内部と外部の図式が崩壊した時代を生きる
――『おわらない物語‐アビバの場合‐』と『肌の隙間』をめぐって 文:大場正明


おわらない物語‐アビバの場合‐/Palindromes―― 2004年/アメリカ/カラー/100分/ヨーロピアンヴィスタ/ドルビーSRD
肌の隙間/A Gap in the Skin――――――――― 2004年/日本/カラー/77分/ヴィスタ
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(初出:「Cut」2005年5月号、映画の境界線45、若干の加筆)

 

 

 トッド・ソロンズ監督の『おわらない物語‐アビバの場合‐』と瀬々敬久監督の『肌の隙間』は、一見まったく異なるタイプの作品に見える。『おわらない物語』には、笑うことに後ろめたさを覚えるようなソロンズならではのユーモアが散りばめられている。一方、昨年(2004年)末にピンク映画として公開されている『肌の隙間』は、男女の情念や濃密な空間がイ・チャンドン監督の『オアシス』やキム・ギドク監督の『魚と寝る女』などを想起させる。

 しかしこの2作品には、意外なほど多くの興味深い共通点がある。主人公はともに、ある種のイノセントな存在だ。彼らはそれぞれの事情で逃亡をはかり、ここではないどこか=外部を目指す。彼らがイノセントな存在であるだけに、その逃避行からは寓話的な世界が切り開かれるかに見えるが、現実がそれを凌駕してしまう。彼らが到達する外部もまた、単に閉ざされた世界の一端であり、彼らは戻ることを余儀なくされる。

 というよりも、逃避行によって内部と外部の図式は崩壊する。彼らはどこに行っても外的な力に規定されている。そしてここが肝心なところだが、にもかかわらず、そのことによって彼らの本質がより明確になっていく。

■■人間が変わらないことを象徴するPalindromes(回文)■■

 『おわらない物語』は、『ウェルカム・ドールハウス』のヒロインだったドーンの葬儀から始まる。従姉のドーンがレイプされ、自分の分身が生まれてくることに耐え切れずに自殺したことを知った幼いヒロインのアビバは、自分が彼女と違うことを身を以って証明しようとする。つまり、母親になろうとするのだ。

 だが、12歳で妊娠にこぎつけたものの、母親から中絶を強要される。それでも諦めきれない彼女は、手術が失敗したことも知らずに冒険の旅に出る。その旅には、“ハックルベリー・フィン”の引用や川を渡る光景があり、彼女がサバービアの日常からその外部に踏みだしていくことを示唆する。

 そしてアビバは、恵まれない障害児たちに救いの手を差し延べるクリスチャンのママ・サンシャイン出会い、受け入れられる。彼女には、そこが楽園に見えるが、一家は、裏で堕胎医を殺害し、彼女もそれに手を貸すことになる。サバービアに暮らすリベラルなアビバの両親は、中絶賛成派(pro-choice)でありながら、娘に選択を許さず、保守派のサンシャイン一家は、反対派(pro-life)でありながら、人を殺す。つまり、内部も外部も同じようなものであり、彼女は外的な力によって規定されていく。

 この映画には、面白い仕掛けがある。アビバは、年齢、性別、人種、容姿が異なる8人の役者によって演じられる。映画の原題の“Palindromes(回文)”は、アビバ(Aviva)やボブ(Bob)などの名前に現われるだけでなく、台詞やドラマにも埋め込まれている。しかしこうした仕掛けは、もうひとつのキーワードを見逃すと、効果が薄れてしまう。

 それはボーンアゲイン・クリスチャンの“ボーンアゲイン”だ。ブッシュはボーンアゲイン・クリスチャンになることで自堕落な生活から立ち直ったといわれるが、ソロンズはおそらくはそんなことも意識しつつ、この言葉からアイデアを膨らませていったのだろう。

 この映画には、リベラルや保守派に関わりなく、必死に変わろうとしたり、変わったと信じる人物が出てくる。そして、その変わることと、人間が変わらないことを象徴する回文とがせめぎあい、最終的にそのふたつが逆転することにもなる。

 ソロンズ作品の中核にあるのは、常に人間同士の違いだ。登場人物たちは、男女、大人と子供、美醜、貧富、人種、異性愛と同性愛、健常者と障害者などが生み出す境界をめぐって、違いに翻弄され、悲惨な状況に陥っていく。

 この映画では、その違いが「変わること」に結びついている。なかでも表面上特に大きな変貌を遂げるのがアビバだが、回文を地でいく彼女は、母親になる願望を確かなものにするだけで、実は本質的には何も変わっていない。ラストの映像による回文は、彼女が逆戻りしていって、失った子宮を取り戻すようにすら見える。これに対して、変われるという幻想に囚われた人々は、自分を偽りつづけていくしかないのだ。

■■空間に出口を見出すのではなく、内なる野生に目覚める■■

 一方、瀬々監督の『肌の隙間』に描かれるのは、叔母と甥の関係にある妙子と秀則の逃避行だ。ひきこもりの秀則は母親ゆきこを殺害し、一緒に暮らしていた自閉症の妙子が彼を連れて逃亡する。映画はそのふたりがスクーターで逃げているところから始まるので、詳しい状況はわからない。


―おわらない物語‐アビバの場合‐―

 Palindromes
(2004) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   トッド・ソロンズ
Todd Solondz
撮影 トム・リッチモンド
Tom Richmond
編集 モーリー・ゴールドステイン、ケヴィン・メスマン
Mollie Goldstein, Kevin Messman
音楽 ネイサン・ラーソン
Nathan Larson

◆キャスト◆

ジョイス(アビバの母)   エレン・バーキン
Ellen Barkin
ジョー/アール/ボブ スティーヴン・アドリー=ギアギス
Stephen Adly Guirgis
スティーヴン(アビバの父) リチャード・メイサー
Richard Masur
‘マーク’アビバ ジェニファー・ジェイソン・リー
Jennifer Jason Leigh
ママ・サンシャイン デブラ・モンク
Debra Monk
‘ママ・サンシャイン’アビバ シャロン・ウィルキンス
Sharon Wilkins
マーク・ウィーナー マシュー・フェイバー
Matthew Faber
‘ハックルベリー’アビバ ウィル・デントン
Will Denton
(配給:アルバトロス・フィルム)
 

―肌の隙間―

 Hada no sukima
(2005) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督   瀬々敬久
脚本 佐藤有記
撮影 齊藤幸一
編集 酒井正次
企画 朝倉大介

◆キャスト◆

妙子   不二子
秀則 小谷健仁
アイスクリーム売り 伊藤洋三郎
浮浪者の男 飯島大介
祖母 吉村実子
(配給:国映、新東宝映画)
 
 

 妙子は「がいこく」という言葉を口にするが、それは決して海の向こうの外国ではなく、彼らは漠然と外部に向かっている。森の山荘に住み着いた彼らは、盗んだトマトが禁断の木の実であったかのようにお互いの肉体を貪る。精神的に追い詰められて東京にたどり着くと、今度はヘンゼルとグレーテルのように、汚れたバラックでホームレスの虜になる。だが、そんな寓話的なイメージは現実によって駆逐されていく。

 ふたりの過去は不明だが、私たちは、彼らがゆきこから日々、食事を与えられ、お互いに意思の疎通もなく生きてきたであろうことに気づく。彼らは、トマトは食べられるが、魚を捕らえても殺すだけで、食べることはできない。つまり、森を出て民家から盗むか、他者から与えられるしか、生きる道がない。しかし実はそれ以前に、外部はすでに失われている。

 ふたりが森に入る前にも、森を出て東京に着いたときにも、そこには同じように彼らを規定していくような罠が待ち受けている。バスを待つ彼らを拾ったアイスクリーム売りは、アイスやパンを与えるかわりに、妙子を自分のものにしようとする。

 彼らは森に逃げ込むが、妙子の頭から「がいこく」は消えている。彼女は欲望に目覚め、秀則でそれを満たそうとする。そして彼が思い通りにならないと、山盛りのトマトを与え、母親のような態度を見せながら彼に迫る。罠が彼女の欲望を規定し、彼女はそれを模倣しさえする。だがトマトと欲望だけでは生きられない。ホームレスが差し出すおにぎりや弁当に抵抗することはできないのだ。

 「がいこく」を目指す逃避行は、こうして内部と外部の図式が崩壊し、ふたりは外的な力に規定され、蹂躙されていく。しかし、意志の疎通すらなく同居してきた彼らは、それゆえに覚醒していく。空間に出口を見出せない彼らは、銀座のど真ん中という人工的な空間のなかで、あたかも時間を遡るかのように内なる野生に目覚めていくのだ。


(upload:2010/09/22)
 
 
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