シーズ・ソー・ラヴリー
She's So Lovely  She's So Lovely
(1997) on IMDb


1997年/アメリカ=フランス/カラー/96分/スコープサイズ
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(初出:「キネマ旬報」1998年4月上旬号、若干の加筆)

 

 

困難な現実を受け入れ、なおも前進しようとする意思

 

 ニック・カサヴェテスには監督として特別な魅力を感じる。特別というのは、監督としてのスタイルや美学といったこと以前に、まず何よりもその作品に息づく彼の透徹した理念といえるものに深い共感を覚えるということだ。

 ニックの理念や世界については、彼の父親ジョン・カサヴェテスの存在を抜きにしては語れない。ニックの初監督作品『ミルドレッド』のプレス資料には、彼のこんな言葉が紹介されている。「ジョンは私に本質的なことを教えてくれたのです。他人の言いなりにならず、自分自身を守り抜く。自由というものは、日々闘って勝ち取るものだ。今日、私たちは個人によって形作られている世界に生きていかなければならないのに、「大衆」であることを押しつけられています。一人一人の違いが大切だというのに…」。

 この言葉は短いが、そこにはとても深い意味が込められているように思う。アメリカでは50年代以降の郊外化/大量消費社会のなかで、画一化された家族の理想像が作りあげられ、人々の心に植え付けられていった。ジョンは彼の作品を通して、そんな作られた理想像を剥ぎ取り、あるいは理想像から排除された者たちを凝視することによって、いかんともしがたい孤独に苛まれ、無防備で不安定な人間の存在を徹底的に掘り下げた。

 しかしながらニックは、父親と同じように現実を掘り下げようとはしない。なぜなら、大袈裟にいえば彼はジョンが描きだすそんな世界を当たり前のものとして成長し、身体に染みついているからだ。彼はそんな現実をあっさりと受け入れたところから出発し、未来を見つめ、それでも生きていかなければならない人間に対する彼の理念を描こうとする。

 それだけに彼の映画は、登場人物に対する優しい眼差しに満ちたリアリズム風のドラマを、あまりにも単純に受け入れてしまうとその魅力が半減しかねない。たとえば『ミルドレッド』について、主人公ミルドレッドがどこかに旅立つ結末が唐突であり、まとまりに欠けるとか中途半端といった意見を耳にしたことがあるが、それはこのリアリズムを基準に物語をたどるからだろう。

 この主人公は平穏な郊外生活に埋没した未亡人で、成り行きで預かった隣人の子供と絆を築くが、その子供が戻るべき場所に戻ったとき、その幸福な時間が他人から与えられたものであることを思い知る。そして自分の息子夫婦や娘との関係にしても実質は同じであることに気づく。それゆえに彼女は、自分に想いをよせる男の気持ちも受け入れるわけにはいかない。すべてが受け身で、与えられることになってしまうからだ。彼女はまず何よりも自分を取り戻さない限り、本当の意味で何かを受け入れることはできない。だからすべてを封印し旅立たなければならない。そこにニックの理念がある。

 筆者はこの結末を見て、社会学者W・H・ホワイトが50年代の郊外化を検証し、個人主義の重要性を再認識しようとする「組織のなかの人間」の結びの言葉を思いだした。「組織によって提供される精神の平和は、一つの屈服であり、それがどんなに恩恵的に提供されようと、屈服でありことに変わりはないのである。それが問題なのだ」。この言葉は、先に引用したニックの言葉と共鳴し、彼の理念がより鮮明になることだろう。

 ニックにとって第2作となる『シーズ・ソー・ラヴリー』は、そんな彼の理念とそれに深い信頼をよせる俳優たちなしには成り立たない映画であると思う。これは、ジョンが映画化を果たせずに残した脚本をニックが映画化した作品で、その脚本にはジョンの世界が非常に大胆なかたちで凝縮されている。物語はふたつのパートからなり、その双方にジョンの対極にある世界が反映され、最後に登場人物たちを通してふたつの世界が交錯することになるのだ。


◆スタッフ◆

監督
ニック・カサヴェテス
Nick Cassavetes
脚本 ジョン・カサヴェテス
John Cassavetes
製作 ルネ・クレイマン
Rene Cleitman
製作総指揮 ベルナール・ブイ/ ジェラール・ドパルデュー/ ショーン・ペン/ ジョン・トラヴォルタ
Bernard Bouix/ Gerard Depardieu/ Sean Penn/ John Travolta
撮影 ティエリー・アルボガスト
Thierry Arbogast
編集 ペトラ・フォン・オールフェン
Petra von Oelffen
音楽 ジョセフ・ヴィタレリ
Joseph Vitarelli

◆キャスト◆

エディ
ショーン・ペン
Sean Penn
モーリーン ロビン・ライト・ペン
Robin Wright Penn
ジョーイ ジョン・トラヴォルタ
John Travolta
ショーティ ハリー・ディーン・スタントン
Harry Dean Stanton
ジョージー デビ・メイザー
Debi Mazar
キーファー ジェイムズ・ギャンドルフィニ
James Gandolfini
ミス・グリーン ジーナ・ローランズ
Gena Rowlands
 
(配給:アスミック)
 


 前半では、都会の片隅で愛だけを唯一の存在理由として生きるエディとモーリーンという若いカップルのドラマが描かれる。彼らは激しく愛し合うがゆえに孤独に苛まれ、酒に溺れ、追いつめられていく。不安定な世界のなかで妄想にとらわれるエディは、傷害事件を引き起こし精神病院に収容されてしまう。後半はその10年後、モーリーンは新しい夫と3人の子供たちと閑静な郊外住宅で平穏な家庭生活を送っている。しかしエディが病院を退院し、モーリーンを取り戻しにそこに現われ、彼女は人生の岐路に立たされる。

 この映画化にあたってニックは脚本にほとんど手を加えていないという。そういう意味ではジョンの世界が尊重されていることになるが、映画は紛れもなくニックの世界である。

 この脚本の野心的なところは、前半と後半がそれぞれわずか3日と1日の物語で、どちらのカップルにしても出会いなどにまつわる背景説明は一切排除され、影に満ちた都会と明るい郊外住宅地、無防備な愛の絆と理想に縁取られた家族の絆というきわめて対照的な状況から浮かび上がって来るものだけにすべてが委ねられていることだ。これはもちろん勝手な想像ではあるが、もしジョンが映画化していたとしたら、彼はそれぞれの状況で追いつめられる登場人物たちの内面を徹底して掘り下げ、激しい感情のうねりをひきだし、その相克を浮き彫りにしていたことだろう。

 しかしながらニックは、そのような困難な現実を驚くほどあっさりと受け入れてしまう。特に終盤、主人公たちをあたかもドラマの束縛から解放するかのように、小気味よいほど直截な演出に徹しながら、そこにどこまでも自分であろうとする意思を反映する。その素晴らしさを言葉にするのは容易ではないが、しいていえば、重くも軽くもなく、ただ強いということだ。

 ニックの2本の映画の結末にはどちらも希望があるが、それは決して甘いものではない。ある意味では残酷とすらいえる。そんな残酷さを引き受けた上で、なおも当然のことのように前進することしか知らない彼の透徹した理念に、筆者は深い共感を覚えるのだ。


(upload:2001/09/07)
 
 
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