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テキサス州全般とオースティンの違いは、ドラマにも反映されている。ブッシュ現大統領の地元であるテキサス州は、死刑執行が最も多い州で、彼の6年間の州知事時代にも150人以上の刑が執行されている。この映画で、刑の執行を待つデビッドは、オースティンにあるテキサス大学の教授で、死刑廃止論者だった。大学教授デビッドは、死刑制度の是非を問うテレビ討論で、州知事から、現実に冤罪の死刑囚がいるのかと詰め寄られ、沈黙を余儀なくされる。
「私は死刑制度には反対しています。死刑が犯罪に対して抑止力を持たないというのも、理由のひとつですが、道徳的な観点から見ても、復讐のためにもうひとつの命を奪うことには賛成できません」
この映画のテキサスの世界は、女性記者ビッツィーという外部の人間の視点によってさらに際立つことになる。ニューヨークで働く彼女は、たとえば『エンゼル・ハート』の探偵ハリーがニューヨークからニューオリンズの闇に引き込まれていくのと同じように、テキサスという異世界に引き込まれていくのだ。
「『ミシシッピー・バーニング』もそうですね。ふたりの外部の人間がミシシッピーにやって来る。私はアメリカにやってきたイギリス人というアウトサイダーなので、アメリカという未知の世界に魅了されるのです。これまでアメリカの様々な場所で撮影をしてきましたが、それでもまだアメリカを理解していないという気持ちがあります。なぜなら、アメリカは各州ごとに違うし、南部はまるで別の国のようです。テキサス州などは、自分の州だけで国を作りたいのに、仕方なく合衆国に属しているようなものです。私はアメリカのこうした多様性に強く引かれる。素晴らしいだけでなく、欠点を持っていることにも非常に興味をおぼえるのです」
海外からアメリカ映画界に進出しても、非情なショービジネスに飲み込まれてしまう監督は決して少なくないが、彼は自分の成功をどのように見ているのだろうか。
「外部の人間だからこそ、アメリカがはっきり見えるということはあると思います。確かに、ハリウッドのシステムに飲み込まれた人たちはたくさんいますし、システム自体にはとても冷酷な部分がある。お金がすべてで、芸術性などは残念ながらどうでもいいことなのです。私は自分がとてもラッキーで、夢を見ているのではないかと思ってつねってみることもありますが、自分の映画作りを守りながら生き延びてこられたのは、私がかなり意志の強い人間であり、また責任を持って映画を作ってきたからだと思います。彼らのお金を無駄にはしていない。ただ、いまではやっていくのが本当に難しくなっています」
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