グローバリゼーションのなかで揺らぐ歴史と個人
――『マンデラの名もなき看守』 『コロッサル・ユース』 『シークレット・サンシャイン』
     『イースタン・プロミス』 『闇の子供たち』をめぐって


マンデラの名もなき看守/Goodbye Bafana―― 2007年/フランス=ドイツ=ベルギー=南アフリカ/カラー/117分/スコープサイズ
/ドルビーデジタルDTS
コロッサル・ユース/Colossal Youth――――― 2006年/ポルトガル=フランス=スイス/カラー/155分/スタンダード/ドルビーSRD
シークレット・サンシャイン/密陽―――――― 2007年/韓国/カラー/142分/スコープサイズ/ドルビーSRD
イースタン・プロミス/Eastern Promises――― 2007年/イギリス=カナダ/カラー/100分/ヴィスタ/ドルビーSRD
闇の子供たち――――――――――――――― 2008年/日本/カラー/138分/アメリカンヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:「CDジャーナル」2008年6月号「夢見る日々に目覚めの映画を77」、若干の加筆)


 

■■ビレ・アウグスト監督『マンデラの名もなき看守』■■

 ビレ・アウグスト監督が実話を映画化した『マンデラの名もなき看守』では、27年にわたるネルソン・マンデラの獄中闘争の時代を背景に、マンデラとの出会いによって変貌を遂げていくある看守の姿が描かれる。政治犯を収容する刑務所に赴任したジェームズ・グレゴリーは、危険なテロリストとされるマンデラの検閲官に抜擢される。マンデラの故郷の近くで育ち、原住民が使うコーサ語に通じていたからだ。

 この映画で筆者が興味をそそられたのは、偏見から解放されていくグレゴリーのなかに膨らむ「歴史」に立ち会いたいという願望だ。歴史を変えようとしている人間と交流を持つのだから、それは不思議なことではない。だが、映画が作られた現在から当時を振り返ってみると、この歴史に別の意味を読み取ることもできる。

 マンデラは冷戦体制の崩壊と同時期に釈放され、それ以後はグローバリゼーションの拡大とともに、政治ではなく経済が世界を動かす時代に移行する。たとえば、ジョン・グレイの『グローバリズムという妄想』のなかには、このような記述がある。

自由市場は現代世界に存在する伝統を分解するのにもっとも効力がある。自由市場は新しいものを重視し、過去を軽視する。それは未来を現在の無限の繰り返しにする

 そんな現代世界の変化を踏まえるなら、27年もの獄中闘争を経て達成される「歴史」には、特別な意味を見出すことができる。アウグスト監督は、単に実話を映像化するだけではなく、グレゴリーを通して個人と歴史の関係を見直そうとしたのではないだろうか。

■■ペドロ・コスタ監督『コロッサル・ユース』■■

 一方、ポルトガルのペドロ・コスタ監督の『コロッサル・ユース』は、そんな現代を乗り越え、失われた歴史を呼び覚まそうとする映画だといえる。コスタの以前の作品『ヴァンダの部屋』では、アフリカ系移民たちが暮らすリスボン郊外のスラム街の取り壊しが進められているところだった。この映画では、すでにスラム街はほとんど消失し、住人たちは真新しい集合住宅に強制移住させられている。

 かつてのスラム街には、積み重ねられた時間があり、地縁があった。これに対して集合住宅は、明るく清潔には見えるが、極めて画一的で、病棟や刑務所のようにも見える。だが、この映画は、そんな現実を映し出すドキュメンタリーではない。

 コスタ監督は、スラム街に34年間暮らしてきたヴェントゥーラと信頼関係を築き上げ、彼がリスボンにやって来た時代と、集合住宅への移住を迫られる現在とを巧妙に重ね合わせ、過去と現在が複雑に入り組む映像世界を構築しているのだ。

■■イ・チャンドン監督『シークレット・サンシャイン』■■

 韓国のイ・チャンドン監督の新作『シークレット・サンシャイン』では、息子とともにソウルから亡夫の故郷である地方都市ミリャン(密陽)に転居してきたシネが、ある日突然、誘拐事件で息子の命を奪われ、深い絶望のなかで信仰に救いを求め、狂気に囚われていく。この物語は、ここでテーマにしている時代の変化とは無関係に見えるが、イ監督の過去の作品を振り返ればその印象が変わることだろう。

 『グリーンフィッシュ』では、主人公の家族が営む食堂とその背後に聳えるニュータウンの間に、歴史と現在を分かつ境界線が引かれていた。『ペパーミント・キャンディー』の主人公は、ニュータウンの不毛な生活から時間を遡り、境界線を越えて歴史のなかに分け入っていく。そして、もはや境界線すら存在しない『オアシス』では、物質的な豊かさだけを求める家族に利用される主人公たちが、愛によって幻想の空間を生み出し、現実を凌駕していく。

 新作でまず興味深いのは、原作であるイ・ションジュンの小説「虫の物語」に対するイ監督の視点だ。プレスに収められたコメントのなかで、イ監督は、この物語には光州事件の加害者が被害者に和解を申し入れることへの不信感が寓意として盛り込まれていると語っている。和解を求める権利はあくまで被害者のものではないかということだ(※光州事件については、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』レビューが参考になるかもしれない)。

 イ監督は、そんな政治的な寓意が成立しがたい現代を背景に、あえてこの小説から物語を紡ぎだしている。とすれば、ドラマには表れないものの、彼は個人だけではなく、歴史の揺らぎも意識していたといえる。そして、想像力を働かせれば、加害者と被害者の関係に接点を感じることもできるだろう。孤独な主人公シネは、既成の秩序や価値観が揺らぐ時代のなかで、愛や人生の普遍的な意味を執拗に求め、幻想に引き込まれる。だがやがて、空気のように自分を包み込んでいる男の存在に気づくことになる。

■■デヴィッド・クローネンバーグ『イースタン・プロミス』■■

 デヴィッド・クローネンバーグ監督の『イースタン・プロミス』でまず注目しなければならないのは、スティーヴン・ナイトが脚本を手がけていることだろう。彼はスティーヴン・フリアーズ監督の『堕天使のパスポート』の脚本で、ロンドンにあるホテルを舞台に、グローバリゼーションと不法滞在者たちの世界を掘り下げていた。そんなテーマはこの作品にも引き継がれ、グローバリゼーションのなかで変貌するロンドンの影の部分が描き出される。

 物語は、身元不明のロシア人少女が病院に運び込まれ、女の子を産んで息を引き取るところから始まる。その手術に立ち会った助産師のアンナは、少女が遺したロシア語の日記を手がかりに身元を突き止めようとして、気づかぬうちに人身売買で利益を得るロシアン・マフィアと関わりを持ってしまう。そんな彼女は、トラブルを冷酷に処理するマフィアの運転手ニコライになぜか窮地を救われ、ふたりは、少女の正体をめぐって複雑に絡み合っていく。


―マンデラの名もなき看守―

 Goodbye Bafana
(2007) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督   ビレ・アウグスト
Bille August
原作 ジェームズ・グレゴリー、ボブ・グレアム
James Gregory, Bob Graham
脚本 グレッグ・ラター
Greg Latter
撮影 ロベール・フレース
Robert Fraisse
編集 エルヴェ・シュネイ
Herve Schneid
音楽 ダリオ・マリアネッリ
Dario Marianelli

◆キャスト◆
 
ジェームズ・グレゴリー   ジョセフ・ファインズ
Joseph Fiennes
ネルソン・マンデラ デニス・ヘイスバート
Dennis Haysbert
グロリア・グレゴリー ダイアン・クルーガー
Diane Kruger
ジョルダン少佐 パトリック・リスター
Patrick Lyster
ジンジ・マンデラ テリー・フェト
Terry Pheto
(配給:ギャガ・コミュニケーションズ)
 
 

―コロッサル・ユース―

 Juventude Em Marcha
(2006) on IMDb


※スタッフ、キャストは
『コロッサル・ユース』レビュー
を参照のこと

 

―シークレット・サンシャイン―

 Milyang
(2007) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   イ・チャンドン
Lee Chang-dong
原作 イ・ションジュン「虫の物語」
Yi Chong-jun
撮影 チョ・ヨンギュ
Cho Yong-kyou
編集 キム・ヒョン
Kim Hyun
音楽 クリスチャン・バッソ
Christian Basso

◆キャスト◆

イ・シネ   チョン・ドヨン
Jeon Do-yeon
キム・ジョンチャン ソン・ガンホ
Song Kang-ho
パク・ドソプ チョ・ヨンジン
Jo Yeong-ji
イ・ミンギ キム・ヨンジェ
Kim Yeong-jae
ジュン ソン・ジョンヨプ
Seon Jung-yeop
(配給:エスピーオー)

―イースタン・プロミス―

 Eastern Promises
(2007) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督   デヴィッド・クローネンバーグ
David Cronenberg
脚本 スティーヴン・ナイト
Steven Knight
撮影 ピーター・サシツキー
Peter Suschizky
編集 ロナルド・サンダース
Ronald Sanders
音楽 ハワード・ショア
Howard Shore

◆キャスト◆
 
ニコライ   ヴィゴ・モーテンセン
Viggo Mortensen
アンナ ナオミ・ワッツ
Naomi Watts
キリル ヴァンサン・カッセル
Vincent Cassel
セミオン アーミン・ミューラー=スタール
Armin Mueller-Stahl
ヘレン シニード・キューザック
Sinead Cusack
ステパン   イエジー・スコリモフスキー
Jerzy Skolimowski
(配給:ファントム・フィルム)
 

―闇の子供たち―

 Yami no kodomo-tachi
(2008) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   阪本順治
原作 梁石日
撮影 笠松則通
編集 蛭田智子
音楽 岩代太郎

◆キャスト◆
 
南部浩行   江口洋介
音羽恵子 宮崎あおい
与田博明 妻夫木聡
チット プラパドン・スワンバン
ナパポーン プライマー・ラッチャタ
清水哲夫   豊原功補
梶川みね子 鈴木砂羽
土方正巳 塩見三省
梶川克仁 佐藤浩市
(配給:ゴー・シネマ)
 
 

 この映画は、そんな物語をリアリズムとは一線を画すスタイルで描き出していく。たとえば、クローネンバーグの『裸のランチ』『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』の主人公は、大切な女性の死をきっかけに小説や日記という言葉が生み出す世界にのめり込んでいく。ロシア人の血を引いているが、ロシア語は話せず、また過去の喪失の痛みに苛まれているアンナも、少女が遺した日記に呪縛されるように、後戻りができない世界に踏み出す。

 一方、ロシアン・マフィアの世界では、身体の至る所に刻まれたタトゥーという記号がそれぞれの素性を端的に物語る。と同時に、記号を利用して、他人を罠にはめたり、素性を偽る可能性も生まれる。クローネンバーグは、そんな言葉や記号を通して、追い詰められた人間の肉体と精神の危うい均衡というテーマを掘り下げている。

■■阪本順治監督『闇の子供たち』■■

 これに対して、阪本順治監督が梁石日の同名小説を映画化した問題作『闇の子供たち』では、タイ駐在の新聞記者・南部浩行とバンコクのNGO団体に加入した音羽恵子という日本人を主人公に、幼児売春や人身売買という闇の世界が描き出される。この映画の前半部は、あまりにも痛ましい現実に圧倒的なリアリズムで肉薄する社会派的なドラマのように見える。

 だが後半では、そんな現実に対する主人公たちの姿勢や内面が掘り下げられていく。現実を客観的に見つめ、真実を明らかにしようとする南部と、自分を探し求め、理想に駆られて何としても子供を守ろうとする恵子。マフィアに追い詰められる彼らも、混沌とした世界のなかで、肉体と精神の均衡を失い、人間の本性や二重性が露にされていくことになる。

《引用文献》
『グリーバリズムという妄想』ジョン・グレイ●
石塚雅彦訳(日本経済新聞社、2001年)

(upload:2014/05/12)
 
 
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