ニュータウン物語
The Story of “New-Town”


2003年/日本/カラー/103分/16mm
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(初出:『ニュータウン物語』劇場用パンフレット)

アメリカのサバービア映画と『ニュータウン物語』

 アメリカでは、戦後から50年代にかけて、サバービア(郊外住宅地)に暮らす幸福な核家族のイメージが作り上げられ、激しい勢いで郊外化が進んだ。日本もまた、高度経済成長とともに、そのアメリカを追うように郊外化が進み、この『ニュータウン物語』の舞台のような住宅地が次々と作られてきた。

 サバービアを題材にしたアメリカ映画を振り返ってみると、サバービアを見つめる眼差しやそこから膨らむイメージが、世代によって変化してきていることがわかる。

 郊外化が始まって最初に登場するのは、生活が豊かになったり、子供が生まれたことで、都市などからサバービアへと転居する第一世代だ。1929年生まれのジョン・カサヴェテスは、そんな第一世代の現実を掘り下げている。『フェイシズ』では、豊かではあるが画一的な生活のなかで、関係が破綻しつつある夫婦が、触れ合いや救いを求めてもがき、自分を見失い、傷ついていく姿が描き出され、『ハズバンズ』では、親友の死に直面した三人の男たちが、サバービアの生活で失ったものを取り戻そうとするかのように、混乱した冒険に乗り出していく。

 それに続いて、子供の頃に両親とともにサバービアに転居したり、サバービアで生まれ育った第二世代が登場する。1947年生まれのスティーヴン・スピルバーグはこの世代を代表している。彼はサバービアに対して屈折した感情を持っている。男がタンクローリーに追いまわされる『激突!』には、サバービアの生活に埋没した人間に対する悪意があり、『未知との遭遇』『E.T.』で、サバービアにUFOが飛来するのは、そこから逃避したいという願望と結びついているのだ。さらに、1958年生まれのティム・バートンになると、『シザーハンズ』が物語るように、サバービアの閉塞感が際立ち、そのイマジネーションもよりダークでオタク的なものになる。


◆スタッフ◆
 
監督/撮影/編集   本田孝義
プロデューサー 伏屋博雄
 
◆出演◆
 
    山陽団地の方々
  岡田毅志
  島村敏明
  中村智道
  P.H.スタジオ
  Are You Meaning Company
  ノーヴァヤ・リューストラ
  鷹取雅一
  江崎洋子
  真部剛一
  谷本雄太
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(配給: 戸山創作所 )


 そして、監督自身の年齢はバートンよりも上だが、テリー・ツワイゴフの『ゴーストワールド』やマイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』などからは、第三世代の世界が見えてくる。『ゴーストワールド』のヒロインは、サバービアの画一性から排除された周縁文化に想像力をかき立てられるが、自分の居場所を失い、あり得ないはずの外部へと旅立っていく。『ボウリング〜』の少年たちは、想像力すら蝕まれ、凶行に走る。

 こうしたアメリカ映画に対して、本田孝義監督の『ニュータウン物語』は、ニュータウンを批判的にとらえるのではなく、そこに暮らす人々の声に耳を傾け、自分が育った世界を見直していくドキュメンタリーだが、その作業からはやはり世代が浮かび上がってくる。山陽団地では、本田監督の両親の世代が第一世代、本田監督とかつての同級生たちが第二世代、そして、自転車の練習をする門将平くんが第三世代を代表している。

 その世代をめぐってまず印象的なのが、山陽西小学校の初代校長だった廣畑さんの話だ。彼は、子供たちに血縁はあっても地縁がないため、土地のなかでの繋がりを作ろうとしたと語る。サバービアやニュータウンには伝統も中心になるものもないため、住人を繋ぐものがないと家族は孤立していく。本田監督の同級生たちの話から、この地域では“西小祭り”がその地縁になっていたことがわかる。石田さんによれば、学校がニュータウン以前の生活にあったお宮の代わりになり、お祭りの伝統を引き継いでいたのだ。しかし、いまではもうそういう行事はできないという。地域をひとつにするような求心力を生みだすのは容易なことではないのだ。

 ところで、本田監督には、自分が育ったニュータウンに対してわだかまりがある。映画のなかで明らかにされるように、彼の家族がそこでばらばらになってしまったからだ。その複雑な気持ちは、同じ第二世代であるスピルバーグやバートンの屈折感に通じるものがある。そんな監督が企画する「ニュータウン アートタウン」展は、中心を欠いたニュータウンにアーティストたちの外部からの視点を持ち込むことによって、そこに磁場を生み出そうとする試みだといってもよいだろう。

 山陽団地に集結したアーティストたちのインスタレーションには、ニュータウン全般の未来について考えるヒントが散りばめられている。そのなかでもイメージを対比してみると興味深いのが、山陽団地の神話を創作し、団地のなかにある古墳に配置された中村智道の超電撃紙芝居「山陽神話」と、鷹取雅一が部屋を丸めたティッシュで覆い尽くした空間だ。前者は、地域が共有する歴史や物語を強調するのに対して、後者には歴史も物語もなく、その閉ざされた世界には、先述したアメリカ映画の第三世代に通じる空気が漂っている。そこには対照的な未来が垣間見えるが、いずれにしてもあなたはこの映画を観ることによって、自分が暮らす世界に確実に跳ね返ってくるであろう“ニュータウン物語”という物語をすでに共有しているのだ。



(upload:2009/05/28)
 
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