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「50年代は、ヨーロッパの社会が急激な変化を遂げた時代です。大戦が終わり、アメリカの映画産業が発展し、ロックン・ロールが席巻しました。その結果、現在の社会へと移行したのです。スウェーデンも例外ではありません。今世紀初頭、人口の約六分の一がアメリカに移住した事実を見れば、
両国の絆が強いことは容易に想像できます。50年代はこの傾向が特に顕著だったのです。この映画で、オロフは過去にこだわりを持ち、エリックはもっと未来との関わりを持っています」
このふたりの関係を見ていて筆者が思い出すのは、50年代を舞台にしたフリドリック・トール・フリドリクソン監督のアイスランド映画「精霊の島」だ。この映画では、アメリカ文化に囚われて居場所を失う兄とアイスランドの土壌に深く引き込まれていく弟の関係が象徴的に描かれるが、
「太陽の誘い」もまた、アメリカ文化とスウェーデンの土壌をめぐる非常に象徴的なドラマになっている。
「原作でわたしの興味を駆り立てたのは、三人の登場人物、それがすべてであり、彼らに的を絞り込むことだけに専念しました」
この映画では、舞台の背景や登場人物たちの過去などはほとんど語られない。観客は特にエレンの過去に興味をそそられることだろうが、ナトリーは、そのことについて多くを語ろうとはしない。
「想像するにエレンはスウェーデンのとある街、恐らく中流階級の主婦として生活していたのではと考えます」
しかし象徴的なドラマからは、人物の背景や感情の変化が見えてくる。50年代ファッションでオロフの前に現れるエレンは、最初から眩しく魅力的な存在だが、彼女が漂わせるエロティシズムは、オロフとの関係のなかで表層的なものから内面的なものへと変化していく。同時にオロフも、エリックの言葉ではなく自分を信じ、逞しくなっていく。
「映画は50年代に設定されていますが、開映の数分後には、そうした事実も意味をなさなくなる、そうあってくれることを願います。冒頭とラストに「先にありし者は、また後にあるべし。先に成りし事はまた後に成るべし。陽の下に新しきものあらざるなり。」という聖書(伝道の書)の一文を引用しました。
この物語は、人類が誕生し、そしてわたしたちがもはや存在しえなくなるまで続いていくことなのです。従って、この作品はある時代を描いていると同時に、時間を超えた普遍的な物語でもあるのです」
50年代以降、われわれはレトロな感覚も含めて常に新しさを求め、漫然とそれを消費しつづけているが、「太陽の誘い」は恋愛映画の枠を一歩も出ることなく、現代という時代を根底から見直そうとする素晴らしい作品なのである。
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