|
このコメントで筆者が思い出すのは、先述した『Russia's Youth and Its Culture』の二部で、著者が書いていることだ。党やコムソモールは、ペレストロイカ以後に表舞台に続々と登場してくる若者たちの対応に苦慮する。たとえば彼らは、パンク、ヘヴィメタのファンやヒッピー、バイカーたちを、まともな路線に導くために、専用のクラブを設置し、バンドの活動などまで手助けする。
これは、犯罪に走らなければ、公的機関が何でも協力することを意味する。
そうなると確かに、サブ・カルチャーは意味を失うことになる。そして、ヌグマノフが映画を一本使ってサブ・カルチャーを埋葬するのも、前向きなメッセージのように思えてくるのである。あるいはこれは、『ゼロシティ』に出てくるあの博物館のサブ・カルチャー版ともいえる。『七人の侍』という入れ物に、意味を失ったサブ・カルチャーの残骸をすべて放り込み、過去へと葬り去るということだ。
■■「私は20歳」とスティリャーギ■■
そしてここでもう一本注目してみたいのが、マルレン・フツィエフ監督の『私は20歳』だ。この映画は一見したところ、これまでの流れとはまったく関係ないように見える。『私は20歳』は62年に製作されたソビエト映画で、政治的な圧力によって大幅な修正を余儀なくされ、公開も65年まで延期された作品であるからだ。ちなみに今回公開されるのは、監督自らが復元した完全版である。
映画の時代背景は、フルシチョフが脱スターリン政策を打ち出したいわゆる雪どけ≠フ時代。社会は活気にあふれ、信じられないほど明るく華やかな61年のメーデーの実写などもおさめられている。映画は、兵役を終えてモスクワに戻ったセリョージャという若者を主人公に、教養豊かで奔放に生きるアーニャとの出会い、親友や家族の絆、独ソ戦を経験した父親の世代との断絶などを描いている。
光のとらえ方やカメラワークが素晴らしく、とても62年の映画とは思えないほどスタイルが洗練されている。
そんな作品をここで取り上げたいと思ったのは、ソビエトのユース・カルチャーの先駆的な存在である"スティリャーギ"を通して、この映画が現代と結びつくからだ。このスティリャーギについては、アルテーミー・トロイツキーが書いた『ゴルバチョフはロックが好き?』の第一章に詳しい。彼らは50年代に登場し、主に正装したファッションでジャズやダンスに熱中し、大いに周囲の顰蹙を買った。
ところが、雪どけの時代のなかでこうしたムーヴメントはすたれていく。当時のソビエトには、『私は20歳』のメーデー・シーンに象徴されるように、国家としての勢いがあり、頽廃や不満は流行らなかったからだ。しかし、それでもスティリャーギを続けていた者たちもいたという。
『私は20歳』では、アーニャと彼女の仲間たちが、このスティリャーギにあたる。主人公セリョージャは、そんなアーニャや生活に疲れていく勤勉な親友、そして、21歳で戦死した父親の世界の狭間で、自分を探し、苦悩していくのである。という意味では、これも未知の体験から生まれたドラマなのだ。
そして実は、『Russia's Youth and Its Culture』に紹介された系図には、80年代に表舞台に出てきたスティリャーギのグループも含まれている。著者によれば、80年代のスティリャーギの第一世代は、直接西側に関心を向けるのではなく、ファッションから音楽まで50年代のスティリャーギをコピーしていた。そこには、西側どっぷりの若者たちとの差別化の意識もあるが、
明るい未来が見えていた戦後の時期の楽天的な精神を再現したいという気持ちがあったというのだ。
そんな80年代のスティリャーギの気持ちも踏まえて、『私は20歳』を観ると、この映画の世界はいっそう身近に感じられることだろう。
|