トニー・ガトリフ・インタビュー

2001年5月 銀座
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(初出:「キネマ旬報」2001年7月上旬号)

 

 

ロマ文化を生き、グローバル化に警鐘を鳴らすガトリフ

 

 民族はそれぞれに神話的な物語を持っている。それは故郷や聖地といった土地に根ざした歴史や伝統、あるいはテキストを通して継承されていく。しかし、流浪の民ロマは、形あるものを継承するのではなく、生身の肉体で日々、現実とともに神話的な物語を生きている。ロマの血を引くガトリフの映画を観ていると、まず何よりもそんなことを感じる。

「まったくその通りだと思える完璧な解釈をはじめて耳にしました。ヨーロッパの図書館に行くと、中世の時代からロマについて書かれた本がたくさんありますが、どれもロマではない人々がロマンティックに脚色したでっち上げです。また、ロマは何でも適当に喋ってしまうところがありますが、本音はなかなか明かさない。ロマの文化は、そのまま自分が存在することの証となるもので、簡単に喋るわけにはいかない。ロマは今この時がすべてで、過去とか未来という概念を持ちません。過去、現在、未来をすべてひっくるめて、"テハラ"というひとつの言葉で表現してしまいます。昔は墓も持たなかった。精神が解放された後に残った身体は石ころと同じなのです。非常に重要な人が死んだ場合には、遺品もすべて燃やす。現世に生きた痕跡というしがらみをすべて消し去るのです」

 最新作「ベンゴ」の構想は20年前から温めていたということだが、完成までになぜこれほどの時間がかかったのだろうか。


◆プロフィール
トニー・ガトリフ
1948年9月10日アルジェリアに生まれる。父親はフランス人、母親はアンダルシア出身のロマ。60年代の転換期にアルジェリアを去り、身ひとつでフランスに渡る。サンジェルマン・アン・レイ演劇学校に学び、E・ボンド作クロード・レイジ演出による『救われた人々』で初舞台を踏む。75年に16ミリの白黒映画『La Tete en Ruines』で映画デビュー。83年『Les Princes』で海外で数々の賞を受賞し、世界的にも認められた。この作品はパリ郊外に定住したロマに対して、同調せずに感情移入を抑えてとらえ、批評家の注目を集めた。自らのルーツでもある"流浪の民=ロマ民族(ジプシー)"を永遠のテーマに作品を作りつづけている。「ガッジョ・ディーロ」(97)では、フランスの人気俳優ロマン・デュリスを主演にむかえ、ルーマニアのロマ民族に出会い、魂の音楽と真実の愛に気づき成長していく青年の物語をみずみずしく描き、映画ファンだけでなく多くの音楽ファンも魅了した。本作「ベンゴ」はガトリフ監督が『Corregitano』以来、20年かけて練っていた企画であり、彼の集大成ともいえる作品となった。その功績は世界にも認められ、2000年ヴェネチア国際映画祭のクロージングを飾った。
(「ベンゴ」劇場用パンフレットより引用)


「ずっとフラメンコを映画に撮りたいと思っていたのですが、フラメンコを耳で聴き、心と身体で感じることはできても、映像できちっと描くことは非常に難しかった。それを克服し、資金を調達するのに時間がかかった。映画にできると思ったのは、(カコ役の)カナーレスとディエゴ役の対比を核にするというアイデアが出てきてからです。カナーレスは、ハンサムで感受性が鋭く、素晴らしいダンサーであると同時に、内面には祖先から引き継いだ苦悩を抱えている。これに対してディエゴは、言葉や身体が不自由な身障者ですが、精神には何ものにもとらわれない純粋さがある。この正反対にある外面と内面の対比ができたところで、映画を作ることにしました」

 確かにこの二人の対比は印象に残る。ダンサーであるカナーレスはまったく踊りを見せず、ディエゴがひたすら踊るのだ。

「ディエゴこそ偉大なダンサーです。フラメンコの踊りは、手足を苦しそうなほど捻じ曲げ、折れるかと思うポーズをとり、全身で表現をします。手足が不自由なディエゴは、全身を使ってまさにそういう動きをするわけです。それはもう究極のダンサーといえます」

 「ベンゴ」でガトリフは、フラメンコを通してロマのアイデンティティを追究する。それでは彼は、消費社会が広がり、均質化が進む世界全般をどのように見ているのだろうか。

「非常によくない状況だし、ジプシーの社会も悪化している。9世紀の頃から迫害に耐え、抵抗を続けてきたのに、70年代あたりからその姿勢を捨てるようになった。ロマの言葉を失い、特有の服装も廃れ、音楽まで失われだした。それ以前は何世紀にも渡ってまったく変わらずに残ってきたのに。社会的には迫害されても、文化的には侵略されることはなかった。ところが、グローバル化が進んでから、急速に特有の文化が衰退しだした。一番の元凶はテレビだと思う。テレビがロマの宿営地にやって来て、撮影とか取材、いろいろなことをすると、だんだん文化的なアイデンティティが壊れていく。
それこそが注意を要すべき非常に重要なテーマです。文化的な侵略を免れるためにも、それをテーマに次の作品を撮りたいと思っています。世界的に同様のことが起こっていて、嘆かわしい現状です。グローバル化はいずれよい面が出てくるのかもしれないが、いまは危険な悪影響しかない。特に現代の価値観ではお金がすべてを支配し、結局、自分を見失うことにつながる。音楽にコミュニケーション、それから多国間の活動にしても、お金がすべてで、それが深刻な弊害を及ぼしている」

 このコメントに出てきた次回作は、具体的にはどのような作品になるのだろうか。

「親の言葉に全然耳を貸そうとしないロマの子供たちを中心に描きます。だから言葉も音楽も失っていく。これはもう現代の真実です。でもこれから先、できることなら悲劇的な結末は避けたい。そうでないと、私が映画で描いたものは、すべて民俗学博物館にでも収まることになりますから。それどころか考古学までいってしまうかもしれない(笑)」

 以前からガトリフに会ったらぜひ聞いてみたことがあった。「モンド」のなかで、ニースに流れてくる文字が書かれたオレンジには、どんな意味が込められていたのだろうか。

「あのオレンジはアルジェリアから流れてきます。アルジェリアには女性に殉教を強いるイスラムの宗派があって、4〜5年前までそんなことが行われてました。あのオレンジには殉教した女性たちの名前が書かれ、彼女たちに捧げるというメッセージになっています。もともとシチリアに、家族に死者が出るとその死者のためにオレンジを海に流すという伝統があって、それがヒントになりました。地中海は沿岸の文化が交流する場で、そういう出会いの象徴でもあります」

 実に奥が深い。そんな文化交流を拡張したものこそが、よい意味でのグローバル化ということになるのだろう。


(upload:2001/09/27)
 
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