、山奥に入っていく。そこには白人に知られることなく生き続けたシャイアン族の部落があり、ふたりはインディアンの世界に溶け込んでいく。

 筆者が、この2作品に対するインディアンの人々の意見に興味を持つのは、しばらく前に読んだ2冊の本とも繋がりがある。この2冊の本からは、映画とは異なるインディアンの現実が見えてくるからだ。

 1冊はジャーナリスト、ファーガス・M・ボードウィックが書いた『Killing the White Man's Indian』。少年時代に母親の仕事の関係で長い間インディアンの居留地に暮らした経験を持つ著者が、世紀末に向かって変貌するインディアン社会を展望するノンフィクションだ。

 著者はその前書きで、90年代のインディアンは、もはや19世紀の悲運の戦士ではなく、 政治的な駆け引きをし、アメリカのなかに新しいインディアンの世界を築こうとしていると書いている。彼らは、カジノやモーテル、レストラン経営に乗りだし、居留地を流れる川の漁獲権を主張したり豊富な地下資源の開発を計画し、大企業の工場の誘致を進めるなどして、白人社会に依存するのではなく積極的に独立をはかろうとしているというのだ。

 そうした変化は、インディアンがこれまで置かれてきた極めて厳しい状況を考えれば当然の成り行きともいえる。その一部を紹介すると、インディアンの世界では、犯罪や自殺で死亡する人々の数が、アメリカの平均の2倍、自動車事故による死者は3倍、肝硬変は5倍、アル中はインディアン全体の50%以上、失業率は80%以上、高校を中退する若者が55%ということになる。 さらに本書によると、皮肉なことに白人社会はいまだに差別とロマンが入り交じった神話のベールを通してインディアンを見ているばかりか、映画のインディアンのイメージが変貌したことから、インディアンになりたいという人々が増加しているという。

 もう1冊は、昨年末にアメリカで出版されて話題になったインディアンの作家シャーマン・アレクシーの新作『Indian Killer(邦題:インディアン・キラー)』。こちらは、ボードウィックのノンフィクションに描かれた現実を反映した小説ともいえる。リベラルな街シアトルに、人を殺してその頭の皮をはぐ連続殺人事件が起こり、 やがて犯人は"インディアン・キラー"と呼ばれるようになる。

 この物語に登場する人物は、みなインディアンと白人をめぐって微妙な立場にある。主人公のジョンは、生まれてすぐに白人家庭の養子にされたインディアンで、他にも、白人社会に順応するために居留地で英才教育を受けた娘やインディアンに憧れながらもインディアンにはなれないことを思い知らされ憎しみをつのらせる大学教授、 白人でありながらインディアンと称して人気のミステリー作家になった元警官などが登場する。そして、殺人鬼の正体をめぐって、インディアンと白人の微妙な感情が交錯する社会が、生け贄を作りあげていくのである。

 2冊の本から浮かび上がるこうした現実を踏まえてみると、先述した2本の映画をインディアンの人々がどのように見るのか、興味深く思えてくることだろう。筆者は、ネットで彼らの意見を聞くために、今回はAOL(アメリカ・オンライン)とMSN(マイクロソフト・ネットワーク)というふたつのオンライン・サービスを利用した。 AOLとMSNは、インディアンのウェブ・コミュニティが充実しているからだ。AOLのインディアンのメッセージ・ボードは、小説、音楽、映画から家庭内暴力、生活、料理、ゲイまで45のトピックに分類されている。MSNにも様々なトピックで分けられた17のニューズグループがあるのだ(※筆者は現在、 このふたつのオンライン・サービスを利用していないので、いまもあるかどうかは不明である)。

 


―心の指紋―

 The Sunchaser
(1996) on IMDb


◆スタッフ◆

監督/脚本
マイケル・チミノ
Michael Cimino
脚本 チャールズ・レアヴィット
Charles Leavitt
製作 アーノン・ミルチャン/ラリー・スピーゲル/ジュディ・ゴールドスタイン/ジョセフ・S・ヴェッキオ
Arnon Milchan/Larry Spiegel/Judy Goldstein/Joseph S.Vecchio
製作総指揮 マイケル・ネイサンソン/ジョセフ・M・カラッチオロ
Michael Nathanson/Joseph M.Caracciolo
撮影監督 ダグ・ミルサム、B.S.C.
Doug Milsom,B.S.C.
編集 ジョー・ドーグステイン
Joe D'Augustine
音楽 モーリス・ジャール
Maurice Jarre

◆キャスト◆

医師マイケル・レイノルズ
ウディ・ハレルソン
Woody Harrelson
ブランドン“ブルー”モンロー ジョン・セダ
Jon Seda
レナータ・バウムバウアー博士 アン・バンクロフト
Anne Bancroft
ヴィクトリア・レイノルズ アレクサンドラ・タイディングス
Alexandra Tydings
医師チップ・バイーンズ マット・マルハーン
Matt Mulhern
ナバホの女性 タリサ・ソト
Talisa Soto
(配給:日本ヘラルド映画)


―ネイティブ・ハート―

 Last of the Dogmen
(1995) on IMDb


◆スタッフ◆

監督/脚本
タブ・マーフィー
Tab Murphy
製作 ジョエル・B・マイケルズ
Joel B.Michaels
製作総指揮 マリオ・カサール
Mario Kassar
撮影監督 カール・ウォルター・リンデンラウブ
Karl Walter Lindenlaub
編集 リチャード・ハルセイ
Richard Halsey, A.C.E.
音楽 デイヴィッド・アーノルド
David Arnold

◆キャスト◆

ルイス・ゲイツ
トム・ベレンジャー
Tom Berenger
リリアン・スローン バーバラ・ハーシー
Barbara Hershey
ディーガン保安官 カートウッド・スミス
Kurtwood Smith
イエロー・ウルフ スティーヴ・リービス
Steeve Reevis
ブリッグス アンドリュー・ミラー
Andrew Miller
ジップ ジップ
Zip
 
 
 
 


 筆者のメッセージに対するインディアンの人々の回答からは、いろいろな意味で複雑な立場にある彼らの感情や背景が見えてくる。

 まず、『ネイティブ・ハート』については、好感を持つ意見が目立った。たとえば、ある若者は、シャイアン族が山奥で密かに生き続けていたという話が本当のことであったらという気持ちで、この映画をすでに5回も観たという。もうひとりは最初の若者に比べると客観的で、全体的にはいい映画だし、これを観ると、 学者が先住民の墓を掘りかえすよりも長老から話を聞いた方がより多くを学べるということがよくわかると書いていた。そして、これはさらにメールのやりとりをして分かったことだが、ふたりはともに混血で、最初の若者は、自分のルーツを証明する記録はないが、インディアン文化のなかにいると安心できるということだった。

 次に、本人はインディアンではないが、インディアンのコミュニティに長く暮らし、彼らの勧めもあって現代のインディアンに関するドキュメントを製作しているゲイリー・ラインという映像作家からも意見をもらった。ちなみに彼はホームページThe Native American Relations Video Seriesを持っていて、ここで彼のドキュメンタリー作品の内容をチェックすることができる。

 彼は「心の指紋」については、インディアンの聖域を扱っているところは評価できるが、その表現があまりに皮相的であるという。『ネイティブ・ハート』については(この映画でシャイアン族の若きリーダー、イエロー・ウルフに扮するスティーヴ・リーヴィスは彼の友人だそうだ)、 白人のふたりの主人公たちがクローズアップされすぎていて、隠れて生きるインディアンの生活がどんなものかという視点がほとんど見えてこないという。さらに、インディアンを扱う近年の映画は、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』にしても『ラスト・オブ・モヒカン』にしても判で押したように窮地を救う白人の活躍が描かれ、一種のターザン映画になっていると批判している。

 それから、カナダに住む純血のインディアンだという大学生も映画に関するメールをくれたが、彼とのコミュニケーションではまったく別の意味で考えさせられた。彼は、キリスト教徒で、インディアンの宗教でも仏教でもイスラム教でもなく、キリストの言葉を信じる者だけが天国に迎え入れられるというのだ。 実は、先述のボードウィックの本では、現代のインディアンの宗教にも触れられているが、インディアンの高校生を対象にした90年の調査によれば、彼らの70%がキリスト教徒で15%が無宗教で、伝統的な宗教に属すると思われるのはわずかに6%なのだ。

 一方、小説『Indian Killer』については、やはり非常に現実的な意見が目立った。ある混血のインディアンは、著者アレクシーは現代社会に生きるインディアンの恐怖と怒りを描くことができる数少ない作家のひとりだという。それは、時として居留地ですら差別にあう混血の恐怖であり、川の漁獲権を主張した途端に、 隣人の白人たちがインディアンの人形を燃やしだす恐怖であり、カスターの亡霊が眠っているのはインディアンが沈黙しているときだけだという。また、白人は、まるで今が1830年代であるかのように、インディアンがバッファローか何かを殺すことを期待し、科学者やコンピュータのプログラマーであることがわかると落胆し、その現実も知らないのにインディアンになりたがると糾弾する。

 さらにもうひとりの混血のインディアンは、アレクシーは彼らがロスト・バード・シンドローム≠ニ呼ぶ体験をリアルに描いているという。1890年に騎兵隊が無防備なラコタ・スー族を虐殺し、そのとき生き残った赤ん坊が白人に引き取られた。成長した彼女は、民族の絆を取り戻そうとしたがその希望も叶わないまま他界し、虐殺が行われた場所にある墓地に葬られた。 その彼女の名前がロスト・バードで、小説の主人公ジョンにその体験が投影されているというのだ。また、題名のインディアン・キラー≠ノついては、社会がジョンに対して行ったことを意味する、人を殺すのにはたくさんの方法があるのだと彼は言う。筆者もこの小説についてはまさにその通りであると思う。

 彼らの言葉に耳を傾けると、現代のインディアンがそのアイデンティティをどこに求めるべきなのか、非常に難しい状況にあることがよくわかることだろう。

 
 
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