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映画における巧みな省略は、視覚的な効果を増幅させ、われわれの想像力をかき立てる。『13/ザメッティ』のロシアン・ルーレットでは、一滴の血も流れないが、だからこそ、生と死の境界に立たされたプレイヤーたちの耐えがたい緊張とあっけない死の虚しさがいっそう際立つ。さらに、富める者たちが貧しい者たちの命を弄ぶ光景は、半端な説明がないだけにリアルであり、グローバリゼーションの縮図を見る思いがする。
しかし、筆者が最も興味を覚えたのは、モノクロの映像に反映されたバブルアニ監督の異様なほどに醒めた眼差しだ。この映画は、主人公セバスチャンを取り巻く状況の変化にともなって、リアリズムからノワール、カフカ的な悪夢へと変化していくように見える。だが、バブルアニは、生活苦と残酷なゲームをまったく同じ眼差しでとらえているのではないか。
そんなことを感じるようになるのは、ゲームのなかで、6番の男がセバスチャンに絡み出してからだ。他のプレイヤーと雇い主を繋いでいるのは金だけだが、6番の男は兄弟で参加している。セバスチャンは、ゲームの合間もその兄弟のそばで待機しているため、彼らのやりとりが目に入る。
そのセバスチャンは、ゲームが行われる屋敷で初めてこの兄弟に出会うのではない。まだ目的地すら定かでない時点で、列車のなかで出会っている。この映画は、修理の仕事を終えたセバスチャンとこれから仕事に出ていく彼の兄が、自宅の前で言葉を交わすところから始まる。
この映画では、物語の流れとは別の次元で、ふた組の兄弟が対置されている。そして、まったく異なる世界を生きてきた兄弟に向けられたバブルアニの眼差しからは、徹底したニヒリズムを感じ取ることができるだろう。 |