カラー・オブ・ハート
Pleasatville  Pleasantville
(1998) on IMDb


1998年/アメリカ/カラー/124分/ヴィスタ
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(初出:『カラー・オブ・ハート』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

 

幸福なアメリカン・ファミリーという幻影

 

 アメリカでは第2次大戦後の50年代から60年代前半にかけて、明るく楽天的な時代を象徴するようなテレビのホームドラマが量産され、視聴者たちの心をとらえた。ドラマの主人公一家は、 緑の芝生がある一戸建てが整然と並ぶ真新しいサバービア(郊外住宅地)での生活をエンジョイし、そんな生活に魅了された人々が続々と郊外に転居していった。現代を生きる人々は、 こうしたドラマから浮かび上がる古き良き時代のムードにノスタルジーを感じるかもしれないが、いまではその幸福な世界の背後に皮肉な現実が隠されていたことが明らかになってきている。

 たとえば、当時絶大な人気を誇った「パパは何でも知っている」で国民的なスターになった俳優のロバート・ヤング。昨年(98年)他界した彼はこのドラマで完璧なマイホーム・パパを演じ、 同時代の人々の憧れの的になったが、実は番組の放映中からすでに鬱病や自己不信に悩まされ、アルコールに頼りつづけていたと後に告白している。筆者のアメリカ人のメール・フレンドによれば、 ヤングはこのドラマの自分のイメージを嫌っていたという。それがあまりにも非現実的だったからだ。

 アメリカの著名なジャーナリスト、D・ハルバースタムの「ザ・フィフティーズ」には、やはり当時人気だった「アイ・ラブ・ルーシー」にまつわる皮肉なエピソードが紹介されている。 このドラマは、ルーシー(ルシル・ボール)とデジ・アーナスという本物の夫婦によって演じられ、ルーシーが妊娠するとそれがそのままシナリオに盛り込まれ、出産のエピソードの放映時には68%という視聴率を記録した。 また、このドラマは最初は都会を舞台にしていたが、急増するサバービアの主婦の共感を得るために、主人公たちも同じように郊外に転居することになった。

 という意味では、これは非常にリアルなドラマに見えるが、夫婦の実生活はドラマのように理想的ではなかった。夫のデジは酒と女好きで、夫婦のあいだには争いが絶えなかった。 そんな彼らの息子のコメントは興味深い。テレビでは毎週、両親にそっくりな人たちに面白いことが起こっているのに、家では同じ人間が始終いがみ合っていたというのだ。

 映画『カラー・オブ・ハート』の主人公デイヴィッドは、50年代のホームドラマの背後にそんな皮肉な現実があることを知らない。両親の離婚で家庭が崩壊し、どっちを見ても憂鬱なことばかりの彼にとっては、 「プレザントヴィル」の世界は唯一の救いであり、彼はきればそれが現実になってほしいと心のなかで念じている。この映画は、そんなデイヴィッドが理想的に見える世界の現実を見極め、成長していく作品だといえるが、 この物語はアメリカ社会の背景がわかればわかるほどその意味が深いものになっていく。


◆スタッフ◆

脚本/監督/製作
ゲイリー・ロス
Gary Ross
製作 スティーヴン・ソダーバーグ/ジョン・キリック/ロバート・J・デガス
Steven Soderbergh/Jon Kilik/Robert J. Degus
編集 ウィリアム・ゴールデンバーグ
William Goldenberg
視覚効果監督 クリス・ワッツ
Chris Watts
色彩効果デザイナー マイケル・サザード
Michael Southard
音楽 ランディ・ニューマン
Randy Newman

◆キャスト◆

デイヴィッド
トビー・マグワイア
Tobey Maguire
ジェニファー リース・ウィザースプーン
Reese Witherspoon
ベティ・パーカー ジョアン・アレン
Joan Allen
ジョージ・パーカー ウィリアム・H・メイシー
William H. Macy
ビル ジェフ・ダニエルズ
Jeff Daniels
ビッグ・ボブ J・T・ウォルシュ
J. T. Walsh

(配給:ギャガ・ヒューマックス)
 



 デイヴィッドが憧れる50年代の幸福なアメリカン・ファミリーのイメージは、当時の様々な状況が複雑に絡み合うことによって作りあげられている。まず戦後の住宅不足を解消するために連邦政府が住宅政策を優先し、 郊外の一戸建てが安く手に入れられるようになった。テレビという新しい娯楽が急激に普及し、戦時中に発達したテクノロジーが様々な電化製品に応用され、すべてが新しい大量消費時代が到来した。人々は、都市が抱える人種差別、犯罪、過密といった問題、 さらに戦後を覆う冷戦という脅威を忘れ、楽園に逃避したいと思っていた。しかも郊外に転居すれば、大恐慌や戦争の記憶を背負う古い世代の伝統的な価値観に縛られることなく、自由を得ることができた。

 アメリカン・ファミリーを形作っているこうした要素を振り返ってまず気づくのは、それがすべて外的な要因であるということだ。ここには戦争で離れ離れになった家族がいつも一緒にいられるというような理想を除けば、家族の内側から生まれ、 未来に向かう目標となるようなヴィジョンが何もない。サバービアとは、白人の中流の人々が、山積みする問題に目をつぶり、過去から逃れるために未来を失い、消費を楽しむための楽園なのだ。外的な要因から作られたということは、人工的であることを意味する。 だから「プレザントヴィル」の世界は完璧であると同時に、この町の図書館の本と同じように中身が何もないのだ。

 そんな幸福なアメリカン・ファミリーのイメージは、もはや過去のものと思われるかもしれない。確かに60年代以降、サバービアの画一化された生活に反発した若者たちやウーマンリブのムーブメントが50年代の価値観を大きく揺さ振った。 しかし、80年代の保守的なレーガン政権はこの50年代の価値観を復活させ、再びサバービアが脚光を浴びることになったのだ。『カラー・オブ・ハート』の監督ゲイリー・ロスは明らかにこの80年代を意識してこの映画を作っている。 それは誰もが知っている80年代の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とこの映画を対比してみるとよくわかる。この2本の映画からは、共通する展開を通して50年代に対する見事に対照的な視点が浮かび上がってくるのだ。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公は、50年代に紛れ込んだことで変わってしまった現実を苦労してもとに戻し、現代へと帰ってくる。すると、生活に疲れ果てたような家族は、成功を遂げた金持ちに豹変している。 50年代に回帰することによってそれが直接的に80年代に豊かな生活を招き寄せるというこの物語は、アメリカでは当時さかんにレーガン時代の反映だとみなされた。

 ゲイリー・ロス監督は『カラー・オブ・ハート』でこの『バック・トゥ〜』の展開を見事に逆手にとる。「プレザントヴィル」の世界に憧れる主人公デイビッドは、まさにレーガン的な50年代回帰を望んでいるといえる。 だから「プレザントヴィル」の世界に紛れ込んだ彼は、その世界に色が付きはじめたとき、最初はもとの世界を維持しようと努力する。それは突き詰めれば『バック・トゥ〜』の主人公と同じ行動をとることを意味している。

 しかし、町が色によって二分され、現状維持を望むモノクロ人種が有色人種を差別し、排斥しようとしたとき、主人公の気持ちは次第に変化していく。このモノクロ人種と有色人種の対立は、現実の50年代にサバービアから排除された人種問題も巧みに暗示しているが、 主人公は、光あるところに影があるように人の心にも影の部分があり、影がなく幸福だけが支配する世界が本当は空虚なものであることを理解していくのだ。その結果、彼は50年代の世界を徹底的に塗り替えて現代に帰ってくる。もちろんそこには、 『バック・トゥ〜』のように豹変した家族など待ってはいない。しかし彼は、孤立し生活に疲れている母親にこれまでにない親近感をおぼえる。幸福なアメリカン・ファミリーは作り物の幻影であり、人は足元から自分なりの幸福を作りあげていくしかないのだ。

 
 
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