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『過去のない男』は、『浮き雲』と同じようにハッピーエンドを迎えるが、この2作品が三部作へと発展することによって、ハッピーエンドの意味は変わってくる。その意味は、この2作品を、かつてカウリスマキが作り上げた"敗者三部作"と対比してみることで明確になる。『パラダイスの夕暮れ』『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』からなる敗者三部作では、厳しい現実のなかで逆境に追いやられた主人公たちは、どこかにある楽園を夢見て、旅立っていく。おそらく彼らは現実に楽園に至ることはないが、それでも常に彼らのなかには楽園願望があり、ここではないどこかに向かおうとする。しかし、グローバリズムによって均質化された世界では、もはやどこかを夢見ることなどできない。だから、新しい三部作では、社会から切り捨てられ、逆境に追いやられた主人公たちは、人間としての誇りを取り戻し、自分たちの足下に楽園を築こうとするのだ。
『浮き雲』に登場するイロナは、皿洗い機しか求めていないひどい店で働くことを余儀なくされるが、賃金が増えるわけでもないのに、ひとりで何役もこなし、店をよいものにしようと奮闘する。かつて名門のレストランで、皿洗いから給仕長までになった彼女の誇りが、機械同然の存在に成り下がることを許さないのだ。『過去のない男』に登場する銀行強盗は、破産した会社の社長で、口座が凍結されたために社員に払えなかった金を奪い、自分の未来は顧みず金を主人公に託し、主人公はそれを元社員に届ける使者となる。
新しい三部作では、そんな誇りが解体しかけたコミュニティの再生に繋がっていく。『浮き雲』のイロナは、工場の労働者たちが集う"レストラン・ワーク"を開店する。『過去のない男』の主人公は、救世軍の聖歌隊にロックンロールを聴かせ、自由な感情表現をするように仕向けることで、コミュニティに生気を吹き込む。その結果として、主人公の足下には楽園が現出することになる。『過去のない男』でカウリスマキが念頭に置いているのは、もはやフィンランドの経済危機ではなく、人間性を奪うグローバリズムであり、そんな現実のなかで、すべてを失った人間と疲弊したコミュニティの再生を描こうとするのだ。
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