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そして、日本映画も例外ではない。というよりもむしろ、不気味なまでに均質化が進んだこの国でこそ、こうしたテーマが最も重要なものになっているというべきだろう。たとえば、仮想戦闘ゲームの空間に依存し、自分が守ってきたわずかばかりの現実も失った「Avalon」のヒロインは、<アーサー王伝説>の物語を生きようとし、リセット不能の空間を目指して死闘を繰り広げる。『非・バランス』がバディ・フィルムとして異色なのは、
物語の強度をテーマにしているところにある。中学生のヒロインは、同級生たちがただ退屈な日常を紛らすために共有、消費するたわい無い噂話の世界に、偶然出会ったオカマを引き込み、物語を構築していく。そしてこの映画は、彼女が自力で獲得した物語を他者に語りだすところで終わる。
青山真治監督の「EUREKA」は、こうしたテーマの広がりのなかで異彩を放つ映画だ。彼が、現代という時代のなかで、個人と世界を繋ぐものとしての物語を意識していることは、以前の「シェイディー・グローヴ」を振り返ってみるとよくわかる。この映画には「クリミナル・ラヴァーズ」と共鳴する部分が多々ある。フランソワ・オゾンは「クリミナル〜」で、前作『ホーム・ドラマ』の舞台であるサバービアの対極にあるものとして、
森のイメージをたぐり寄せ、物語の象徴とした。
「シェイディー・グローヴ」にもそれに通じるコントラストがある。ヒロインの記憶には、かつて存在した森があり、そこにはささやかな物語があったが、現在ではその森は切り開かれ、新興住宅地と化している。そして彼女は、形骸化した両親との関係と恋愛マニュアルに支えられた日常を送っている。しかし偶然出会った若者が、彼女のこの消えた森に迷い込むことから、自分と世界の繋がりを見出していく。
あるいは、すべてが表層化した生活を送っていた彼女は、森に象徴される自分の影の部分を再発見し、見えないところで他者と通じ合えるようになるのだ。
「EUREKA」は、現代の日常とこの森の関係をさらに掘り下げる作品といえる。この映画は、舞台となる九州で凄惨なバスジャック事件が起こるところから始まる。同じ九州で実際に似たような事件が起こったことから、この映画に対する関心がさらに膨らむ傾向もあるようだが、これはそういう興味を満たす映画ではない。青山監督の「冷たい血」の冒頭で起こる、新興宗教の幹部射殺事件と同じように、
バスジャックは必ずしも重要な位置を占めるわけではない。それは、登場人物たちの生き方を変えるきっかけに過ぎないからだ。
この映画は、事件の修羅場をくぐり抜けた運転手と兄妹が、心の傷を癒すドラマのように見えるが、決してそうではない。この事件によって外界との接点を失い、心を閉ざすようになった彼らは、やがて奇妙な共同生活をはじめる。しかし、兄妹は触れあいを拒み、元運転手も彼らに積極的に働きかけるわけではない。というよりも、この原稿の冒頭に引用したダルデンヌ兄弟のコメントにあるように、彼は兄妹に伝えるべき遺産を持っていないのだ。
この兄妹の存在には、これまでの青山作品に通じるイメージがある。彼の作品では、外界との接点を失った男女や兄弟姉妹が、ひとつになるため、あるいは愛を証明するために、死や殺人という手段を選ぶ。筆者はそのすべてに説得力があるとは思わないが、この映画の兄妹には確かな説得力がある。事件に遭遇し、マスコミの脅威にさらされ、両親が去り、空虚な屋敷に残された彼らを、かろうじてそこに存在させ、繋ぎとめているのは、ひとつになる感情だけだろう。
この兄妹に元運転手、それに兄妹の親戚が加わった共同生活のなかに、兄妹の兄が、外から聞こえてくるクラブの素振りの音に激しく怯える場面がある。かつて北野武は、野球を知らない若者が素振りをする姿だけで、ルールがなければバットは凶器以外の何物でもないことを表現した(『その男、凶暴につき』レビュー参照)。実際この兄は、後に妹に襲いかかることになる。外界から孤立し、ルールもないこの空間のなかで、兄にはそんな手段しか残されていないのだ。
しかし、本当は彼らのルールが壊れてしまっているわけではない。日々、自然が切り崩され、新興住宅地が広がる環境のなかで、彼らは日常を支えるルールの基盤がすでに崩壊していることを感知し、効力のないルールに則った人間らしさを維持することができなくなった。だから彼らは、バスに乗って旅立つ。あえて無秩序を受け入れ、自然のなかで自分が在ることの原点に立ち返り、彼らが生きていくために必要なルールを発見≠オようとするのだ。
それは物語の強度を獲得しようとする行為と言い換えることもできるだろう。
この映画では、モノクロで撮影して現像時にカラーポジにプリントするクロマティックB&W≠ニいう方法が採用されている。この方法は、「シェイディー・グローヴ」のアプローチの発展と見ることもできる。「シェイディー〜」では、日常のドラマをデジカムで、森のシーンをフィルムで撮影することによって、ふたつの世界の質感が変えられていた。「EUREKA」はすべてクロマティックB&Wだが、この映像は、明らかに家屋などの人工物よりも火山や草原など自然物のきめを生々しく映像に刻み込む。
だから、屋敷の共同生活と旅では、彼らを包む空気がまったく違う。その旅のなかで劇的な何かが起こるというわけではない。しかし彼らは無意識のうちに、生きた自然の重圧や内に宿る殺意と静かな戦いを繰り広げる。その戦いのなかで、彼らの影の部分が少しずつ共鳴するようになり、彼らは人間として生きつづけるための物語を紡ぎ出していくのである。その物語の強度は、口を閉ざした妹の言葉によって示される。「EUREKA」は3時間37分の長編だが、その言葉に至るまでにはどうしてもこの時間が必要になるのだ。
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