オーバードライヴ
overdrive  Obaadoraibu
(2004) on IMDb


2004年/日本/カラー/127分/ヴィスタ/DTSステレオ
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(初出:『オーバードライヴ』劇場用パンフレット)

 

 

剣を三味線に持ち替えたアーサー王と
“地域性”が融合したハイブリッド神話

 

下北沢では見つからないものと、
シモキタ(津軽)が生み出す磁場

 拉致されたギタリストが地獄の三味線修行に励むことになったかと思えば、三味線とギターのダブルネックや三味線版クロス・ロードの伝説が飛び出してくる。着物に身を包んだ歌姫が、ヒップホップな狂言回しを勤める。俳優と第一線で活躍する三味線奏者が、演技と演奏の両面で競演してしまう。実写とCGやアニメーションがファンタジックな世界を作り上げる。

 87年の『ゆめこの大冒険』以来、ほんとうに久しぶりとなる筒井武文監督の新作『オーバードライヴ』は、ドラマ、映像、音楽など、様々な次元で異質な要素が結びつくハイブリッドな映画だ。但し、面白ければ何でもかまわないといわんばかりに、思いつきを片っ端から詰め込み、混ぜ合わせるような作り方をしているわけではない。遊びをふんだんに散りばめながらも、押さえるところはしっかりと押さえている。

 この映画で筆者が特に注目したいのは、“地域性”と“神話性”というふたつのポイントだ。主人公の弦は、タクシーの運転手に「シモキタ」と告げて、下北半島に連れていかれるが、これを単純なギャグとして笑ってばかりもいられない。なぜなら、最近の日本映画では、地方を新たな視点でとらえる映画が、魅力的な磁場を生みだしているからだ。

 その例を挙げればきりがないが、たとえばまだ記憶に新しい李相日監督の『69』。69年の物語であるこの映画には、時代を象徴する音楽、映画、キーワード、アイテムが散りばめられているが、74年生まれの李監督がこだわるのは、彼が体験していない時代そのものではない。

 村上龍の原作には、こんな記述がある。「九州西端のいなか町では、全共闘もバリ封も、ゴダールやレッド・ツェッペリンと同じで、遠いあこがれでしかなかったのだ」。主人公のケンは、女にモテたいがために、そんな遠い憧れを利用し、ハッタリをかまし、バリ封やフェスティバルによって、田舎町に磁場を生みだしていく。そんな状況と物語は、冷戦が終わってグローバル化が進み、外部や地域性が希薄になっていく時代のなかでは、より新鮮に感じられる。

 同じ李監督の前作『BORDER LINE』では、中央と地方への視点がもっと明確になっている。この映画のモチーフになっているのは、岡山県で少年が母親を殺害し、自転車で逃走した事件だが、映画では、京浜地区に住む少年が事件を起こし、北海道へ向かっていく。彼はその間に様々な人物に出会い、変貌を遂げていく。

 但し、地方だからといって必ずしもそこに、中央と地方という単純な図式に取り込まれるような素朴で牧歌的な世界があるわけではない。地方を新たな視点でとらえる映画とは、厳密にいえば、そんな表層的な図式を拭い去り、東京や中央との距離や地域性をそれぞれに独自の視点でとらえ、人と人の繋がりに新たな光をあてていくような映画なのだ。

 他にそういう視点が印象に残る作品としては、中島哲也監督の『下妻物語』、梶田征則監督の『ミラーを拭く男』、行定勲監督の『きょうのできごと』、山下敦弘監督の『ばかのハコ船』、『リアリズムの宿』、熊切和嘉監督の『空の穴』、『アンテナ』、安藤尋監督の『blue』、河瀬直美監督の『沙羅双樹』、冨樫森監督の『非・バランス』、『ごめん』、鈴井貴之監督の『銀のエンゼル』、坂口香津美監督の『青の塔』などがすぐに頭に思い浮かんでくる。


◆スタッフ◆
 
監督   筒井武文
原作/脚本 EN
撮影 芦澤明子
音楽 遠藤浩二
 
◆キャスト◆
 
麻田弦   柏原収史
美潮 鈴木蘭々
五十嵐晶 杏さゆり
ジン 賀集利樹
五十嵐五郎 ミッキー・カーチス
倉内宗之助 新田弘志
大石聖一郎 新田昌弘
木下伸市 木下伸市
歌姫 阿井莉沙
五十嵐和哉 大倉一郎
ゼロデシベル・マネージャー 諏訪太郎
大和ヒロミ 石橋蓮司
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(配給:ビターズ・エンド+東京テアトル)
 

 そして、『オーバードライヴ』にも同様の視点がある。弦がタクシーのなかで眠り込んでいる間に、歌姫がこのように彼の気持ちを代弁する。「ほしいギターもアンプも手に入れたけど、何かが足りなかった」。五郎はそんな弦の胸の内を見透かしているかのように、「東京に戻れれば満足なのか?」と詰め寄る。

 その足りないものは、下北沢では決して見つからないだろう。その東京に対して、津軽三味線というと、すぐに伝統と結びつけたくなるところだが、この映画は、むしろその現代性を発見していくことで、弦を変える磁場となるような独自の地域性を生みだしていく。

 但し、この映画には、いま列挙した作品とは決定的に違うところがある。筒井監督は、サイレントのスタイルとミニチュア・ワークを駆使して、奇想天外な冒険世界を作り上げた『ゆめこの大冒険』と同じように、この新作でも、サイレントからCGまで様々な表現を駆使して、映画のなかだけにしか存在しない世界を切り拓いていく。そして、そんな世界のなかで際立ってくるのが、もうひとつのポイントである“神話性”だ。

現代と神話をつなぐ“共生”というキーワード

 グローバリズムによって均質化していく世界のなかでは、これまで人々が共有してきた大きな物語の基盤となる歴史や伝統が失われていく。そうなると、地域性と同じように、神話的な物語があらためて意識されるようになる。いま、『ロード・オブ・ザ・リング』や『トロイ』、『キング・アーサー』といった神話的な物語を題材にした映画が持てはやされているのは決して偶然ではないだろう。

 そこで、そんな背景を踏まえたうえで、『オーバードライヴ』とぜひ対比してみたいのが、昨年のヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞したアンドレイ・ズビャギンツェフ監督のロシア映画『父、帰る』だ。この映画では、遠い世界で繰り広げられる神話的な物語ではなく、現代と神話の繋がりが掘り下げられていく。

 『父、帰る』の物語は、一見きわめてシンプルに見える。12年間も消息不明だった父親が、ある日突然、家族のもとに帰ってくる。彼は、二人の息子を小旅行に連れだし、大人になるための試練を与える。兄はそんな厳しい父親を受け入れていくが、目の前にいるのが父親だという実感を持てない弟は激しく反発し、悲劇が起こる。

 しかし、その映像には、兄弟が塔から水に飛び込むことが洗礼を、父親の存在がキリストを想起させるなど、象徴的なイメージが随所に散りばめられている。そして、映画のラストが冒頭に繋がるとき、通過儀礼をめぐる1週間の物語は、時空を越えて永遠に繰り返される神話となる。

 監督のズビャギンツェフは、筆者がインタビューしたとき、現代と神話の繋がりについて、こんなふうに語っていた。

「私たちは誰もが携帯電話を持ち、電波によってお互いに結びついています。その電波は、実はものすごいエネルギーをもってこの場に存在し、常に私たちを貫いているわけです。それが私たちが生きている環境ですが、神話はその電波にたとえることができます。人々は日々あくせくしながら物質的な世界を生き、目に見えるものを追求していると思っているわけですが、実は神話というもの、人々が共生するという掟が常に私たちと接触している。古代ギリシアや古代中国の時代にできた掟というものが私たちを律し、身体を貫いているのですが、それを十分に認識していないのです」

 この発言のなかにある現代人の在り方は、ギターもアンプも手に入れたが、何かが足りない弦の立場とも結びつく。シリアスに芸術性を追及する『父、帰る』は、『オーバードライヴ』とはまったくタイプの違う作品ではあるが、現代からかけ離れた壮大な世界として神話を再現するのではなく、現代のなかに神話を甦らせようとする姿勢には共通するものがあるといってよいだろう。

 それから、歌姫も、登場する背景によって、神話のなかの存在に見えてくる。弦が岩場の修行をする場面で、海の上に現われる彼女は、まるで湖の精霊である。といっても、そこで彼女が、折れた聖剣を元通りにして返してくれるような活躍をするわけではない。しかし、アルティメット大会のクライマックスでは、三味線を折られた弦に、五郎が持ってきた聖剣に値する三味線を引き渡す役割を果たすのだ。

 一方、邪悪な存在として異彩を放つ宗之助のキャラクターは、ふたつの神話を融合させることから生み出されているように見える。ひとつは、ロバート・ジョンスンがクロス・ロードで悪魔に魂を売り渡すかわりに、ブルースの才能を手にしたという伝説である。

 そしてもうひとつは、『スター・ウォーズ』だ。『スター・ウォーズ』はアーサー王の物語に多大な影響を受けているだけに、この映画に『スター・ウォーズ』を思わせる部分があることは何の不思議もない。ルークの父親アナキンは、かつてはジェダイの騎士だったが、暗黒面に飲み込まれ、ダース・ベイダーになった。かつて五郎の弟子だった宗之助も、魂を売り渡すことによって、黒い衣装が際立つダース・ベイダー的な存在になるのである。

 ちなみに、この映画にはもうひとつ、ジョンスンの世界を連想させる状況がある。彼は、<地獄の猟犬がつきまとう>という曲で、「毎日毎日はっとする、おれのあとを地獄の猟犬がつきまとっている」(三井徹訳)と歌っている。五郎の屋敷の地下空間や番犬の存在は、この曲を意識しているのではないだろうか。

 こうしてみると、この映画は、三味線を軸にして、アーサー王の物語に『スター・ウォーズ』、ロバート・ジョンスンの世界を、ユーモアも盛り込みながら、実に巧みに組み合わせていることがわかる。しかも、鍵を握るキャラクターを一線で活躍する三味線奏者が違和感なく演じ、本物の津軽三味線のパワーが、ハイブリッドな神話に生気を吹き込む。

 『オーバードライヴ』は、現代のなかで重要な意味を持つ“地域性”と“神話性”を融合させることによって、決してただ笑えるだけではない、深みのある世界を切り拓いている。


(upload:2012/07/08)
 
 
《関連リンク》
アンドレイ・ズビャギンツェフ・インタビュー 『父、帰る』 ■

 
 
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