ソウル・キッチン
Soul Kitchen  Soul Kitchen
(2009) on IMDb


2009年/ドイツ=フランス=イタリア/カラー/99分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:「Into the Wild 2.0 | 大場正明ブログ」2011年1月17日更新、若干の加筆)

 

 

ハンブルクにあるさえないレストランが
アジールに変わるとき

 

 トルコ系ドイツ人のファティ・アキンは、ベルリン国際映画祭グランプリを受賞した『愛より強く』やカンヌ国際映画祭脚本賞を獲得した『そして、私たちは愛に帰る』によって、世界的な注目を集める監督になった。

 その2作品では、アキンのトルコ系ドイツ人というバックグラウンドと結びつくテーマがシリアスに掘り下げられていたが、ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・ヤングシネマ賞をW受賞した新作『ソウル・キッチン』には、様々な意味で異なる方向性が見られる。

 この映画は、ハンブルクにあるレストラン“ソウル・キッチン”を中心に展開していくコメディだ。店のオーナー兼シェフは、ギリシャ系のジノス。彼が倉庫を買い取り、自分で配管までした店のメニューは、誰でも料理できる冷凍食品ばかりであり、常連客はいるものの、繁盛しているとはいいがたい。

 ところが、そんなジノスに次々と予想外の出来事がふりかかり、店が変貌を遂げていく。まず(これはすでにわかっていたことだが)彼の恋人のナディーンが、特派員として上海に行ってしまう。窃盗で服役中のジノスの兄イリアスが、弟の店を就職先とすることで仮出所を認められ、頻繁に出入するようになる。高級レストランで客と喧嘩して首になった一匹狼のシェフ、シェインや、ジノスの大学時代の同級生で、不動産業を営むノイマンと偶然出会う。そして、ジノス自身が食器洗浄機を動かそうとしてぎっくり腰になる。

 この新作に表われている方向性でまず注目したいのはキャラクターだ。イリアスとジノスの兄弟はギリシャ系で、その他にもアラブ系やトルコ系など様々なバックグラウンドを持つ人々が登場してくる。だから、『愛より強く』や『そして、私たちは愛に帰る』のように、ドイツとトルコというふたつの国家や文化のあいだで引き裂かれていくような物語にはならない。

 あるいはここで、ファティ・アキンを、黒人監督として頭角を現してきた頃のスパイク・リーと比較してみてもいいだろう。スパイクは黒人のスポークスマンとして積極的な発言をする一方で、『ドゥ・ザ・ライト・シング』では、黒人やイタリア系や韓国系の人物たちの現実を距離を置いた冷静な眼差しで見つめ、描き出していた。ところが、スポークスマンとしての発言が挑発的で過激になるに従って、監督としての視点や表現がそれに引きずられるようになり、バランスを失っていた時期があった。ファティ・アキンの場合は、この映画を観る限り、そういう部分でつまずくことなく、自分の世界を広げているという印象を受ける。

 次に、アキンが生まれ育ったハンブルクにも注目しておくべきだろう。ハンブルクでは、長らく「自由港」として使用されてきた港湾地区の敷地が不要となり、都市再開発用地となったため、建設ラッシュが続いている。その結果、港湾地域に限らず、敷地が金儲けだけを優先する不動産投機の対象となり、歴史や生活感のない真新しいだけの場所に変わってしまう可能性も生まれる。

 アキンは明らかにそんなハンブルクの再開発の波を意識してこの映画を作っている。ジノスが偶然出会った不動産業者のノイマンはその象徴だ。彼はなんとか店を乗っ取ろうと画策し、衛生局や税務署も店に押しかけてくる。彼らの標的となる店には、歴史に対するアキンの愛着が表われている。

 店の片隅には“ソクラテス”と呼ばれる老人が居候していて、小型の船の手入れをしている。店の前には線路と運河があり、かつて老人はその運河で船を操っていたのだろう。またジノスは、店が倉庫だった時代の写真を大切に飾り、窮地に陥ったときにはその写真を持ち出そうとする。そして、店を廃業に追い込もうとする連中に対抗しようとすることが、店が変貌するひとつの要因となる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/プロデューサー   ファティ・アキン
Fatih Akin
脚本 アダム・ボウスドウコス
Adam Bousdoukos
撮影 ライナー・クラウスマン
Rainer Klausmann
編集 アンドリュー・バード
Andrew Bird
 
◆キャスト◆
 
ジノス・カザンザキス   アダム・ボウスドウコス
Adam Bousdoukos
イリアス・カザンザキス モーリッツ・ブライブトロイ
Moritz Bleibtreu
シェイン・ワイズ ビロル・ユーネル
Birol Unel
ルチア・ファウスト アンナ・ベデルケ
Anna Bederke
ナディーン・クルーガー フェリーネ・ロッガン
Pheline Roggan
ルッツ ルーカス・グレゴロヴィッチ
Lucas Gregorowicz
アンナ・モントシュタイン ドルカ・グリルシュ
Dorka Gryllus
トーマス・ノイマン ヴォータン・ヴィルケ・メーリング
Wotan Wilke Mohring
ソクラテス デミール・ゲクゲル
Demir Gokgol
ナディーンの祖母 モニカ・ブライブロイ
Monica Bleibtreu
ヤギ マルク・ホーゼマン
Marc Hosemann
ミリー セム・アキン
Cem Akin
投資家 ウド・キア
Udo Kier
-
(配給:ビターズ・エンド)
 

 さらにこの図式は、映画産業にも当てはめられる。ノイマンは商業主義の権化であり、ぎっくり腰で仕事ができないジノスは、一匹狼のシェフ、シェインをスカウトして、冷凍食品ではなくポリシーのある料理で対抗することになる。ちなみに、昨年来日したアキンにインタビューしたとき、彼は、この図式を映画産業とダブらせていることを認め、シェインはいわばフェリーニのような存在であり、ジャンクフードに慣らされた客を再教育していくというように語っていた。

 それから、身体とソウル・ミュージックの表現も見逃せない。アキンは、物語とは異なる次元で、生身の身体やリズムによる繋がりを強調している。ジノスは上海のナディーンとSkypeでコミュニケートする。彼はなんとかモニタの向こうの彼女に触れようとして、プラスティックのようだという。

 一方でぎっくり腰に苦しむジノスは、トルコ系の整体師であるアンナを訪ねる。彼女はジノスの生身の身体に触れ、その距離は次第に縮まっていく。ソウルを中心とした音楽も同様の役割を果たす。店に集う人々は、シェインの料理(媚薬が入っていることもある)とリズムによって繋がり、触れ合っていく。DJの経験もあるアキンは、物語ではなく、音楽を通して映画の流れを作り上げている。

 レストラン“ソウル・キッチン”がアジール(解放区)になっていくことは、映画の導入部だけでも容易に察せられる。しかし、こうした様々な要素が絡み合って生み出される世界は、予想を超える魅力的なアジールになっている。


(upload:2011/03/02)
 
 
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