バフマン・ゴバディ・インタビュー
Interview with Bahman Ghobadi


2010年7月
ペルシャ猫を誰も知らない/No One Knows About Persian Cats――2009年/イラン/カラー/106分/HD→35mm/シネマスコープ/ドルビー
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 しかし、ここで注意しなければならないことがある。私たちは、音楽や音楽活動を規制する当局と自由を求めるミュージシャンの関係を、「イスラム」と「西洋」、「伝統」と「近代化」という単純な対立の図式に押し込んでしまいがちだが、それは正しくない。ゴバディ監督は、音楽をもっと深く掘り下げ、独自の表現を生み出している。

「この映画を作る前に、音楽と関わりを持つ様々な映画を観ていて、これまでのものとは違った作品にしたいと思いました。これは、一つのバンドについての物語ではなく、ジャンルが違うたくさんのバンドが登場します。普通はそこで彼らの演奏場面を挿入するものですが、私は音楽と演奏場面とは違う映像の組み合わせを考えました。彼らの曲や歌詞を聴き込み、使いたい曲をセレクトし、それぞれの歌詞と結びつくような映像を考え、テヘランがどういう状況なのかを描き出そうとしました」

■■限られた時間、17日間で撮影することがとにかく厳しかった■■

 そんな独自の表現が意味するものを明確にするためには、「イラン」とは何かを確認しておく必要があるだろう。そこで参考になるのが、アメリカで活動するイラン生まれの批評家ハミッド・ダバシが書いた『イラン、背反する民の歴史』だ。彼は歴史を検証して、イランがもともと多様な宗教、民族、思想から成り立っていたことを明らかにした上で、以下のように問題点を指摘する。

「イラン」とは単一文化である、という認識を無理に当てはめ、枝分かれした数々の特性が亜国家的、多文化的、多民族的、多面的、混合主義的、異種交配的な融合を果たしたという、事実に基づいた証拠と対立させる

 『ペルシャ猫を誰も知らない』に登場するミュージシャンたちは、決して西洋音楽ばかりに傾倒しているわけではなく、イランの伝統音楽、伝統楽器、ペルシャ語の歌詞などを使って、多文化的な音楽を生み出している。

 そして、そのなかでも音楽と映像が特に印象に残るのが、イランを離れてニューヨークで活動する女性シンガー、ラナ・ファルハンが、幻想のように(彼女の顔は映らない)登場する場面だ。彼女の音楽では、ブルースやジャズの要素とルーミーやハーフィズの古典詩を取り入れた歌詞が融合している。彼女のホームページ“Rana Farhan - Persian Blues Singer - Home”には、ゴバディ監督のこんな言葉が引用されている。

ラナは現代のイラン音楽のなかで重要な位置を占めている。糸を通した針のように、ラナは音楽で東洋と西洋を縫い合わせてみせる

 この映画では、そんな彼女の歌と現代のテヘランを生きる様々な女性たちの映像を結び付け、単一文化という認識に揺さぶりをかける。ところがゴバディ監督自身は、この音楽と映像による試みに不満があるらしい。

 


 
―ペルシャ猫を誰も知らない―
 
◆スタッフ◆
 
監督/脚本   バフマン・ゴバディ
Bahman Ghobadi
脚本 ロクサナ・サベリ、ホセイン・アブケナール
Roxana Saberi, Hossein M. Abkenar
撮影 トゥラジ・アスラニー
Turaj Aslani
編集 ハイェデー・サフィヤリ
Hayedeh Safiyari
 
◆キャスト◆
 
ネガル   ネガル・シャガキ
Negar Shaghaghi
アシュカン アシュカン・クーシャネジャード
Ashkan Koshanejad
ナデル ハメッド・ベーダード
Hamed Behdad
  アーブラング
Abrang
  ハメッド・セイエド・ジャヴァーディー
Hamed Seyed Javadi
  ニカイン
Nikaein
  ラナ・ファルハン
Rana Farhan
  ザ・フリー・キーズ
The Free Keys
  ザ・イエロー・ドッグス
The Yellow Dogs
  シェルヴィン・ナジャフィヤーン
Shervin Najafian
  ミルザー
Mirza
  ワーダット
Vahdat
  ダールクーブ
Darkoob
  ヒッチキャス
Hichkas
-
(配給:ムヴィオラ)

「私には、パーフェクトな作品とは思えません。時間が限られていたためです。17日間で撮影することがとにかく厳しく、自分が思い描いた通りの映像にはなっていないのです」

 そこでさらにラナの曲と女性たちの映像の組み合わせについて尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「そういう質問をされたのははじめてで、私自身も今は興味を覚えていますが、映画を作っているときには意識してませんでした。ラナはすごく苦労してきて、音楽活動をするためにイランを離れているのですが、そんな彼女の人生と、イスラムの世界では女性にあまり権利がない現実が私のなかで結び付き、女性たちの映像になったのだと思います」

 筆者には、ゴバディ監督が限られた時間のなかで、音楽と直観に従ってテヘランを切り取っていったことが、この作品をより深いものにしているように思える。彼のなかのイラン人の部分が、明確に意識される以前に、自然なかたちで表出しているからだ。

 そのためこの映画では、しばしば現実が整理されることなくありのままに提示される。ブルース・バンドのミルザーやラッパーのヒッチキャスの音楽とテヘランの影の部分をとらえた映像からは、中流層と貧困層の間にある深い溝や社会から見離された人々の孤独が浮かび上がる。そこで、かつて保守強硬派のアフマディネジャドを支持し、大統領にしたのが貧困層であったことを思い出せば、イランのねじれた現実が見えてくるだろう。

「貧困層の人たちが一時、アフマディネジャドを支持したことがあったかもしれません。確か支持を得るために、お金を配ったりすることもあったかと思います。しかし、いまはもうそんなことはないでしょう。もしまだ支持している人がいるなら、自分が生きのびるための手段として表面的に支持しているだけだと思います」

 ゴバディ監督は論理的に説明しようとするが、彼がセレクトした音楽と彼が撮ったテヘランの映像には、複雑で不条理な現実がよりリアルに描き出されている。イラン人としての誇りも持っているという彼の直観は、多様な文化や複雑な現実が、単一文化や単純な対立の図式に回収されてしまうところに根源的な問題があることを見抜いている。

 
《参照/引用文献》
『イラン、背反する民の歴史』 ハミッド・ダバシ●
田村美佐子・青柳伸子訳(作品社、2008年)
 
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(upload:2010/09/20)
 
 
《関連リンク》
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アッバス・キアロスタミ 『トスカーナの贋作』 レビュー ■
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