生と死ではなく個と無という観点から戦争に迫る
――『シン・レッド・ライン』と『U・ボート ディレクターズ・カット』をめぐって


シン・レッド・ライン/ The Thin Red Line―――――――――――― 1998年/アメリカ/カラー/171分/スコープサイズ/ドルビーSRD・SDDS
U・ボート ディレクターズ・カット/Das Boot-The Director’s Cut―― 1981・1997年/ドイツ/カラー/209分/ヴィスタ/ドルビー
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(初出:「中央公論」、若干の加筆)

 

 

 アメリカではスティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』につづいてテレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』が公開されたことから、第二次大戦を題材にした二本の映画がさかんに比較され、それが後者の観念的な難解さを強調する結果を招いている。

 70年代に『地獄の逃避行』と『天国の日々』で注目されたマリックが20年ぶりに監督したこの新作は、戦争映画として見るならかなり異色の作品であり、この比較には根本的に無理があると思うが、強いてその違いを言葉にするなら、前者のドラマがあくまで生と死に支配されているのに対して、後者は個と無を見つめているといえる。

 そしてこの個と無という主題について、逆にこの『シン・レッド・ライン』とぜひ対置してみたくなるのが、3時間29分のディレクターズ・カットとして甦ったドイツ映画『U・ボート』だ。

 81年のオリジナルは日本でも大きな話題になったので、あの凄まじい緊迫感で描きだされる乗組員たちの苛酷な体験や予想もしない悲劇的な結末が印象に残っている方も多いかと思う。ディレクターズ・カットでは、乗組員個々の人物像や心理、人間関係などが詳細に描き込まれ、監督の意図がより鮮明に伝わってくる作品になっている。

 この映画では、乗組員たちのほとんどが敵の姿すら見ることがない。彼らは、陸上の戦闘のように単独で手柄を立てることもできず、感覚をとぎすまして身を守ることもできず、狭い空間のなかでU・ボートの一部と化し、海という自然と戦いつづける。そして激しい攻撃のために機能を失ったUボートが水深280メートルの海底に沈み、水圧でボルトが吹き飛び、酸素が残り少なくなっていくとき、この集団からは個人という境界が完全に消失し、あたかもひとつの存在であるかのような感覚が浮かび上がってくる。

 そんな彼らは最後に個人に立ち返り、初めて目の当たりにする敵を前に無力さをさらけ出す。アクション主体のオリジナルではそれはあくまで生と死をめぐるドラマの帰結だったが、この作品ではこの結末があらためてひとつの魂を共有する特殊な感覚を際立たせることになり、観客は生と死ではなく、個と無について考えざるをえなくなる。

 『シン・レッド・ライン』では、42年にガナルカナル島に上陸したアメリカ陸軍のC中隊が、日本軍が防備を固める丘陵を占領するために死闘を繰り広げるが、そんなドラマからもひとつの魂を共有する感覚が浮かび上がる。マリックの作品にはモノローグを多用する特徴があるが、この映画の冒頭には「人間はひとつの大きな魂を共有しているのか」とか「いくつもの顔を持つ一人の男なのか」という言葉があり、戦場が混乱するに従って兵士たちのモノローグはそれが誰の言葉なのかすら判然としなくなる。

 さらにドラマのなかに内面的な世界を切り開いていくウィットとベルというふたりの二等兵には、故意に顔立ちが似た俳優が起用され、彼らの判別が難しい瞬間も多々ある。マリックは、このひとつの魂を暗示するモノローグや美しく冷酷な自然の映像を通して、表層的な戦争のドラマとともにもうひとつの戦いを描きだしていく。

 彼の以前の作品では、社会のなかで存在を否定されることから逃れようとする主人公が、善悪や生死の境界も定かではない空間へと踏みだし、自然のなかに溶け込んでいく姿を通して独自の観点から人間の本性が浮き彫りにされてきた。新作ではその世界がさらに別な方向へと導かれる。


 

―シン・レッド・ライン―

 The Thin Red Line
(1998) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   テレンス・マリック
Terrence Malick
原作 ジェイムズ・ジョーンズ
James Jones
撮影監督 ジョン・トール
John Toll
編集 ビリー・ウェバー、レスリー・ジョーンズ
Billy Weber, Leslie Jones
音響 ハンス・ジマー
Hans Zimmer

◆キャスト◆

ウェルシュ曹長   ショーン・ペン
Sean Penn
ウィット二等兵 ジム・カヴィーゼル
Jim Caviezel
ベル二等兵 ベン・チャップリン
Ben Chaplin
ファイフ伍長 エイドリアン・ブロディ
Adrien Brody
ボッシュ大尉 ジョージ・クルーニー
George Clooney
ガフ大尉 ジョン・キューザック
John Cusack
ケック軍曹 ウディ・ハレルソン
Woody Harrelson
スタロス大尉 エリアス・コーティアス
Elias Koteas
トール中佐 ニック・ノルティ
Nick Nolte
ストーム軍曹 ジョン・C・ライリー
George C.Reilly
マクローン軍曹 ジョン・サヴェージ
John Savage
ホワイト少尉 ジャレッド・レト
Jared Leto
(配給:松竹冨士)
 
 

―U・ボート ディレクターズ・カット―

 U-Boto
(1981) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ウルフガング・ペーターゼン
Wolfgang Petersen
原作 ロータル=ギュンター・ブーフハイム
Lothar-Gunther Buchheim
撮影 ヨスト・ヴァカーノ
Jost Vacano
編集 ハンネス・ニーケル
Hannes Nikel
音楽 クラウス・ドルディンガー
Klaus Doldinger

◆キャスト◆

艦長   ユルゲン・プロホノフ
Jurgen Prochnow
ヴェルナー少尉 ヘルベルト・グレーネマイヤー
Herbert Gronemeyer
機関長 クラウス・ヴェンネマン
Klaus Wennemann
第一当直士官 フーヴェルトゥス・ベンクシュ
Hubertus Bengsch
第二当直士官 マルティン・ゼメルロッゲ
Martin Semmelrogge
一等航海士 ベルント・ダウバー
Bernd Tauber
ヨハン アーウィン・レダー
Erwin Leder
ウルマン少尉 マルティン・マイ
Martin May
ヒンリッヒ ハインツ・ヘーニッヒ
Heinz Hoenig
兵曹長 ウーヴェ・オクセンクネヒト
Uwe Ochsenknecht
アリオ クロード=オリバー・ルドルフ
Claude-Oliver Rudolph
ピルグリム ヤン・フェダー
Jan Fedder
トムゼン オットー・ザンダー
Otto Sander
(配給:日本ヘラルド映画)
 

 

 

 この映画を観て筆者が思いだすのは、50年代末を背景とした『地獄の逃避行』の終盤のある場面だ。罪もない人々を動機もなく次々に殺害し、逮捕された主人公キットは、米軍基地から空路で護送される。この場面のキットと兵士たちのコントラストには、戦後の社会における個人と組織の深い溝が浮き彫りにされていたが、新作はその溝を象徴的に掘り下げる作品と見ることができる。

 というのもこの映画は、戦場で無許可離隊を繰り返す札付きのウィット二等兵が、南海の楽園のなかで自然や原住民に溶け込み、戯れている姿を描くところから始まる。ところが戦友が次々と倒れていくのを目の当たりにした彼は自らの意思で銃をとる。しかしそんな彼の世界のなかでは戦う相手は日本軍ではなく自然であり、ひとたび自然を敵にまわしてしまった彼にとって軍隊、というよりも人間そのものがUボートに閉じ込められた乗組員たちのようにひとつの存在なのだ。

 マリックは、モノローグや自然の映像にこのウィットの感覚を投影し、日本軍との戦争と自然との戦いが複雑に入り組む混沌とした世界を作り上げていく。結局ウィットは、このひとつの存在を守るために自ら日本軍の囮になる道を選ぶが、彼の世界のなかでは日本軍はあたかも緑のジャングルがかたちを変えたかのように現れ、彼を取り囲み、彼は狐につままれたような表情を見せる。

 彼の行為は、表層的なドラマでは『プライベート・ライアン』のように未来のための尊い犠牲を意味するが、もうひとつのドラマは違うことを物語っている。それをあえて言葉にするなら、戦争という枠を越えたある時代の完全な終焉、あるいは人間の魂の死ということになるだろう。


(upload:2014/01/03)
 
 
《関連リンク》
ジム・カヴィーゼル・インタビュー 『シン・レッド・ライン』 ■
テレンス・マリック 『トゥ・ザ・ワンダー』 レビュー ■
テレンス・マリック 『地獄の逃避行』 レビュー
(※ブルース・スプリングスティーン論の一部)
■
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