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「夢の旅路」は、夢を多様な視点や次元でとらえることによって、人間として生きていることを見つめなおす映画だ。この映画の原題は"Animals"であり、プロローグにつづく本編の導入部には、ワニ娘やカエル男、ペンギン男、人魚など動物と人間を結合させた見世物の看板が映しだされる。それらは、われわれに人間と他の動物たちとの違いを意識させる。映画のプロローグで、フランス人の撮影隊は、ゴールドラッシュで移動する人々を当てこんで料金所の監視員になった男を見つけだす。男は犬と仲良く暮らしている。その犬はチューバの音に合わせて見事に踊ることはあっても、男のように夢と現実の境界を見失い、夢を生きつづけることはない。
本編の主人公であるヘンリーは、夢も希望もない人生を送っているが、偶然出会った3人の老人たちに導かれるようにシュールな世界の旅人となり、運命の人ファティマに出会う。その結果、彼はゼロから再出発するかにみえるが、人間の心はそれほど単純ではない。過去が彼をとらえて離さない。彼は、場所も定かではない高い所から飛び降りなかったことを後悔しつづけている。それは彼が夢を失った場所ともいえる。だからファティマを振り切って、タクシーもろとも断崖から飛び降りてしまう。
ここで思い出されるのは、トレーラーハウスに暮らしているフォンティナとエシーのカップルのことだ。彼らはいつも喧嘩ばかりしている。エシーは、フォンティナが死のうとしていても平気な顔をしている。しかし彼が本当に死んでしまったと思った瞬間、ショックと悲しみで激しく取り乱す。幸いにも彼は死んではいなかったが、人はそんなふうに大切なものを失ってから、そのことに気づくものなのだ。ヘンリーは、このカップルのやりとりを目にした時には、やれやれといった表情を浮かべているが、自分の番になったときには同じ過ちを犯してしまう。そして、気づいたときには手遅れになっている。
しかし、監督のディ・ジャコモは、そんなヘンリーの選択を否定的に描いてはいない。なぜなら彼は、ヘンリーとファティマをアダムとイヴになぞらえているからだ。ヘンリーは家畜小屋のなかで、天地創造をひもときながら眠りにつく。神は天と地を創り、光を導き、植物や動物を作り、最後に男と女を創った。やがてドラマのなかで"幸福の先駆者"となるヘンリーとファティマは、アダムとイヴを連想させる存在となる。アダムとイヴは蛇に誘惑されて禁断の果実を食べ、楽園から追放される。この映画では、ファティマの弟が蛇の役を果たす。彼は眠っているファティマに果実の種を含ませる。それは禁断の果実を暗示しているのだろう。
もしこの世に本当に楽園というものが存在し、そこに住むことができたら、それ以上に人は何を夢見るだろうか。夢に意味はなくなるだろうし、夢のない生活は虚しいだろう。人は楽園を失うかわりに、夢見る力を得る。この映画は、そんな夢見ることができる人間の幸福を描いてもいるのだ。
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