ブギーナイツ
Boogie Nights


1997年/アメリカ/カラー/155分/シネマスコープ/ドルビーデジタルSDDS
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(初出:「中央公論」1998年、若干の加筆)

 

 

レーガン政権の“家族の価値”の対極にある真の家族の絆

 

 ポール・トーマス・アンダーソンが26歳にして脚本を書き、監督した『ブギーナイツ』は、1977年、ロサンゼルス郊外の町サンフェルナンド・バレーから物語が始まる。高校を中退し、母親から負け犬呼ばわりされる主人公の少年エディは、皿洗いをしていたクラブで、ポルノ映画の監督ジャックにスカウトされる。

 これといって取り柄はないが、飛びぬけて立派な一物の持ち主だった彼は、ジャックの邸宅に招かれ、チームの一員になる。そこには、ポルノ界の女神アンバーや決してローラースケート靴を脱がないローラーガール、男優のリードやバック、スタッフたちが出入りしていた。そしてエディは、水を得た魚のように男優としてスター街道を驀進していく。

 ポルノ業界の内幕、セックスとドラッグ、70年代ファッションにディスコ・ミュージックなど、この映画には様々な見所があるが、本当に注目しなければならないポイントは別のところにある。監督のアンダーソンは、サンフェルナンド・バレーで育ち、この地域と深く関わる物語を紡ぎ出している。

 この一帯は、ビング・クロスビーの44年のヒット曲<San Fernando Valley>で注目を浴び(この曲には、荷物をまとめてカリフォルニアへ向かい、サンフェルナンド・バレーをわが家にするという詞が盛り込まれている)、ビングの相棒のボブ・ホープが実際に投資した土地が後に目抜き通りとなって発展する。つまり、戦後の時代にいち早く郊外化が進み、裏庭でのバーベキュー、芝生とスプリンクラー、専用プールにスーパーマーケットというサバーバン・ライフの先駆けとなり、新しいアメリカの夢の象徴となったのだ。

 しかし、荒廃が進むのも早かった。80年代半ばには、アメリカのなかでも最も離婚率が高い地域となり、退屈や不満を持て余す若者たちが作るサバーバン・ギャングが様々なトラブルを引き起こし、注目を集めるようになっていた。その背景としてハリウッドの存在が無視できないことは町の成り立ちからも察せられるだろう。もともとハリウッドのセレブたちの社交場だったこの地域は、郊外化が進むだけではなく、ポルノ産業が発展し、アメリカ中のポルノの9割が作られるまでになっていた。

 そうしたことを踏まえてみると、この映画がかなり象徴的な物語になっていることに気づくはずだ。サンフェルナンド・バレーとその周辺には、ハリウッドとサバービアという極めて人工的でアメリカ的なふたつの夢の世界があり、やがてハリウッドからはポルノ産業が発展し、サバービアでは画一的な生活のなかで家族が崩壊していく。この映画の主人公は、まったく本人が気づかないうちにこのふたつの流れが交差する場所に立ち、立派な一物を持っているというただそれだけのことでチャンスをつかむ。

 だが若いエディは、そこで自分が本当になにを見出していたのかをわかっていない。アンバーやローラーガールは、彼と同じように家族をめぐる苦悩や孤独を抱えているが、それが見えない。だから、スターになるだけではなく天狗になり、ドラッグに溺れ、ジャックから解雇され、追い詰められていくことになる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   ポール・トーマス・アンダーソン
Paul Thomas Anderson
製作 ロイド・レヴィン、ジョン・ライアンズ、ジョアン・セラー
Lloid Levin, John Lyons, Joanne Seller
製作総指揮 ローレンス・ゴードン
Lawrence Gordon
撮影 ロバート・エルスウィット
Robert Elswit
編集 ディラン・ティチナー
Dylan Tichenor
音楽 マイケル・ペン
Michael Penn
 
◆キャスト◆
 
エディ/ダーク・ディグラー   マーク・ウォールバーグ
Mark Wahlberg
ジャック・ホーナー バート・レイノルズ
Burt Reynolds
アンバー ジュリアン・ムーア
Julianne Moore
ローラーガール ヘザー・グラハム
Heather Graham
リトル・ビル ウィリアム・H・メイシー
William H. Macy
リード・ロスチャイルド ジョン・C・ライリー
John C.Reilly
スコティ フィリップ・シーモア・ホフマン
Philip Seymour Hoffman
フロイド・ゴンドーリ フィリップ・ベイカー・ホール
Philip Baker Hall
バック ドン・チードル
Don Cheadle
ラハド・ジャクソン アルフレッド・モリナ
Alfred Molina
-
(配給:ギャガ・コミュニケーション )
 


 そんなエディが、何を見出したのかを理解するのは、80年代に入ってからのことだ。レーガンが大統領になり、アメリカは保守化し、ポルノ産業に対する風当たりが強くなり、ビデオが普及し、ジャックのチームはそれぞれに生きていくために苦難を強いられる。そんな状況のなかで、どうにもならなくなったエディは、ジャックに謝罪し、彼やアンバーに受け入れられる。

 彼が見出していたのは、表面的な価値観に縛られたサバービアの家族とは違う、ありのままの自分を受け入れてくれる擬似的な家族だった。それは、時代背景を踏まえるならより大きな意味を持つ。レーガン政権は、キリスト教保守派に支えられ、“家族の価値”を喧伝していた。アンダーソンはこの映画で、それとは対極にある家族の絆を描き出しているのだ。


(upload:2009/06/24)
 
 
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