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ところが、日本でのデミに対する評価は相変わらずひどい。とにかく新作の「Married〜」が、劇場公開もされないままに近くビデオ化されるというのだから悲惨である。ところが、ここにきて意外なところから彼の名前が飛び出してきた。 ヘイシャン・ミュージック(ハイチの音楽)のコンピレーション・アルバム「コンビット〜バーニング・リズム・オブ・ハイチ」のプロデューサーに彼の名前がクレジットされていたのである。彼は87年にハイチのドキュメンタリーを製作したりもしているので、そこらへんと繋がりがあるに違いない。 というようなことを想像しているときに、なんと彼に電話インタビューするという幸運にめぐまれた。
40分弱のインタビューだったが、デミはものすごいスピードと熱意で、音楽や映画のことを話してくれた。きっとこのインタビューを読んだら、あなたもデミのことが好きになってしまうことだろう。
――アメリカのメジャーのレコード会社からヘイシャン・ミュージックのコンピレーションが出るのは初めてのことだと思うのですが、あなたはこの「コンビット」でどのような役割を果たしているのですか。
ジョナサン・デミ(以下JD) 2年前にハイチを扱ったドキュメンタリー『Haiti : Dreams of Democracy』を作ったことが最初のきっかけだったんだ。このドキュメンタリーにかかわった人々のなかに、今回のアルバムで演奏しているハイチのバンド、レ・フレール・パランがいたんだ。 それで1年くらい前に、彼らと会ったときに、また別の企画を一緒にやってみないかって聞いてみたんだ。というのも、どうしてハイチの外では、人々がハイチの音楽を楽しむことができないんだろうということが頭にあって。答はこれまでハイチの音楽を聴ける機会があまりなかったからだ。
それからしばらくして、わたしはニューオリンズに行って、ネヴィル・ブラザースのビデオ・クリップを作ったんだが、そのときにシリル・ネヴィルもハイチにとても興味をもっていることを知ったんだ。そこで、ヘイシャン・ミュージックのコンピレーションを作るというわたしの計画を話してみたら、 シリルがのってくれて、それで一緒にA&Mレコードに話を持っていって、実現することになったんだ。わたしは、ふたりの共同プロデューサーと一緒に曲を選んだんだけど、手元にはものすごい枚数のハイチの素晴らしいアルバムがあって、本当に大変だったよ。このアルバムはぜひ成功させたいんだ。 スペースの都合でアルバムに入れられなかった曲がたくさんあって、2枚目も作りたいんだよ」
――ドキュメンタリーに音楽、どうしてそれほどハイチに引かれるのでしょう。
JD 10年くらい前にハイチのアートに興味を持ちだしたのが、そもそもの始まりなんだ。ハイチの風景を画いた絵を見て、その風土に興味を感じたんだ。それから、たぶん7〜8年前のことだと思うけど、ハイチからニューヨークに移住する人の数が急増して、ハイチの人々のコミュニティができるようになって、 彼らと話をするうちにニューヨーカーのわたしは、彼らの国への興味がどんどん膨らんでしまって。そのうち話を聞いているだけでは満足できなくなって、とうとう3年前にハイチに行ってしまったんだよ。そして、そこでとても貴重な体験をしたんだ。デュバリエ大統領が国外に脱出して1年後のことで、 大統領を選ぶ最初の選挙が行われようとしているところだった。それまで30年もデュバリエ大統領が独裁体制をしいていたんだ。誰もが民主主義の話に熱中して、興奮していた。アメリカはもちろん民主主義の国なんだけど、それは、お金や家を持っている人々のためのものであって、 収入のない人や路上で暮らす人にはあまり意味のないものだ。だから、ハイチの人々すべてが民主主義に夢を抱いている光景を見て、わたしはすごく感動してしまったんだよ。ドキュメンタリーを作ったのは、このユニークな国の歴史的な瞬間を記録したかったからなんだ。
――あなたがまだ小さかった頃、両親がカリブ海に連れていってくれたり、ハイチの話を聞かせてくれたりしたそうですけど、その影響もあるんじゃないですか。
JD ハッハッハ。それもあるね。しかしどうしてそんなことを知ってるんだい。確かにその通りなんだ。わたしがまだ小さかった頃、父親はアメリカン・エアラインで働いていたんだ。それから7歳のときだったか、両親がハイチに行ってきて、とても興奮していたことをよく覚えているよ。
父親が、"ゾンビ"を見たというんで、もう本当にびっくりしてしまった。とにかく子供にとってハイチはとても魅力的なところだからね。 ===>
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