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現代の北京を生きる様々な男女の愛のかたちを描く「スパイシー・ラブスープ」には、これまでの中国映画にない新鮮な空気がある。それは、67年北京生まれという新鋭監督チャン・ヤンの感性によるところももちろん大きい。しかしもうひとつ見逃せないのは、中国系アメリカ人のピーター・ロアが映画の企画、製作を手がけていることだ。
彼は台湾の資本協力で北京に映画製作会社を設立し、この作品が生まれた。この映画は、映画配給に関する中国の法律に則って作られたインディーズ作品であり、そこには新しい感覚の作品で改革開放以後の中国市場を開拓しようとする野心を垣間見ることができる。
映画は結婚を間近に控えたカップルを狂言回しとして、同じ北京の街を生きる5組の男女のエピソードが描かれる。そのドラマは、たとえばアン・リーの「恋人たちの食卓」のように、食事を通してそれぞれの男女の立場や関係を描こうとしているようにも見える。映画は、狂言回しを演じるカップルがその両親と鍋を囲む場面から始まり、
5組の男女のドラマには食事の場面が頻繁に盛り込まれるからだ。ところが、各エピソードではそれぞれに男女を結びつけるものが、食事から別のものへと巧みに差し替えられ、新しい関係が見えてくるのである。
たとえば、結婚5年目で倦怠期に陥った夫婦は、彼らが子供の頃には縁のなかったラジコンやゲームなどのオモチャに楽しみを見出し、のめり込んでいく。同じ学校に通う少年少女の関係を描くエピソードでは、少年は小型のカセットデッキで町の音を拾うことに熱中し、その延長で世界一美しい音を発見する。それは彼女の声であり、彼はそれを密かに録音し、
編集して、ふたりのためのドラマを作りあげていく。その他のエピソードでも、定年退職した初老の看護婦がテレビ番組で伴侶を募集したり、離婚寸前の夫婦が家庭用カラオケで一瞬だけ夫婦の絆を取り戻したり、カメラマンの青年がファインダーを通して、キャンペンガールに恋をするというように、彼らはそれぞれに消費社会の産物を媒介に出会い、心を通わせようとする。
改革開放政策によって北京のような大都市には消費社会が広がり、男女のコミュニケーションも確実に変化しようとしている。映画はそんな新しい関係を否定も肯定もしない。ただ、彼らの関係には、ひとつ間違うと自分の居場所がわからなくなるような奇妙な浮遊感がある。その浮遊感は、彼らがそれぞれに独自の生活の楽しみを見出したかに見えて、
気づいてみると大量生産、大量消費によって生活が画一化されているという現実のささやかな暗示ともいってよいだろう。チャン・ヤンは、人々の日常を微妙に異化しながら、イデオロギーから消費社会へと急激に移行するひとつの時代を実に巧みにとらえている。
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