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この映画で、6人のなかでいまだに抵抗運動を続けている二人組の前に立ちはだかるベテラン刑事は、こんな台詞を口にする。「右と左の闘いは終わった。いまは勝ち組と頑固な負け組の闘いだ」。確かに、彼らの仲間たちは去っていってしまったが、現実はそれほど単純ではない。共産主義体制は崩壊したが、それは必ずしも西側の勝利を意味するわけではない。80年代にアメリカやイギリスから世界に広がったグローバリズムは、"自由"を非情な競争原理に基づく金儲けと無限の消費に変えてしまった。壁を崩壊に導いたのも、西や東の意味を奪い去る圧倒的な経済の力でしかない。だから旧東ドイツの人々は、西側に幻滅し、ノスタルジーに駆られたのだ。そんな現実に対してこの映画では、バラバラになった仲間たちが、爆発をきっかけに過去を見つめなおし、再び力を合わせることによって、その「勝ち組と頑固な負け組」という図式を修正していくのである。
『レボリューション6』が、西ベルリンを起点とした現代に対するメッセージであるとするなら、『グッバイ、レーニン!』は、それに対する東ベルリンの返答だといえる(ベッカー監督は旧西ドイツ出身だが、映画を観れば徹底して東の立場から世界をとらえていることがわかるだろう)。アレックスに支えられた母親の世界は、いわば孤立無援の「頑固な負け組」の世界である。ところが、アレックスが母親のためにしていたことは、次第に彼自身の純粋な喜びに変わっていく。それは、西側に幻滅した人間が、ノスタルジーに駆られ、幻想に逃避するというのとは違う。彼は、虚構のシナリオを発展させていくことで、自分を見つめなおし、「勝ち組と頑固な負け組」という図式を修正していくのだ。
この映画のなかで特に印象に残るエピソードのひとつに、アレックスとイェーンの出会いがある。イェーンは、東ドイツで唯一の宇宙飛行士となった英雄で、少年時代のアレックスの憧れの的だった。アレックスはタクシーに乗ったときに、偶然、彼に出会う。英雄は、壁の崩壊以後の世界で、運転手になっている。過去の栄光など思い出したくもない彼は、じっと見つめるアレックスに、他人の空似だと言って苦笑する。アレックスは、東ドイツ、というよりも彼が求める世界において、いまだに揺るぎない英雄である彼の協力を仰ぎ、テレビのなかにもうひとつのドイツ統一という歴史を創造する。それは、彼の名前や顔を利用することではない。虚構を共有するとき、そこに強い絆が生まれ、母親に真実が露見するかどうかはもはや必ずしも重要なことではなくなっているのである。
この映画をドラマティックなものにしている要因のひとつは、母親が壁の崩壊とドイツ統一の狭間の時間に目覚めることにあるが、映画に盛り込まれているのは、ある程度の年月が経過しなければ見えてこない視点である。ベッカー監督は、そんな現代的な視点を、実に鮮やかにもうひとつのドイツ統一という歴史に集約しているのだ。
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