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現代のロンドンを舞台にした新作『ひかりのまち』には、そんなウィンターボトムの映画的感性が遺憾なく発揮されている。『バタフライ・キス』にはサッチャリズムによる社会の変化が反映されていたが、『ひかりのまち』は、その後の社会と個人の関係を描きだす作品といえる。
この映画でロンドンを華やかに彩る光は、豊かになった社会を象徴している。しかし豊かさのなかで、人々は孤立しつつある。生き方の選択肢は広がったものの、それぞれが理想を追ううちに自分だけの世界にはまり込んでいる。切り捨てられた弱者の次に見えてくるのは、一見満ち足りた家族のなかで孤立する個人の姿なのだ。
実家から独立してそれぞれの生活を営む三姉妹。ドラマの軸となるナディアは、カフェでウェイトレスとして働き、伝言ダイアルで恋人を探している。伝言ダイアルは出会いの可能性を広げるかに見えるが、それが仕事を機械的な労働に変えてしまい、彼女はカフェで自分だけを見つめる眼差しにすら気づかない。
離婚した姉のデビーは、息子のジャックと暮らし、男との付き合いを遊びと割り切っている。出産を間近にひかえた妹のモリーは、堅実な道を歩んでいるかに見えるが、夫がもっとやりがいのある仕事を求めて退職してしまったことを知らない。
さらに、自分から生き方を変えることができないこの姉妹の母親は、自分の人生に対する苛立ちを、夫や隣人への不満にすりかえて生きている。父親は、家出したまま行方がわからない息子のことを気づかい、寂しさをかみ締めている。
ウィンターボトムは手持ちカメラでこの家族と彼らを取り巻く人々を追いつづける。それぞれに異なる想いを胸に秘め、それを誰とも分かち合えない彼らは、時に光に飲み込まれそうになりながら、ロンドンの街を彷徨う。生き方の選択肢が限られていた時代には、人々の日常はコミュニティに支えられ、 彼らは生活の場を同じものとして共有していた。しかしそんな基盤が失われたいま、同じ街に生きながら、彼らはそこに異なる世界を見ている。その異なる世界が交錯していくとき、ロンドンの街は映画の原題である”ワンダーランド”と化していく。
それゆえにこの映画では、サッカー観戦や花火大会の場面が際立ってみえる。それは人々が空間を共有し、同じものを見つめ、一体となるつかの間の時間であるからだ。ウィンターボトムは、そんな場面で試合や花火そのものではなく、それを見つめる人々にカメラを向け、 彼らの表情の輝きをとらえる。しかしその輝きはもちろん、日常における人々の孤立感を逆説的に物語ってもいる。
家族のある週末を描くこの映画では、彼らが右往左往する出来事が起こり、そして最後にはいつもと変わらない一週間がまた始まるように見える。しかし彼らの心には確かな変化がある。彼らが孤立するのは家族という前提があるためだが、この週末のなかで彼らはそれぞれに自分がひとりであることを知る。
この映画には、ナディアが伝言ダイアルで知り合った男に、子供の頃よく孤児になった自分を夢想していたと語る場面があるが、彼らはまさにひとたび孤児になるのだ。そして、孤立しているのではなく、ひとりであることを受け入れたところから、あらためて自分の身近にいる人間と言葉を交わし、手を差しのべ、絆を作り上げていこうとするのである。
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