瞳の奥の秘密
El Secreto de sus ojos / The Secret in Their Eyes


2009年/スペイン=アルゼンチン/カラー/129分/スコープサイズ/ドルビーSR・SRD
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(初出:未発表)

 

 

1970年代アルゼンチンの悲劇
時間の檻を開く鍵となる“小説”

 

 2010年のアカデミー賞で最優秀外国語映画賞に輝いたファン・ホセ・カンパネラ監督の『瞳の奥の秘密』では、ふたつの時代を往還しつつ物語が紡ぎだされていく。

 長年務めた刑事裁判所を定年退職したベンハミンは、25年前の殺人事件を題材に小説を書こうと決意し、事件を担当していたときの上司イレーネを訪ねる。当時、判事補だった彼女は検事に昇格していた。そして、ベンハミンが事件を小説にすることを彼女に告げたとき、ふたりの間に久しぶりの再会の喜びや懐かしさとは異質な空気が漂いだす。

 その事件は、1974年にブエノスアイレスで起きた。銀行員の夫リカルドと幸せな新婚生活を送っていた23歳の女性教師リリアナが、自宅で暴行され殺害された。

 ベンハミンはなぜ25年も経ってからこの事件のことを書こうとするのか。おそらく本人も自分がなにを求めているのかはっきりわかっているわけではないだろう。なぜなら、事件と個人的な感情や社会情勢が複雑に絡み合い、出口のない闇が彼の心を蝕んでいたからだ。

 個人的な感情とは、ベンハミンのイレーネに対する秘めた想いだ。事件を担当したベンハミンは、ゴメスという容疑者を割り出すが、証拠を見つけ出すための不法侵入が災いし、事件は面倒を避けたい判事によって未解決のまま葬られてしまう。だが、事件から一年経ってもゴメスを探し続ける銀行員の夫リカルドの姿が、ベンハミンの心を揺さぶる。もちろん、リカルドの亡妻への想いが彼には痛いほどよくわかるからだ。

 そして、ベンハミンと部下のパブロが執念で捕らえたゴメスから自白を引き出したのは、イレーネだった。自分の胸元を見つめるゴメスの異様な眼差しに気づいたイレーネは、容疑者を大胆に挑発し、その本性を暴きだす。イレーネに殴りかかるゴメスから彼女を守ろうとするベンハミンの姿には、その想いが露になっている。

 しかし、そんな個人的な感情よりもさらに重要なのが、当時の社会情勢だ。ゴメスは終身刑を宣告されるが、ほどなくしてそんな重罪犯が、護衛として大統領に付き添っていることが明らかになる。この映画は、その背景をほとんど描いていないが、そのことが逆に強烈なインパクトを生み出している。

 そこで筆者が思い出していたのは、最近読んだアルゼンチンの作家マルコス・アギニスの長編『天啓を受けた者ども』のことだった。この小説の背景には70年代のアルゼンチンがあり、物語には実在の人物や事実が散りばめられている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/編集   ファン・ホセ・カンパネラ
Juan Jose Campanella
脚本 エドゥアルド・サチェリ
Eduardo Sacheri
撮影 フェリックス・モンティ
Felix Monti
音楽 フェデリコ・フシド
Federico Jusid
 
◆キャスト◆
 
ベンハミン・エスポシト   リカルド・ダリン
Ricardo Darin
イレーネ・メネンデス・ヘイスティングス ソレダ・ビジャミル
Soledad Villamil
リカルド・モラレス パブロ・ラゴ
Pablo Rago
イシドロ・ゴメス ハビエル・ゴディーノ
Javier Godino
パブロ・サンドバル ギレルモ・フランチェラ
Guillermo Francella
バエス警部 ホセ・ルイス・ジョイア
Jose Luis Gioia
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(配給:ロングライド)
 
 
 

 たとえば、超大物大臣ホセ・ロペス・レガのエピソードは、この映画の世界と深く関わっている。ホセ・ロペス・レガは、国家元首がカンポラ、ラスティリ、ベロン、未亡人イサベルと移り変わっても、政権の中枢に居座りつづけた。そして、この影の権力者は、残忍な極右民兵組織トリプルA(AAA:アルゼンチン反共同盟)を秘密裏に創立した。そのトリプルAがやったことは、以下のように描かれている。

国内の通りという通りで反体制派の一掃を開始し、始末した遺体は道路沿いの排水溝、とりわけエセイサ国際空港に続く幹線道路の脇に放られた

 この映画のゴメスは、そのトリプルAにリクルートされて、自由の身となる。ゴメスが解放されたことを知ったベンハミンとイレーネは、陳情に訪れた建物のエレベーターでゴメスに再会する。ふたりの後から乗り込んできた彼が、背中を向けておもむろに銃を取り出し、彼らを威圧する場面は強烈な印象を残すことだろう。

 だが、描かれないことのインパクトはそれだけではない。なぜなら、これはまだ最悪の状況ではないからだ。この映画に描かれる70年代の物語は、1976年3月に勃発する軍事クーデターの直前で終わっている。それから事態はさらに悪化することになる。『天啓を受けた者ども』には、それが以下のように表現されている。

軍事評議会によって牛耳られた首脳陣が下す命令は、身震いするほど傲慢なものだった。残虐行為を繰り返す者たちの猛威を前に、無数の善良な市民が屈服するか、国外に(運よく空港で捕まらなければ)脱出するしかなく、何千もの家族が喪に服すようになった。やがて目撃者のあるなしにかかわらず、身内や友人のだれかが突然姿を消したという経験のないアルゼンチン人はひとりもいなくなった。人身保護令状は死文と化し、ゲリラ側も軍側もためらうことなく銃撃戦を繰り返す。悪の解決にはさらに残虐な暴力をもって対処するしかなく、社会全体が気力を失い、茫然自失となった

 そういう意味でこの映画の設定は絶妙だといえる。なぜなら、クーデター以後まで物語を引き延ばしていれば、ベンハミンの部下のパブロが何者かに殺害されるというような悲劇は、騒乱のなかに埋もれてしまっただろう。しかし一方で、この映画の観客は、ベンハミンを襲った悲劇を、間違いなくクーデター以後と結びつけて観る。だからこそ、描かれないことが強烈なインパクトを生み出す。

 しかし、この映画は、そんなインパクトだけで物語を終わらせない。ベンハミンが小説を完成させるために、かつての銀行員リカルドを探し出し、恐ろしい復讐を目の当たりにするとき、国民の悲劇は個人の次元に置き換えられる(この復讐は、直前の引用のなかの「悪の解決にはさらに残虐な暴力をもって対処するしかなく」という記述の究極を示しているといえるかもしれない)。

 そして小説を書く意味が明らかになる。リカルドの復讐と同じように、ベンハミンもまた時間の檻に閉じ込められ、湧き上がる感情を表に出せずにいた。彼は、過去の呪縛を解き、今も変わらない想いと向き合うために、小説を書いていたのだ。

《参照/引用文献》
『天啓を受けた者ども』 マルコス・アギニス●
八重樫克彦・八重樫由貴子訳(作品社、2010年)

(upload:2010/08/30)
 
 
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