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『アメリカン・ヒストリーX』の主人公であるふたりの兄弟は、消防士の父親が勤務中に黒人のヤクの売人に殺されたことがきっかけで、白人至上主義者となり、そのことが彼らにさらに救いのない悲劇をもたらす。
しかしもっと悲劇的なのは、この映画がまず何よりも人種差別の問題を扱った作品だとみなされることだろう。
80年代から90年代にかけて、アメリカ社会は見えないところで大きく変化してきている。80年代にレーガンを大統領にしたのは、確かにサバービアに暮らす保守的な有権者たちだった。しかし現代では、
大統領選の行方を左右するサバービアで多数派となっているのは、たとえばG・スコット・トマスの『THE UNITED STATES OF SUBURBIA』で詳しく分析されているように、保守でもリベラルでもない中道派である。
トマスによれば、社会ではなく自分たちの生活環境に強い関心を持つこの多数派の人々は、弱者を救うために税金が費やされることを望まないが、独力ではい上がってくる人間は人種の違いにかかわらず、快く迎え入れるという。
要するに現代のアメリカで人間を分けているのは人種ではなく圧倒的に貧富の差なのだ。筆者がICQでよく話をするアメリカ人はその事実を、ある人間をニガー≠ノしてしまうのは肌の色ではなく銀行口座の預金の違いなのだと表現したが、まったくその通りだと思う。
ではなぜその事実が人種差別の問題にすりかわるのか。中流になれないマイノリティは都市のスラムに取り残され、中流の生活から後退していく白人たちは、サバービアの外縁ではなく、都市の周縁に暮らすことを余儀なくされる。
そして、都市の荒廃が周縁に波及していくとき、そこに憎しみが生まれるからだ。
アメリカでは91年のロドニー・キング事件、92年のロス暴動、94年のO・J・シンプソン事件、95年のミリオン・マン・マーチなど、90年代前半に人種問題が大きな注目を浴び、世の中を動かすような結束が生まれるかに見えた。しかし結果的には何も変わらなかった。
それは当然といえば当然だろう。本当の問題は肌の色ではないのだから。
もちろんこの映画の兄弟は、そんなふうに見えないところで社会が変化していることを知らない。彼らはかつては都市周縁の白人のサバービアに暮らしていたが、膨張するマイノリティのコミュニティがそこにも広がり、
父親が命を落とすに及び、白人至上主義に傾倒していくのだ。
しかし刑務所に入れられた兄が、ひとりの黒人の囚人と、白人と黒人ではなく、個人と個人として関係を持つとき、彼は確実に変化する。そして自由の身になった彼は、弟の目も開かせ、家族を立て直そうとするが、人種の対立が悲劇をもたらす。
その悲劇があまりにも救いがないように見えるのは、問題が人種差別ではなく、別のところにあるからだ。それゆえ一番の悲劇は、映画の主題を人種差別の問題だと思い込み、それを既成事実とすることなのである。
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