隣人は静かに笑う
Arlington Road


1998年/アメリカ/カラー/119分/シネマスコープ/ドルビーデジタル
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(初出:『隣人は静かに笑う』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

 

サバービア、見せかけの安全に裏切られる恐怖

 

 スリラー映画には“衝撃のラスト”といううたい文句がつきものだが、MTV界出身の新鋭マーク・ペリントンが監督したこの『隣人は静かに笑う』は、まったく嘘偽りのない衝撃のラストを体験することができる映画だ。

 主人公の大学教授マイケルに対して非常に好意的に見えた隣人には秘密があり、何か途方もなく危険なことを企んでいることが次第に明らかになる。主人公は着実に窮地に追い込まれていく。しかしそれでもこの隣人の行動の真意は見えてこない。観客は何が進行しているのかつかみきれない宙吊り状態のまま、必死に窮地を脱しようとする主人公を追いかけ、予想もしないラストに遭遇して愕然とする。まさに衝撃のラストだ。

 しかしこの映画の見所は、周到に仕組まれた陰謀とすべて明らかになるラストだけではない。確かにラストのインパクトは強烈だが、時間が経つにしたがって別な恐怖がじわじわとよみがえってくるのだ。それがどのような恐怖であるのかは、『セブン』で脚光を浴びて以来、注目の的になっているタイトル・デザイナー、カイル・クーパーの手になるタイトルバックのイメージが端的に物語っている。

 このタイトルバックのモチーフになっているのは、白いフェンスに緑の芝生、小奇麗な一戸建てが並ぶような明るく平穏なサバービア(郊外住宅地)の風景の断片だが、クーパーはそれをダークで神経を逆なでするような不気味な世界に変えてしまう。そのイメージは、あたかも表面的には平穏に見えるサバービアの深層を透視したときに浮かび上がるものを暗示しているようにも見える。

 そして実際、この映画の本編にはそのような視点が盛り込まれ、それが異様な恐怖感を生みだしているのだ。隣人が実は見かけとは違う危険な人物で、主人公が思いもよらない深刻なトラブルに巻き込まれていくというような作品は必ずしも珍しいものではないが、この映画は“安全”や“安心”をキーワードとして一見平穏なサバービアの深層に迫っていくことになる。

 このドラマでまず注目すべきなのは、主人公のマイケルがテロリズムを研究する教授で、特に14ヶ月前にセントルイスで起こったビル爆破事件に深いこだわりを持っているところだ。この事件のヒントになっているのが、’95年の4月にオクラホマ・シティで実際に起こり、168人もの命を奪った連邦ビル爆破事件であることは容易に察せられる。このテロによって人々のあいだには底知れぬ恐怖が広がった。ニューヨークのような大都市ではなくオクラホマ・シティという田舎でこのような事件が起こったということは、アメリカのどこで起こっても不思議がないことを意味していたからだ。それだけにこの映画を観る人は必然的に安全ということを意識する。

 映画のマイケルは大学における講義のなかでこの安全について学生たちに印象的な警告をする。実際のビル爆破事件では逮捕された犯人以外に共犯者がいなかったのかという疑問が浮上したが、マイケルもまたセントルイスの事件に対して同じ疑問を抱いている。そして一刻も早く不安から解放され安心を手に入れたいがために、単独犯という発表を受け入れてしまう世間の人々に警告を発するのだ。


◆スタッフ◆
 
監督   マーク・ペリントン
Mark Pellington
脚本 アーレン・クルーガー
Ehren Kruger
撮影 ボビー・ブコウスキー
Bobby Bukowski
編集 コンラッド・バフ
Conrad Buff
音楽 アンジェロ・バダラメンティ、トムアンドアンディ
Angelo Badalamenti, tomandandy
 
◆キャスト◆
 
マイケル・ファラディ   ジェフ・ブリッジス
Jeff Bridges
オリヴァー・ラング ティム・ロビンス
Tim Robbins
シェリル・ラング ジョーン・キューザック
Joan Cusack
ブルック・ウルフ ホープ・デイヴィス
Hope Davis
ホイット・カーヴァー ロバート・ゴセット
Robert Gossett
ブランディ・ラング メイソン・ギャンブル
Mason Gamble
グラント・ファラディ スペンサー・トリート・クラーク
Spencer Treat Clark
アーチャー・スコビー スタンリー・アンダーソン
Stanley Anderson
-
(配給:ヘラルド )
 

 つまり彼は、真実を追究することなく見せかけの安全に逃げ込もうとすれば、いずれ恐ろしい出来事が再び起こるという危機意識を持っている。だが、この映画ではそんな彼の危機意識が利用され、不穏な世の中で最も安全に見えるサバービアのなかで気づかぬうちに罠にはまっていく。見せかけの安全に警告を発していた人間が、皮肉にも自分の足元にある見せかけの安全に裏切られる。そこにこの映画の本当の恐ろしさがある。

 最近のアメリカ映画では、非常にユニークな設定や視点を通してこうしたサバービアにおける安全の意味を問い直すような作品が目立っている。

 それはたとえば、昨年(1998年)日本でも公開されて話題になった『トゥルーマン・ショー』だ。主人公のトゥルーマンは海に囲まれた美しいサバービアで平穏な毎日を送っているように見えるが、彼の日常は本人が気づかぬうちにずっと全世界に放映されつづけている。彼は次第に自分の世界が虚構であることに気づきだすが、そのときの番組のプロデューサーの姿勢は非常に印象的だ。彼はすべてが虚構であることが主人公に露見しても決してこの世界を出ていくことはないと確信している。そこには絶対の安全があるからだと彼は言う。つまり人々の安全への願望がこのプロデューサーに凝縮され、見せかけの安全が主人公の人生を裏切りつづけているのだ。

 あるいは、『ベルベット・ゴールドマイン』で注目を浴びたトッド・ヘインズ監督の前の作品で、つい最近劇場公開になった『SAFE』。この映画は一見すると高級なサバービアで生活する主婦が化学物質過敏症という病に襲われる恐怖を描いているように見えるが、実は安全を求める心理を深く掘り下げていく作品なのだ。彼女とその一家は、人種問題や犯罪の危険から逃れるために郊外の奥へ奥へと進んで、豪華な屋敷と物に囲まれた生活で安全を確保している。ところがその物が彼女に牙をむき、彼女は安全に裏切られる。追いつめられた彼女は家族を捨てて、人里離れたコミューンに逃げ込み、宗教的な絆のなかで心の平安を得るかに見えるが、彼女はどこまでも安全を求めるあまり自分自身までも捨ててしまっているのだ。

 この『隣人は静かに笑う』がスリラー映画としてきわめて斬新なのは、サバービアの安全をめぐるこうした視点をこのジャンルにしっかりと盛り込んでいるところにある。広い社会のなかでは見せかけの安全に対する危機意識を持っているマイケルでも、自分が暮らす平穏なサバービアにそんな危険が潜んでいようとは予想だにしない。隣人が理想的なアメリカン・ファミリーに見え、自分に好意的であることがわかれば、そこには絆が生まれる。ひとたび心を開けば、裏庭のバーベキュー・パーティやボーイ・スカウトなどを通してすぐにコミュニティに溶け込むことができる。しかし、安全を確保するために外の社会と距離を置き、孤立するコミュニティのなかに悪意が潜んでいれば、見せかけの安全のなかで『トゥルーマン・ショー』の主人公のように気づかぬうちに監視下におかれ、コントロールされてしまうことにもなる。

 隣人は、マイケルの危機意識とこの郊外の見せかけの安全をどこまでも利用し、彼を追いつめていく。この映画では、このふたつの要素が巧みに入り組んでいるために、主人公にも観客にもこの隣人の行動の真意を読み取ることができない。そして、すべてが終わった後で隣人一家がこのサバービアを後にするとき、妻が夫に次はもっと安全な場所へと囁きかけるのだが、これは何とも恐ろしく、また皮肉な言葉でもある。


(upload:2009/06/20)
 
 
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