|
この映画で筆者が特に注目したいのは、バーで仕事を紹介された主人公が、目指すビルのところまで来て立ち止まり、しばらく考え込む場面。彼のわきにはクロスロード≠ニ書かれた標識が立っている。この場面と主人公が得る仕事の内容から、
筆者はすぐに有名なブルースマン、ロバート・ジョンスンの伝説を思い浮かべた。ジョンスンには、悪魔に魂を差しだすかわりにブルースの才能を手にしたという伝説がある。〈クロスロードのブルース〉はそんな彼の代表曲で、彼はクロスロードで悪魔と密約をかわしたともいわれる。
これだけのことなら偶然とも思えるが、後で触れるように、この映画にはクライマックスの場面も明らかにブルースのイメージが強く意識されているのである。またジョンスンには〈地獄の猟犬がつきまとう〉という曲もあるが、主人公が川で水を汲むときに現われる男などはそのものといっていいだろう。
この伝説をモチーフにしていることは、この映画を非常に奥深いものにしている。ルイスを殺した主人公は、父親のもとに走り、インディアンの慣習に従って瞑想に入り、アイデンティティを確認しようとする。そこで彼が自己のルーツに本当に触れたのかは、
その後に続くドラマで想像がつく。彼は教会に行って懺悔をするが、本当にルーツを発見していたらキリスト教の世界は彼とまったく相容れないものになっていたはずだ。
しかしそのことがふたつの意味で、この映画を非常にリアルで感動的なものにする。まず、平凡な映画なら主人公はこの瞑想で自己を発見し、インディアンとして死ぬことだろう。しかしこの映画では、そんな結果よりも、
ブルースやヒスパニックといった文化の地層を突き抜けて自分を探そうとする行為そのものが、インディアン云々ということを抜きにして主人公そのものの存在を浮き彫りにする。
もうひとつは、懺悔をきっかけとする主人公と牧師の関係である。彼らのドラマについては、現代のインディアンの社会ではキリスト教徒が多数を占めているという事実を踏まえておく必要があるだろう。先に触れたボーデウィッチの本によれば、
インディアンの高校生を対象にした90年の調査で、70%がキリスト教徒で15%が無宗教、伝統的な宗教に属すると考えられるのはわずかに6%だという。
主人公の懺悔で秘密を知った牧師は、彼を救おうとするが自らの無力さを思い知らされる。そこでブルースが大きな意味を持つことになる。ブルース及び悪魔との密約は、キリスト教を背景として救いのない黒人社会に誕生したものだが、
デップはそれをこの映画でインディアンの立場に置き換えてみせる。インディアンの作家シャーマン・アレクシーは、ロバート・ジョンスンの伝説を題材にした映画「クロスロード」をヒントに、ジョンスンがインディアンの居留地に現れるというエピソードが物語の発端になる「リザベーション・ブルース」を書いた。
デップもジョンスンの伝説をインディアンの世界に引き込むことによって、独自の物語を語るのだ。
約束を果たすために町を出ていく主人公の回りを自転車でぐるぐると回る男は、ブルースにおける悪魔を象徴している。このクライマックスに流れる曲には、〈ブルー・スウェード・シューズを履いた悪魔〉というタイトルがつけられているが、"ブルー・スウェード・シューズ"といえば、
エルヴィスもレパートリーにしていたカール・パーキンスの代表作の名前でもあり、悪魔とブルース〜ロックンロールの関係を意識していることは間違いない。デップはブルースが内包する怖れと心の震えを通して、現代のインディアンの内面に深く分け入っていくのである。
|