|
この映画でまず注目しなければならないのは、9・11以後の時代に対する明確な意識だろう。テレビからは、中東の自爆テロや少女の失踪、異常気象などのニュースが流れてくる。そしてドラマにも、はる子が子供の頃に思い描いた大洪水、飛行機が吹き飛ぶ幻想、中本のトラウマになっている落とし穴、ラズベリーアイスによって全滅する熱帯魚など、“せかいのおわり”を想起させるイメージが散りばめられている。
風間監督は、そうしたイメージと巧みな構成、演出によって、主人公たちがそれぞれにせかいのおわりと向き合う姿を描き出そうとする。そのポイントになるのは導入部だ。
この映画は、金くんの家を追い出されたはる子が、慎之介を訪ねるところから始まる。慎之介は、ナンパした女の子がベッドにいるので、はる子を公園に連れ出し、落ち込んでいる彼女の話を聞く。女の子はほったらかしにされてしまうが、店長がフォローする。はる子は、慎之介と店長のところに居候し、新しい男ができると出ていく。
この導入部は、現在進行形のドラマであると同時に、これまで3人が繰り返してきたことを暗に物語ってもいる。はる子は、慎之介が自分に好意を持っていることを知っていて、ひとりになると彼に甘える。彼女に告白できない慎之介は、他の女の子と付き合う気もないのにナンパばかりしている。だから、はる子が訪ねてくると、そこには必ず女の子がいるが、本当ははる子が好きな慎之介は、彼女の方を優先する。すると、店長にそのしわ寄せが行く。彼は慎之介に好意を持っているが、それを表に出さずに彼の面倒を見る。3人の間には、必ずしも想いと一致しない役割分担ができあがっているのだ。
そして、映画の後半で、はる子が中本からひどい仕打ちをされたとき、同じことが再び繰り返されるかに見える。しかし、そのパターンは、次々と破綻していく。はる子が慎之介のところに現れるのは、彼に会うためではなく、スコップを持ち出すためだ。それでも慎之介は彼女を優先するが、ほったらかしにされた恵利香をフォローするはずの店長は、奈良で苔を探している。
その結果、彼らはそれぞれにせかいのおわりと向き合い、パターンにはない表情、感情、行動を見せることになる。はる子は、慎之介に“ギュッ”を求め、夢心地の慎之介が目覚めると、彼の銀河系は消滅しており、奈良から戻った店長は、荒れ狂う慎之介を止めるために、意外な行動に出る。その連鎖を突き詰めれば、彼らは、一瞬だけ自分を曝け出すことによって、せかいのおわりをなんとか乗り越え、平和を取り戻すといえる。
「平和だね、でもちょっと寂しい、なんつって」という店長の台詞は、響きは軽いが、その背後には、それほど軽くはない哀しみや痛みが隠れている。そんな台詞は同時に、はる子や慎之介の気持ちを表わしてもいるのだ。
|