母なる証明
Mother


2009年/韓国/カラー/129分/シネマスコープ/ドルビーSRD
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(初出:「CDジャーナル」2009年11月号、EAST×WEST06、若干の加筆)

軍事主義以後、日常に潜む個人の闇を炙り出す

 若き巨匠ポン・ジュノの新作『母なる証明』の主人公は、漢方薬店で働きながら一人息子のトジュンを育て上げた母親だ。ある日、この母子が暮らす静かな町で女子高生が殺害され、トジュンが容疑者として拘束されてしまう。母親は息子の無実を信じ、独力で真犯人を探し出すために奔走する。

 ストーリーについては、監督の意向でこれより先のことは語れない。だが、ネタバレ部分を意識しすぎると、作品の本質を見失うことになるだろう。

 この映画は抽象度が高く、多様な解釈、あるいは想像を可能にする。母親には特定の役名がない。トジュンは見た目より幼く、精神的に乳離れしていないが、その事情は説明されない。これまでのポン・ジュノの作品とはまったく異なる視点から作られていることは間違いないが、だからといって繋がりがないとは限らない。

 『殺人の追憶』『グエムル―漢江の怪物―』に描き出される北の脅威や軍事政権、米軍駐留の根底には軍事主義があった。『韓国フェミニズムの潮流』所収のクォン・インスクの論文では、軍事主義が以下のように説明されている。

集団的暴力を可能とする集団が維持され力を得るために必要な、いわゆる戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさの社会的形成とともに、このような集団の維持・保存のための訓練と単一的位階秩序、役割分業などを自然のことと見なすようにするさまざまの制度や信念維持装置を含む概念

 イム・サンスの『ユゴ 大統領有故』やユン・ジョンビンの『許されざるもの』では、政治や軍隊の世界を通してその軍事主義なるものが浮き彫りにされていた。ポン・ジュノの凄さは、農村や普通の家族というより身近な世界を通して、軍事主義そのものではなく、それが日常生活に及ぼす影響、日常が歪むことによって広がる闇の部分を、間接的に描き出すところにある。

 『殺人の追憶』と『グエムル―漢江の怪物―』では、連続殺人犯や怪物が軍事主義が生み出す歪みを象徴し、それらに翻弄される人々の姿を通して闇が描き出された。二作品が炙り出すのは、外的な力だといえる。これに対して新作では、そうした歴史を踏まえつつ、外的な力が衰退していく世界を舞台に、個人の内面が掘り下げられていく。社会を動かす力の源が、政治から経済に移行していく時代のなかで、母と息子、男と女の関係はどのように変化していくのか。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/原案   ポン・ジュノ
Bong Joon-Ho
脚本 パク・ウンギ
Park Eun-kyo
撮影 ホン・クンピョ
Hong Kyung-Pyo
編集 ムン・セギョン
Moon Sae-kyoung
音楽 イ・ビョンウ
Lee Byeong
 
◆キャスト◆
 
母親   キム・ヘジャ
Kim Hye-Ja
トジュン ウォン・ビン
Won Bin
ジンテ チン・グ
Jin Goo
ジュムン刑事 ユン・ジェムン
Yun Je-Mun
ミソン チョン・ミソン
Jeon Mi-Seon
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(配給:ビターズ・エンド)
 

 たとえば、トジュンとは、男らしさを強要する制度が次第に効力を失っていく世界のなかで、通過儀礼を経験することなく成長した青年と解釈することができる。そんな彼は、友人のジンテから女を知らないことをからかわれ、女を意識するようになり、そのために事件の被害者の女子高生と接点を持つ。

 軍事主義が衰退したからといって、それ以前の伝統的な社会が復活するわけではない。殺害された女子高生が持つもうひとつの顔は、男と女の関係の変化を物語る。では、息子と無理やり引き離される状況に陥った母親は、伝統も軍事主義もない空白のなかで、現実とどう向き合うのか。それが極限まで突き詰められていく。

 しかし、この映画にはもうひとつ、見逃すわけにはいかない重要な要素がある。殺害された女子高生の友だちは、携帯電話を改造する特技を持っている。トジュンの母親と親しい隣人で、写真館を営む女性ミソンは、フォトショップを使って写真を巧みに修整してみせる。そして、母親は、鍼をツボに刺すことによって記憶を消し去ることができる。

 こうした特技は、女子高生の殺人事件と照らし合わせてみると、より興味深いものになるだろう。女子高生の遺体は、発見されにくい場所に隠されるのではなく、人目に触れるように屋上の手すりに立てかけられていた。この事件には、隠されたものを暴くという象徴的な意味がある。これに対して、女性たちの特技、改造・修正・消去は、現実を隠すという象徴的な意味を持つ。

 この映画は、草原を彷徨う母親の奇妙な踊りで始まる。そして、映画のラストではそれが、忘却の踊りであることが明らかになる。現実が隠され、忘却されれば、日常に潜む闇は深くなる。『殺人の追憶』のラストでは、元刑事がかつて女性の遺体が発見された用水路の暗がりを覗き込む。それは、人々が共有した深い闇と個人の闇との隔たり、歴史の終わりとそれ以後の時間との断層を示唆していた。『母なる証明』で私たちは、歴史の終わり以後の時間を生きる個人の闇を見る。その闇は、『殺人の追憶』で示唆されたものよりも、深くなっているように思える。

《参照/引用文献》
『韓国フェミニズムの潮流』チャン・ピルファ、クォン・インスク、他●
西村裕美編訳(明石書店、2006年)

(upload:2009/12/13)
 
 
《関連リンク》
『殺人の追憶』レビュー ■
『グエムル 漢江の怪物』レビュー ■

 
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