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というように書けば、もうおわかりだろう。「ユージュアル・サスペクツ」のカイザー・ソゼとは、まさにこの虚像なのである。そしてもちろん、この映画が非常に魅力的なのは、「パブリック・アクセス」に共通するこのようなテーマが、
まったく異なるジャンルを装った設定のなかで、実に緻密に検証されているところにある。つまりこの映画は、真相がわかればそれでお終いとか、結末の意外性を云々するタイプの作品ではなく、すべてが明らかになったところから、
虚像の力学とでもいうべきもののリアリティをじわじわと反芻してしまうところに本当の面白みがあるのである。
実際、この映画に描かれているドラマは、この虚像の力学の反芻によって、人物を動かす者と動かされる者、操る者と操られる者との関係が皮肉な転倒を繰り返していくことになる。
この映画は、埠頭に停泊する貨物船爆破の真相をめぐって、詐欺師キントの証言を頼りにそもそもの発端からの出来事が再現されていく。その過程では、カイザー・ソゼの存在はおろかその名前すらなかなか前に出てこないが、すでにそこには虚像の力学が働いている。
ニューヨーク市警と合衆国関税局は、匿名の情報をもとに5人の"常連容疑者"を連行し、泥を吐かせようと彼らをしぼる。しかし、結果からすれば、これは匿名の情報に操られた当局が、黒幕の陰謀に加担して彼らを集めるお膳立てをし、さらに厳しく尋問することによって、
彼らが結束を固める手助けまでしていることになる。一方、それを機会に結束を固め、新たな犯罪に乗りだす常連容疑者たちも見事にはめられたことになる。要するに、当局の人間も容疑者たちも自分の意思と判断で行動しているかに見えて、すでに完全に操られているのだ。
それから、カイザー・ソゼの名前が浮かび上がり、5人の男たちは、自分たちが出会うように仕組まれていたことをやっと知ることになるが、その時にはソゼの存在は、彼らを引き寄せる磁場を持った虚像になっている。なぜなら、男たちは、宝石だと信じて麻薬を強奪し、
ボディガードを射殺し、泥沼にはまり込んでいるからだ。そこで、彼らは、貨物船を襲撃せざるを得ない立場に追い込まれるが、この激しい銃撃戦の場面でも、彼らがソゼの本当の目的すら知らずに命をはるところに、最後まで操られつづける者たちの皮肉な運命が浮き彫りにされているといえる。
しかも、もっと皮肉なことに、ドラマの現在進行形の流れのなかでは、詐欺師キントが、映像が暗示する過去の事実を巧みにすり抜けながら、証言を続けている。そして、言うまでもなくこのキントと捜査官の駆け引きもまた、虚像の力学の大きな見どころになっている。
キントは、ソゼに対する恐怖感を吹聴しながら、捜査官のキートンに対する先入観や疑念をさり気なく煽り、そこで捜査官のなかに頭をもたげる疑心暗鬼が、ソゼの正体をつかみそこねる結果を招くことになるからだ。
とまあ、このように反芻してみると、この「ユージュアル・サスペクツ」が、最後まで先の見えないスリリングな犯罪映画とは異質な作品であることがおわかりいただけるだろう。このソゼという虚像をめぐる人間ドラマは、突き詰めていけば、
「パブリック・アクセス」のような小さなコミュニティから、政治や宗教など、個人の思惑や感情が錯綜する集団の世界すべてに当てはまるテーマを描いていることになる。つまり、この映画で、ブライアン・シンガーの関心は犯罪映画にあるのではなく、彼は、まったく異なる出発点から、
犯罪映画のジャンルや設定を最大限に利用して、集団と個人をめぐる普遍的なテーマを掘り下げている。そんなシンガーのユニークな視点が、「ユージュアル・サスペクツ」をよく出来た犯罪映画に見えて、実は犯罪映画とは言いがたい異色で奥の深い作品にしているのである。
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