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リー・カンションの父親が亡くなったのは、『Hole』の撮影に入る直前だった。そういう時期に演技に専念することは、精神的にたいへんな負担だったのではないだろうか。
「父はとても厳しい人でした。ですから父に対しては、近づきがたいような、少し距離を置かなければいけないような気持ちもありましたが、父への愛はとても強いものでした。でも、それを面と向かって素直に打ち明けることができませんでした。父を失ってはじめて、自分の心に大きな穴があいたような喪失感を覚えました。撮影のときには、なるべく父のことを考えないようにしたのですが、やはりどうしても考えてしまいました。とても苦しい時期でしたね」
『迷子』のなかで祖母は、息子のリー・カンションに連絡をとろうとするが、どうしてもつかまらない。この映画には、祖母や少年の喪失感とともに、リー・カンションの世代、そして何よりも彼自身の喪失感が描き出されているのだ。
一方、俳優リー・カンションは、ツァイ・ミンリャンとのコラボレーションを通して、変貌を遂げ、成長をつづけている。『楽日』と『西瓜』では、まったく違うリー・カンションを見ることができる。
「『楽日』の場合は、『迷子』の準備をしている時期だったので、私の出番はあまり多くありません。映画の最後に登場する映写技師という役で、いままさに消えようとしている映画館とともに失われていく存在です。監督は、この人物を精神的な象徴として描いていたと思います。私はそのようにとらえ、精神というものを重視して演技しました。『西瓜』の場合は、AV男優の役で、かなり難しいものがありました。まず、裸体を晒し、身体で演じなければならないので、トレーニングジムに通い、一生懸命に肉体を鍛えました。それから、潔く裸になって演技するために、心理的な思い切りも必要でした」
それでは、監督としても評価された彼は、これからどういう方向に進もうとしているのだろうか。
「いまはどちらかというと、監督の方に向かいたいという気持ちが強いですね。台湾のマーケットとか、私が出演するような映画とか、自分を取り巻く環境を考えても、作り手の方に回らざるを得ない状況があります。長編の二作目が九月にクランクインの予定で、いま準備を進めているところです。私のオリジナル脚本で、台湾社会の現実が私にこの脚本を書かせたともいえます。台湾社会は、すごく功利主義的で、利己的で、文化というものを軽視していると思います。映画の主人公は株屋で、とてもセクシーな格好をしたビンロウ売りの女性と“SOS”という命のホットラインで働く女性が登場します。株屋の男は、最初は景気がいいのですが、株が大暴落して借金まみれになり、麻薬にも手を出す。これではだめだと思った彼は、命のホットラインの女性に精神的な慰めを、ビンロウ売りの女性に肉体的な慰めを求めようとする。少しファンタスティックな要素のある作品です」
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