歴史と現代の繋がりを見直す
――『百年恋歌』と『麦の穂をゆらす風』をめぐって


百年恋歌/
最好的時光/Three Times――――――
2005年/台湾/カラー/139分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
麦の穂をゆらす風/
The Wind That Shakes the Barley―――
2006年/アイルランド=イギリス=ドイツ=イタリア=スペイン/カラー/126分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:「Cut」2006年5月号 映画の境界線57)

 ホウ・シャオシエンの新作『百年恋歌』は、異なる3つの時代を生きる3組の男女を、チャン・チェンとスー・チーという同じ俳優たちが演じ分けるオムニバス映画だ。その3つの時代とは、1911年と1966年と2005年だが、時代の流れは、過去から現代に向かうのではなく、現代から過去へと遡るわけでもない。

 物語は、3つの時代の中間に位置する1966年の高雄から始まる。兵役を控えた若者は、高雄のビリヤード場で働くことになった新顔のシウメイに恋をする。だが、休暇をもらった彼がそこに戻ると、彼女の姿はなく、別の娘が働いている。それ以来、彼の休暇は、各地のビリヤード場を転々とするシウメイを追うことに費やされていく。

 1966年はホウ監督の青春時代と重なり、男女のドラマには、個人的な体験に繋がる親密な空気が漂っている。しかし、そんなドラマは、1911年を経て、2005年に至る時間の流れのなかで、台湾の歴史のなかに取り込まれることになる。

 1911年の舞台は遊郭で、そこに通う外交官のチャンと芸妓が静かに心を通わせる。だが彼は、台湾を日本の支配から解放するという使命を背負い、間もなく大陸で辛亥革命が起こる。台湾の暦では、中華民国の建国が宣言された1912年が民国元年であり、この男女のドラマは、台湾現代史の出発点に位置している。

 その現代史は、間違いなくチャンが求めた未来ではない。台湾が日本の支配から解放されると、今度は、共産党との戦いに敗れて台湾に逃れた国民党による支配が始まり、40年近くも戒厳令がしかれることになる。1966年のドラマは、そんな抑圧のもとにあるわけだ。

 そして、2005年の台北では、歌手のジンとカメラマンのチェンが、激しく惹かれ合う。彼らは、急速な経済発展と1987年の戒厳令解除に始まる民主化のなかで成長してきた。しかも、2000年には、総統選挙で陳水扁が国民党の公認候補を破って勝利を収めるという画期的な出来事が起こっている。台湾は、民国元年に始まる歴史から脱却し、新たな歴史を歩み出したともいえるわけだが、その方向次第では、大陸との間の緊張がこれまで以上に高まることにもなる。

 『百年恋歌』の背景には、そんな歴史の変遷がある。しかしホウ監督は、この映画のなかで歴史にはほとんど言及せず、男女の関係だけからその背後にあるものを物語る。3組の男女の間には、微妙な距離がある。その距離は、手紙やサイレント形式、携帯やメール、それぞれの時代を象徴する音楽などで表現される。

 1966年のドラマでは、手紙が鍵を握る。若者が最初に好意を持ち、手紙を渡すのは、シウメイの前に働いていたハルコだ。シウメイは、そのハルコが残していった手紙を読む。そして、若者から手紙を渡される。だが、ハルコへの手紙を読んだことは胸に秘め、やがて別のビリヤード場へと移っていく。

 サイレント形式で描かれる1911年のドラマでは、静謐な空間に浮かび上がる台詞字幕を通して、男女の距離が描かれる。チャンは、身請けの話がきた芸妓の義妹を金銭的に援助する。だが彼自身は、使命ゆえに芸妓を身請けすることを拒み、旅立つ。

 2005年のジンとチェンには、それぞれに恋人がいる。そんな複雑な関係にある彼らは、ジンが歌う過去も未来もない世界のなかで、傷つけ合い、彷徨いつづける。

 異なる時代を生きる3組の男女は、それぞれに愛と自由を求め、不透明な未来と向き合っているのだ。

 そして、ケン・ローチの新作『麦の穂をゆらす風』にも、歴史と現代を結ぶ興味深い視点がある。この映画は、ローチが共通するテーマを扱った『大地と自由』と対比してみると、そのスタンスがより明確になるだろう。

 スペイン内戦を題材にした『自由と大地』では、協力してファシストと戦っていた人民戦線のなかに亀裂が生じ、同志だった者たちが裏切り、争いを繰り広げる。そして、アイルランド分断の出発点となった20年代の革命運動を題材にしたこの『麦の穂をゆらす風』でも、独立戦争の果てに結ばれた条約をめぐって、分断や連合の維持を受け入れる勢力と完全な独立を求める共和主義者の間に対立が生まれ、内戦に発展していく。


 
―百年恋歌―

◆スタッフ◆
 
監督   ホウ・シャオシエン
Hou Hsiao-hsien
脚本 チュー・ティエンウェン
Chu Tien-wen
撮影監督 リー・ピンビン
Lee Pin-Bing
編集 リャオ・チンソン
Liao Ching-Song

◆キャスト◆

シウメイ/芸妓/
ジン
  スー・チー
Shu Qi
若者/外交官
チャン/チェン
チャン・チェン
Chang Chen
(配給:プレノン・アッシュ)
 
 
―麦の穂をゆらす風―


◆スタッフ◆
 
監督   ケン・ローチ
Ken Loach
脚本 ポール・ラヴァーティ
Paul Laverty
撮影 バリー・アクロイド
Barry Ackroyd
編集 ジョナサン・モリス
Jonathan Morris
音楽 ジョージ・フェントン
George Fenton

◆キャスト◆

デミアン   キリアン・マーフィー
Cillian Murphy
テディ ポードニック・ディレーニー
Padraic Delaney
ダン リーアム・カニンガム
Liam Cunningham
シネード オーラ・フィッツジェラルド
Orla Fitzgerald
ペギー メアリー・オリオーダン
Mary O’Riordan
バーナデット メアリー・マーフィー
Mary Murphy
(配給:シネカノン)
 
 

 しかし、ローチのスタンスは異なる。『自由と大地』では、共産党に批判的で、義勇兵としてスペインに渡り、最終的に共産党に裏切られる主人公とその同志たちの立場に立っていた。これに対して、『麦の穂をゆらす風』では、彼が共和主義者の立場に立ってもおかしくないところだが、明らかに一定の距離を置いている。それは、主人公の兄弟が敵と味方に分かれるということもあるが、決してそれだけではない。

 というのも、舞台となる町コークに暮らす女たち、特にペギー、バーナデット、シネードという3世代の母娘に対しては、そんな距離がないからだ。このドラマは、導入部からラストまで、彼女たちが暮らす家をひとつの軸として展開する。『大地と自由』では、主人公の生き方が現代を生きる彼の孫娘に引き継がれるが、この映画では、政治ではなく土地を生きる彼女たちと争う男たちが対比されることで、彼らの生き方が問い直されるのだ。

 社会学者トッド・ギトリンの『アメリカの文化戦争』のなかには、以下のような記述がある。「19世紀と20世紀を通じて、左翼は人類の共通性を信じ、右派は階級、国家、人種間の基本的な違いを前提にしていた。(中略)しかしながら、今日では共通の人間の言葉で語るのは右派の人間である。彼らがグローバル・マーケット、グローバルな自由を云々する時、かつて普遍主義者が語った言葉の響きが思い起こされる。それに対して、左派を自認する者は、普遍的に人類を語ることができるということを疑ってかからねばならなくなった」

 ローチは、そんなグローバリゼーションの時代の厳しい現実を踏まえ、同じ悲劇が繰り返されていく歴史に、転換点を見出そうとするのだ。

《参照/引用文献》
『アメリカの文化戦争―たそがれゆく 共通の夢』トッド・ギトリン ●
疋田三 良・向井俊二訳(彩流社、2001年)

(upload:2009/04/10)
 
 
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