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『羊たちの沈黙』のハンニバルは、周到な計画性と凶暴性を発揮する。連続殺人犯バッファロウ・ビルの捜査に協力するふりをして、警備にあたる警官を殺害し、そして欺き、逃亡を果たすのだ。しかし、彼のキャラクターについて考える上で、より興味深いのは、彼に協力を求めるFBI訓練生クラリス・スターリングが背負うトラウマであり、彼女が見る悪夢だ。ハンニバルは、バッファロウ・ビルに関する手掛かりと引換えに、彼女から子供時代の記憶を引き出し、深層心理を探っていく。
クラリスにとって、子供時代の最悪の記憶は、父親の死だ。警察官だった父親は、強盗に撃ち殺されたのだ。その後は、母親が一家を支えることになり、長女だったクラリスはやがて、母親の従姉妹で牧場を営む夫婦に預けられる。10歳のクラリスはそこで、屠殺される子羊たちがあげる悲鳴を耳にし、目のよく見えない馬と逃げ出した。そしていまでも、子羊たちの悲鳴で目覚めることがある。
ハンニバルがクラリスに特別な関心を持っていることは間違いないが、それらはあくまで彼女の個人的な体験であり、人間の価値基準が通用しない怪物として超越的な高みにある彼には、関係のないことのように見える。しかし、彼女のこのトラウマや悪夢は、『ハンニバル』におけるハンニバルのキャラクターの進化に繋がっていく。フィレンツェに潜伏する彼には、トラウマがあり、悪夢がある。「そのうち両眼をひらくと、彼は突然、完璧に目覚めた。はるか昔に食われて死んだ妹ミーシャの夢が、断ち切られることなく、覚醒した意識に流れ込んでいる」。さらに、アメリカに向かうジャンボ機の機内では、彼がミーシャの夢から逃れることができず、「突き刺すような悲鳴」をあげて目覚めるのだ。
『レッド・ドラゴン』では、共通する資質を持つハンニバルとグレアムが、レッド・ドラゴンを媒介として、激しくせめぎ合っていた。『羊たちの沈黙』と『ハンニバル』では、それとは異なる次元で、ハンニバルとクラリスの深層心理が掘り下げられ、ふたりは、幼児期の体験と悪夢を通して深く結びつき、世界を共有していくことになる。
そして、これらの物語に先立つ若き日のハンニバルを描く『ハンニバル・ライジング』では、彼の幼児期の体験と悪夢が、『ハンニバル』に盛り込まれたエピソードとは異なる視点からとらえられていく。冒頭でも少し触れたように、小説と映画の『ハンニバル・ライジング』では、6歳のハンニバルが、部分的な記憶を失うことがひとつのポイントになる。そこで生きてくるのが、「ヘンゼルとグレーテル」をモチーフにした悲劇と悪夢の描写だ(小説には、ハンニバルの乳母が、2歳の彼に「グリム童話」を読んで聞かせるというエピソードも盛り込まれている)。成長したハンニバルは、男たちがミーシャを連れ去る悪夢に悩まされるが、ミーシャに何が起こり、男たちが何者だったのかを思い出すことができない。この小説と映画は、彼の不安と恐怖と怒りを、残酷なお伽話を通して表現している。
そんなハンニバルとレディ・ムラサキの関係は、彼とクラリスのそれに通じるものがある。レディ・ムラサキにも、広島への原爆投下によって自分の世界を失った過去があり、彼女とハンニバルの間には、母親と息子とも女と男ともいえる感情が垣間見られる(小説には、ハンニバルの叔父で、レディ・ムラサキの夫であるロバートが登場し、急死するまでハンニバルの父親代わりとなる)。しかしもちろん、レディ・ムラサキとの絆が、ハンニバルの深い傷を癒すことはない。
壮絶な復讐へと突き進んでいくハンニバルには、『レッド・ドラゴン』以降の彼のキャラクターにはない激しい情念がある。そんな彼の姿は、むしろ『羊たちの沈黙』のクラリスを想起させる。ハンニバルは、彼女にこう尋ねる。「きみの手でバッファロウ・ビルを捕え、キャザリンを無事救出したら、子羊たちの悲鳴を止めることができる、と思うかね、子羊たちも無事だし、自分がまた闇の中で目を覚まして子羊たちの悲鳴を聞かなくなる、と思うかね? クラリス、どうだ?」。彼女の答えは、「はい。判りません。事によると」だが、実際には、それを完全に肯定するような強い意志を持って捜査にのめり込んでいく。そして、若きハンニバルもまた、それを成し遂げれば悪夢を消し去れるかのように、復讐にのめり込む。しかし、そのクライマックスで彼は、グルータスから恐ろしい真実を告げられる。それはまさしく、新たな悪夢の始まりであり、彼の目には怪物が宿り出すのだ。 |