イゴールの約束
La Promesse  La promesse
(1996) on IMDb


1996年/ベルギー=フランス=ルクセンブルク=チュニジア/カラー/93分/1:1.66
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(初出:『イゴールの約束』劇場用パンフレット)

 

 

自己と他者への厳しい問いかけ

 

 96年のカンヌ国際映画祭で喝采を浴びたベルギー映画『イゴールの約束』は、題材やスタイルなど一見地味に見えるが、人間の本性を見極めようとする奥深い葛藤のドラマが忘れがたい印象を残す素晴らしい作品である。

 この映画を監督したリュックとジャン=ピエールのダルデンヌ兄弟は、もともとドキュメンタリーのフィールドで活動し、劇映画へと進出してきた。そんなふたりが3作目の劇映画となるこの『イゴールの約束』で描くのは、 違法外国人労働者とそのフィクサーの世界である。それだけに、この映画については、まず何よりもドキュメンタリー的な視点に注目が集まるのではないかと思う。

 確かにこの映画では、ドキュメンタリー的な視点が重要な要素になっている。しかしながら見逃せないのは、それと同時に、考えようによってはそうした視点と相容れないような実に緻密な組み立てや演出がなされているということである。

 たとえば、この映画には、ドラマのディテールに象徴的なイメージが散りばめられている。イゴールは映画の冒頭で、修理工場に立ち寄った夫人から財布を盗んで地中に埋め、やがて同じようにアミドゥの死体も埋めることになる。 アシタが飼っているニワトリは、アミドゥの死体が隠された場所の上にとまり、やがて彼女は、殺したニワトリの臓腑の様子で夫の消息を占おうとする。イゴールと父親は、同じ指輪を持ち、同じように煙草を吸い、同じように話す。

 こうしたイメージが、ドキュメンタリー的な視点と密接に絡み合うことによって、主人公イゴールがアミドゥと交わした約束の奥深い意味を浮き彫りにしていくことになるのである。筆者が来日したダルデンヌ兄弟にインタビューしたとき、 彼らは劇映画に進出した大きな理由のひとつとして、「もっと現実に積極的に介入したくなった」と語っていた。これは言葉をかえれば、現実というものをもっと彼らのテーマに引き付けて掘り下げるということになると思うが、 この映画の緻密な組み立てには、そんなテーマがはっきりと反映されている。

 つまり、これまで長い間、父親を唯一の手本として成長してきたイゴールが、ひとつの約束をきっかけとして変わることができるか、別の道を選ぶことができるかということだ。これは、 言葉にしてしまえばひどく単純な話になるが、それだけに監督たちの演出が際立つ。彼らは、演劇的な感情表現を徹底的に排除し、象徴的なイメージを通して逆に饒舌に語りかけてくるからだ。

 監督たちは、イゴールと父親の絆の表現について、「ドアのノックのしかたのような細かな動作までそっくりにし、一瞬画面に手や足が映っただけではどちらのものであるのかわからないような演出を試みた」という発言をしている。

 そうした緻密な演出は、実際に映画をご覧になればおわかりいただけるはずだが、この絆のイメージはドラマの展開のなかで暗黙のうちにさらに多くのことを語っている。そこまでひとつの価値観を植え付けられた人間が変わろうとするということは、 ほとんど自己というものを捨て去り、もうひとりの自己を見つけ出さなければならないということを意味している。

 この父子に関する緻密な演出のなかでも、何でもないことのように見えながら監督たちの厳格な眼差しを感じさせるのが、強い意志を持って夫の帰りを待とうとするアシタに対する父子それぞれの駆け引きである。 まずイゴールは、ナビルを使ってアシタに金を渡そうとする。そして今度は父親が、ナビルを使ってアシタを襲わせようとする。


◆スタッフ◆

監督/脚本/製作
リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ
Luc et Jean-Pierre Dardenne
脚本 レオン・ミショー/アルフォンス・バドロ
Leon Michaux/Alphonso Badolo
製作 ハッサン・ダルドゥル/クロード・ワリンゴ/ジャクリーン・ピエルー
Hassen Daldoul/Claude Waringo/Jacqueline Pierreux
撮影監督 アラン・マルクーン
Alain Marcoen
編集 マリー=エレーヌ・ドゾ
Marie-Helene Dozo
音楽 ジャン=マリー・ビリー/デニ・M・プンガ
Jean-Marie Billy/Denis M. Punga

◆キャスト◆

イゴール
ジェレミー・レニエ
Jeremie Renier
ロジェ オリヴィエ・グルメ
Olivier Gourmet
アシタ アシタ・ウエドラオゴ
Assita Ouedraogo
修理工場の
オーナー
フレデリック・ボドソン
Frederic Bodson
アミドゥ ラスマネ・ウエドラオゴ
Rasmane Ouedraogo
マリア ソフィア・ラブット
Sophia Laboutte

(配給:ビターズ・エンド)
 


 父子のなかにある感情は明らかに違うものだが、彼らは、まったく同じ手を使って自分の苦境や苦悩から逃れようとする。 これも言葉にしてしまえば平凡だが、映像は、イゴールを縛っている習性と微妙な心の揺れのギャップを冷徹に浮き彫りにする。そんな演出が、イゴールが指輪を売るシーンなどを、よりいっそう印象深いものにしているのである。

 さらにこの映画の象徴的なイメージは、神を見失ってしまった父子といまだに強い信仰を持っているアフリカ人家族のコントラストを鮮明にし、イゴールの葛藤は必然的に信仰の領域へと広がっていく。 彼が、見えない力に漠然とした恐れを感じ、自分の弱さを思い知り、心の慰めを求め、何よりも罪に目覚めるとき、そこに信仰が見えてくるのだ。

 しかしもちろん、この映画の本当に素晴らしいところは、そんな人間の本性を見極めようとする緻密な構成が、これ見よがしに前に出るのではなく、ドキュメンタリー的な視点と絡み合い、見事なまでに日常のドラマとなっているところにある。 ダルデンヌ兄弟は、一方では、驚くほど緻密な構成や演出を試みながら、もう一方では、経験の浅い俳優たちを好んで起用し、撮影現場に自由な試行錯誤が可能な環境を作り上げ、彼らのなかから生の感情を引き出してしまう。

 これは現実的には決して容易ではない作業だが、彼らが映画を作るにあたってこうしたかたちをとる気持ちはよくわかる気がする。彼らにとって映画とは、自己と他者への"問いかけ"に他ならない。 緻密な構成は決してあらかじめ明らかな答に向かうレールではなく、問いかけをいっそう明確にしていくための準備であり、撮影現場は問いかけに対する答を模索する場なのだ。

 そして、この問いかけをぎりぎりのところまで突き詰めていったとき、おのずとそこに見えてくるものこそが、この映画の素晴らしいラストシーンなのである。

 
 
《関連リンク》
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ・インタビュー01
『イゴールの約束』
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ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ・インタビュー02
『ロゼッタ』
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『息子のまなざし』 レビュー ■
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サッチャリズムとイギリス映画―社会の急激な変化と映画の強度の関係 ■

 
 
 
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