|
9・11同時多発テロが起こり、米英軍がアフガンに侵攻した翌年の2002年1月、アフガンの隣国パキスタンで取材をしていた「ウォールストリート・ジャーナル」の記者ダニエル・パールが、イスラム過激派によって誘拐され、後に殺害された。マイケル・ウィンターボトムの新作『マイティ・ハート/愛と絆』の原作は、ダニエルの妻でジャーナリストのマリアンヌ・パールが、事件と捜査活動を詳細に綴った同名ノンフィクション。この本に感銘を受けたブラッド・ピットが、映画化権を獲得し、監督にウィンターボトムを起用した。映画はウィンターボトム自身の企画ではないが、そこには紛れもなく彼の世界がある。
物語は、ダニエルが誘拐されるところから始まる。カラチにやって来た夫婦は、ダニエルの同僚の女性記者アスラの家にやっかいになり、仕事をしていたが、ダニエルが取材に出たまま行方不明になるのだ。妊娠5ヶ月のマリアンヌは、多方面に協力を求め、アスラの家は捜査本部のような空間に変貌する。そこには、米領事館付き地域安全保障担当官やテロ対策組織CIDのリーダー、FBI捜査官、地元の記者などが慌ただしく出入りし、事件に関わる人物や情報が錯綜していく。
ウィンターボトムは、ドキュメンタリー・タッチでそんな状況を浮き彫りにしていく。しかし、緊迫感を生み出しているのは、一刻を争う誘拐事件の捜査という題材やそれを表現するスタイルだけではない。ウィンターボトムの『グアンタナモ、僕達が見た真実』とこの映画には、異なるふたつのアイデンティティの激しいせめぎ合いがある。そのひとつは、個人ではなく、国家や政治のアイデンティティだ。冷戦が終わり、国家や政治のアイデンティティの基盤がイデオロギーから文化へとシフトし、新たな緊張関係が生まれた。2本の映画の主人公たちは、そんな緊張関係を背景とする事件に巻き込まれ、境界に立たされる。
『グアンタナモ、僕達が見た真実』では、結婚式のために祖国に帰ったパキスタン系イギリス人の若者たちが、米英軍のアフガン侵攻に巻き込まれ、テロリストとしてグアンタナモ米軍基地に収容される。『マイティ・ハート』でも、主人公たちの文化的な背景が鍵を握る。ダニエルはユダヤ人で、マリアンヌは、オランダ人の父親とキューバ人の母親の間に生まれ、フランスで育った。アスラは、インドで生まれ、パキスタンで仕事をしている。
そんな背景を持つ彼らの存在は、誘拐事件によって歪められていく。アスラは、インドとパキスタンが対立関係にあるために、インド生まれというだけであらぬ疑いをかけられる。ダニエルは、ユダヤ人であることを知られないように注意を払ってきたが、どこかから情報がもれ、モサドのスパイであるかのように扱われる。国家や政治のアイデンティティに引きずり込まれ、そして殺害されるのだ。 |