政治は日常や肉体のなかにある
――『プラットホーム』『同級生』『インティマシー/親密』をめぐって


プラットホーム/Platform――――――― 2000年/香港=日本=フランス/カラー/151分/ヴィスタ/ステレオ
同級生/Get Real―――――――――― 1998年/イギリス/カラー/110分/シネマスコープ/ドルビーSR
インティマシー/親密/Intimacy―――― 2000年/フランス=イギリス=ドイツ=スペイン/カラー/110分/シネマスコープ/ドルビーデジタルDTS
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(初出:「Cut」2001年10月号、映画の境界線04、若干の加筆)

 

 

 70年代末から始まった中国の改革開放政策は社会を大きく変えた。人々はどのように市場経済や消費社会の洗礼を受け、変化の時代を生きてきたのか。それは中国の新世代の監督にとって、身近で切実なテーマだ。国家予算に支えられた第5世代とは違い、第6世代以降の監督たちは、競争社会のなかで、独力で資金を調達し映画を作らなければならないからだ。

 『一瞬の夢』で長編デビューを飾ったジャ・ジャンクー監督の新作『プラットホーム』は、そんな主題に正面から取り組む力作だ。時代背景はまさに社会が急激な変貌を遂げていく1979年から91年。山西省の小さな町・汾陽を舞台に、文化劇団に所属し、地方を巡業する4人の男女の軌跡が、現在進行形の視点で綴られていく。

 ジャ・ジャンクーは、歴史的な事件などではなく、音楽、ファッション、生活環境、劇団の出し物などの変化を通して、時代をとらえようとする。ところが、風俗の変遷をたどるかのような映画は、政治と経済的な豊かさ、集団と個人の関係を見事に浮き彫りにしてしまう。

 79年、劇団は毛沢東を讃える劇を上演している。舞台を終えた彼らは、移動のバスに集合し点呼を行う。この場面は、個々の団員が、革命の理想に向かって前進する集団の一部であることを物語る。しかしその翌年には、初めてパーマをかけた娘が、毛沢東の肖像画の前でフラメンコを踊ってみせる。彼女の赤い衣装には、革命の理想とは異なる感情が宿る。

 劇団は80年代半ばには、国からの補助金を打ち切られ独立を余儀なくされる。やがて彼らは挑発的なロック・バンドに変身していく。しかし、遥か遠い場所で起こった天安門事件の余韻を静かにかみしめるように、長髪を切り落とす。

 集団の理想が解体し、個人の自由が生まれ、そして新たな抑圧と挫折を体験する。しかしジャ・ジャンクーは、現実をもっと冷徹に見つめている。改革開放政策の道を開いた故ケ小平はかつて、ゴルバチョフの過ちは経済を改革する前に政治的な自由を許してしまったことだと語った。この言葉の裏には、人は経済的に豊かになれば、それほど政治的な自由を意識しなくなるという考えがある。

 ジャ・ジャンクーは明らかにそこまで見通している。この映画における自由とは、たとえば、中央の政策が生んだ新たな価値観を、巡業を通して地方に広めていくことでもある。主人公たちはその駒なのだ。そして映画は、豊かになりつつある生活と家族の姿をとらえて終わる。

 ところでこの映画には、主人公たちの会話のなかにサッチャーの名前が出てくる場面がある。同じ80年代、イギリスではサッチャリズムが社会を大きく変え、政治と経済的な豊かさ、集団と個人をめぐって似たようなことが起こっていた。福祉国家の理想が解体し、弱者が切り捨てられ、国がコントロールしてきた経済領域が社会と個人に委ねられたのだ。

 マイケル・ウィンターボトムは、殺人を繰り返しながらハイウェイ沿いを彷徨う『バタフライ・キス』のヒロインとサッチャリズムの関係についてこのように語っていた。「サッチャーは、この世には社会などなく個人の集合でしかないという迷言を吐いた。その結果、彼女のように社会に紛れていた個人があぶりだされてきた

 サッチャーのこの言葉に従うなら、個人としてあぶりだされるのは、必ずしも切り捨てられた弱者とは限らない。イギリスには80年代以前から、貧しい北部と豊かな南部という格差があり、サッチャリズムがそれを著しく助長したことから、打撃を受けた北部がこれまで主に映画の題材を提供してきた。しかし、南部や、それを広義にとらえた中流の世界でも個人は確実にあぶりだされつつある。

 たとえば、サイモン・ショア監督の『同級生』の新鮮さはそこにある。この映画では、ゲイの若者が保守的な町のなかで、アイデンティティを確立していく姿がユーモアたっぷりに描かれるが、まず注目しなければならないのがその舞台だ。南部のなかでも伝統的な田園志向の郊外ではなく、アメリカを思わせる実在のニュータウンを舞台にしている。

 そこにあるのは伝統的な保守性ではなく、豊かさの理想からくる保守性であり、物質的な豊かさでは抑制しきれないのが個人の肉体なのだ。先述した『バタフライ・キス』では、個人の存在がボディ・ピアスやチェーンで拘束された肉体に集約されていた。この映画では、そこまで強烈なイメージは見られないものの、主人公はやはり肉体を通して画一的なコミュニティから一歩踏みだすことになる。

 そして、この肉体をさらに突き詰めるのが、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』を映画化したパトリス・シェロー監督の『インティマシー/親密』だ。『マイ・ビューティフル・ランドレット』や『サミー&ロージィ』など、かつてクレイシがサッチャリズムを色濃く反映した脚本を手がけてきたことを思い起こすなら、フランス人監督シェローとの組み合わせは不自然に見える。しかし、サッチャリズム以後のこの個人の在り様と肉体が彼らを結びつける。


―プラットホーム―

 Zhantai
(2000) on IMDb


※スタッフ、キャストは
『プラットホーム』レビューを参照のこと

―同級生―

 Get Real
(1998) on IMDb


◆スタッフ◆

監督   サイモン・ショア
Simon Shore
原作・脚本 パトリック・ワイルド
Patrick Wild
撮影 アラン・アーモンド
Alan Almond
編集 バリー・ヴィンス
Barrie Vince
音楽 ジョン・ラン
John Lunn

◆キャスト◆

スティーヴン   ベン・シルヴァーストーン
Ben Silverstone
ジョン ブラッド・ゴートン
Brad Gorton
リンダ シャーロット・ブリテン
Charlotte Brittain
教師 リチャード・ホーレイ
Richard Hawley
ケヴィン ティム・ハリス
Tim Harris
ジェシカ ステイシー・ハート
Stacy Hart
(配給:アスミック・エース)
 

―インティマシー/親密―

 Intimacy
(2001) on IMDb


◆スタッフ◆

監督/脚本   パトリス・シェロー
Patrice Chereau
原作 ハニフ・クレイシ
Hanif Kureishi
脚本 アンヌ=ルイーセ・トリヴィディク
Anne-Louise Trividic
撮影 エリック・ゴーティエ
Eric Gautier
編集 フランソワ・ジュディジエ
Francois Gedigier
音楽 エリック・ヌヴー
Eric Neveux

◆キャスト◆

ジェイ   マーク・ライランス
Mark Rylance
クレア ケリー・フォックス
Kerry Fox
アンディ ティモシー・スポール
Timothy Spall
ヴィクター アラステア・ガルブレイス
Alastair Galbraith
イアン フィリップ・カルヴァリオ
Philippe Calvario
ベティ マリアンヌ・フェイスフル
Marianne Faithful
(配給:日本ヘラルド)
 
 


 クレイシの原作では、家族を捨てようとしている男の最後の一日に起こる出来事や心に去来するものが克明に綴られる。男はかつてサッチャリズムに抵抗したこともあるが、いまは豊かな中流家庭のなかにあり、束縛や疎外を感じている。そして彼が家を出ようとするのは、政治が経済的な豊かさに完全に移行した時代のなかで、未来に対する唯一の不確定要素である肉体を生きようとするからだ。

 シェローが惹かれたのは、まだ見えないこの男の未来であり、それはフランス映画的な題材ともいえる。映画は原作から大胆に踏み出し、家を出て匿名的な肉体と化した男と家族を持ちながら匿名的な肉体と化した女が、親密な関係を築き上げる可能性を探求していく。

 しかし原作と主題がずれてしまうわけではない。クレイシは語る「現代人はもはや伝統的な政治に興味を失っているんだと僕は思う。政治とは今や肉体の中にある」。『プラットホーム』の風俗や家族の光景に政治があったように、個人の在り方についてさらにその先を見つめようとするこの映画では肉体のなかに政治があるのだ。

《参照/引用文献》
『ぼくは静かに揺れ動く』ハニフ・クレイシ●
中川五郎訳(アーティストハウス、2000年)


(upload:2009/07/02)
 

《関連リンク》
ジャ・ジャンクー・インタビュー01 ■
ジャ・ジャンクー・インタビュー02 ■
サッチャリズムとイギリス映画――社会の急激な変化と映画の強度の関係 ■
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