ブエノスアイレスの殺人
Muerte en Buenos Aires / Death in Buenos Aires


2014年/アルゼンチン/カラー/91分/スコープサイズ/ドルビーデジタル
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(初出:)

 

 

新鋭女性監督は混沌とした80年代を背景に
ホモソーシャル=ホモフォビアの図式を覆す

 

[ストーリー] 80年代、アルゼンチンが軍政から民政へと移行した後のブエノスアイレス。敏腕警部チャベスは、ある男の凄惨な殺人事件現場に駆け付ける。そこにはガンソと呼ばれる若い警官が先に到着していた。それを不審に思いつつも捜査を開始するチャベス。被害者は上流階級の一族の名士で、交友関係から彼の愛人ケビンが容疑者として浮上する。

 ケビンが出入りするゲイクラブ“マニラ”を訪れたチャベスは、そこで同じように事件を調べていたというガンソに再び出会う。その後、ガンソも捜査に加わることになり、彼をケビンに接近させる潜入捜査が進められる。ケビンはガンソを信用し、あちこち連れ歩くようになるが――。

 アルゼンチンの新鋭女性監督ナタリア・メタの長編デビュー作で、チャベス警部を、『ペルディータ』(96)、『野蛮なやつら/SAVAGES』(12)のデミアン・ビチル、若く謎めいた警官ガンソを、『瞳の奥の秘密』(09)、『人生スイッチ』(14)の名優リカルド・ダリンの息子チノ・ダリンが演じています。

 このドラマでは、事件の真相が明らかにされていくと同時に、セクシュアリティをめぐって登場人物たちのアイデンティティが揺らいでいきます。調べてみるとメタ監督は、セクシュアリティをめぐる関係については、アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』(05)にインスパイアされたと語っています。この繋がりには非常に興味深いものがあります。

 筆者が「ホモソーシャル、ホモセクシュアル、ホモフォビア――『リバティーン』と『ブロークバック・マウンテン』をめぐって」で書いたように、『ブロークバック・マウンテン』の背景になるカウボーイ文化では、男同士のホモソーシャルな連帯関係とホモフォビア(同性愛嫌悪)が深く結びついていますが、それがドラマのなかで覆されていきます。その図式を覆すのは、アン・リー監督というよりは、原作を書いた女性作家アニー・プルーといえます。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ナタリア・メタ
Natalia Meta
脚本 Laura Farhi, Gustavo Malajovich, Luz Orlando Brennan
撮影 Rodrigo Pulpeiro, etc
編集 Eliane Katz, etc
音楽 Daniel Molero
 
◆キャスト◆
 
チャベス   デミアン・ビチル
Demian Bichir
エル・ガンソ チノ・ダリン
Chino Darin
ドロレス モニカ・アントノプロス
Monica Antonopulos
Kevin Gonzalez Carlos Casella
Ana Jorgelina Aruzzi
San Filippo Hugo Arana
Doctor Anchorena Fabian Arenillas
Juez Morales Emilio Disi
Caligula Moyano Humberto Tortonese
Blanca Figueroa Alcorta Luisa Kuliok
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(配給:)
 

 筆者の記憶が正しければ、イヴ・K・セジウィックは『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』のなかで、女性の場合には、ホモソーシャルな関係とホモセクシュアルの間に男性の場合ほどの溝がないというようなことを書いていたと思います。

 そう考えると、この『ブエノスアイレスの殺人』では、女性監督メタが、アニー・プルーの視点を引き継いで、男同士の関係におけるホモソーシャル=ホモフォビアの図式を覆していることにもなります。

 さらに、80年代のブエノスアイレスという背景とドラマの関係にも興味を覚えます。国民の大半がヨーロッパ人とその子孫で占められているアルゼンチンは、マルビナス戦争(フォークランド紛争)でヨーロッパがイギリスを支援し、敗北したことによって、アイデンティティをめぐって精神的にも打撃を受けました。このドラマには、そんな揺らぎがセクシュアリティに置き換えられて表現されていると見ることもできるでしょう。

 そしてもうひとつ、チャベスの同僚であるドロレスが、不自然なほど過剰にセクシーな女性として描かれていることも見逃せません。筆者は、女性監督ナタリア・スミルノフ『幸せパズル』(10)のレビューで、アルゼンチンにおけるマチスモについて、国本伊代・編『ラテンアメリカ 新しい社会と女性』から以下のような文章を引用しました。

「こうした人種構成は女性をとりまく社会状況にも影響を及ぼし、アルゼンチンでは先住民社会からの女性をめぐる思想や価値体系の伝承はほとんど見受けられず、それに代わって根強く継承されてきたのが旧植民地本国スペインによる女性観であった。その一つは女性に対する男性の肉体的優位と、男性に対する女性の恭順を是とする男尊女卑の思想マチスモ、そしてもう一つはカトリックの聖母マリアを理想像とし、その母性ゆえに女性が男性に対して精神的優位性をもつとする思想マリアニスモである。この二つの女性観が継承される中、女性は男性より劣った存在で、男性に服従、奉仕するものとして処遇される社会構造がつくり出され、それと同時に、家庭においては、自己犠牲もいとわず家庭を守り慈しむ無私の母性愛を高く評価する価値観が定着していったのである」

 メタ監督はこの映画で、「マチスモ」と「マリアニスモ」を大胆に覆していると見ると、ドラマがより興味深く思えてきます。

《参照/引用文献》
『ラテンアメリカ 新しい社会と女性』国本伊代・編●
(新評論、2000年)

(upload:2015/06/07)
 
 
《関連リンク》
ダミアン・ジフロン 『人生スイッチ』 レビュー ■
リサンドロ・アロンソ 『約束の地』 レビュー ■
ファン・ホセ・カンパネラ 『瞳の奥の秘密』 レビュー ■
ホモソーシャル、ホモセクシュアル、ホモフォビア
――『リバティーン』と『ブロークバック・マウンテン』をめぐって
■
ナタリア・スミルノフ 『幸せパズル』 レビュー ■
オリヴァー・ストーン 『野蛮なやつら/SAVAGES』 レビュー ■
アレックス・デ・ラ・イグレシア 『ペルディータ』 レビュー ■

 
 
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