トム・ディチロ・インタビュー

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 「ガソリン・スタンドで買った本にどのアイデアも載っているよ(笑)。それは冗談だけど。ぼくは観客を驚かせるようなストーリー展開が好きで、一見するとすごくアトランダムに見えるハプニングが、実際にはキャラクターたちの人生の糸で、 ある瞬間≠竍物事≠ノ編み込まれている、そういう物語を作ろうといつも努力している。いわば建築様式だね。ぼくは美しい建築様式に魅力を感じるんだ。だから脚本を書く時も、観客に気づかれないようなポイントやテーマを考えて、 それを(ストーリーに)編み込んでいく。映画って、とにかくまずはエンターテイメントであるべきだと信じているし、ぼくが小細工をして観客(の心)を操ろうとしてたらすぐ分かるような、自分より頭のいい人を念頭に置いて、 やろうとしている事がはっきりと分からないように作る努力をしている。ぼくにとってはそういう事が面白いんだ。偶然≠チていうのも大好きで、たとえばボブの場合、彼の私生活がだんだんとソープオペラの世界を侵していく。 映画って、こういった不思議なアクシデントと相性がいいんだよね。 観客を驚かせ、楽しませ、また、常に意外性という要素をもたらす、ぼくがやろうとしているのはそういうことなんだ」

 思い込みにとらわれる人々を非常にユーモラスに、しかもリアルに描くことのできるディチロは、そうした登場人物とは対照的な、現実を常に冷静に見つめるタイプの人間なのだろうか。

 「いや、ぼくはぼくの作るキャラクターと似てると思うよ。自分の周りで起こっているバカげた状況を眺めて、そのアホさ加減に笑うしかない時もあるし。 あまりのことに怒りを爆発させたいと思う時もあるし。 ぼくのユーモアの大部分は、 周りで起きているバカげた状況に対しての怒りとフラストレーションから来てるんだ。 だから、質問の答として言えることは、ぼくはたぶん、自分のアーティストとしての体質のおかげで、そのクレイジーなエネルギーを映画や脚本といった形にできるんだと思う。 ぼくのなかの理性的な面のおかげで、カオスを脚本という形にすることができるんだろう」

 

 


 ディチロは80年代に自作自演の「ジョニー・スウェード」を含めて、舞台の演出や役者を多くこなしてきた。そんな舞台の体験が彼の映画のスタイルに影響を及ぼしていることはあるのだろうか。 舞台というのは、ある意味で現実と虚構が紙一重のところで接しているようにも思えるのだが…。

 「いい質問だね。もう10年くらい舞台には立ってないんだけど、演技はぼくの映画作りの全ての面に影響を及ぼしている。特に脚本を書くという行為には。二人の人間の間で交わされる会話や場面を書く時は、 舞台に立っていた経験から何が役者をエキサイトさせるか知っているので、限りなくエキサイティングな場面が書ける。 役者が何か意外な演技をできるような場面をね。ぼくの映画を見てもらえば分かると思うけど、 多くのキャラクターが予測していた事態とはまったく異なる展開に直面して、それに何とか対処しなければならない羽目に陥っている。ぼくは、自分を驚かせてくれるような演技をする役者が好きだし、脚本も、結果的に役者が舞台で何をやってみせてくれるか、 また、彼らの演技のプロセス全体に左右される。俳優としての経験は、実際に役者を演出する時にもとても役に立っているよ。ぼくは、今まで一緒に仕事をしたすべての役者の演技を誇らしく思っている。彼らはぼくを本当に信頼してくれたし、 自分たちのもっともパーソナルで、想像力のある演技を披露してくれたと思っている」

 ディチロの世界は、ほとんど日常の現実的な体験から発展してきているように思えるのだが、影響を受けた監督とか作家はいるのだろうか。

 「そうだな…作家でとても影響を受けたのがカフカ。それも、ユーモア作家としての彼に影響を受けた。一般にカフカは、ヘビーでシリアスな実存主義作家だと思われているし、むろん実際にそうだったんだけど、ぼくにとってカフカ作品の魅力は、 人間がひどく妙な状況に置かれてしまうといったユーモアなんだ。男が朝起きたらゴキブリになっていたみたいなのは、実際のところ、演技のしがいのある瞬間だよね。だって、どんな風に演じる? そういったユーモアは自分の作品に役立っていると思ってるよ。 ぼくの作品を見て貰えば、きっと何らかのレベルでカフカ的バカバカしさがある事に気づくと思う。あとはフェリーニにも多大な影響を受けた。黒澤とも非常に似た人間的なところにね。フェリーニは人間に対して諦めたりしないんだ。どんなに複雑なキャラクターでも人間的なところがある。 そういう作品に非常に興味を覚える。マルクス兄弟にも影響を受けている。彼らのまぬけなユーモアもぼくの作品にうかがえるはずだ。でも、いろんな映画監督や作家に影響を受けているなぁ…ジェームズ・ジョイス、監督ではジョン・ヒューストン、ガス・ヴァン・サントも尊敬しているし…」

 ディチロの映画には、常にインディーズならではのスタンスというものが現れているように思うのだが、彼はインディーズというものをどのように意識しているのだろうか。

 「この映画に至るまでのどの作品でも、自分の好きなようなキャスティングができたし、脚本も自分が書きたいように書いたし、自分がやりたいように編集をしたし…それがインディーズ・スピリットだというなら、ぼくのやりたいことはまさにそれだ。 ぼくにはこういう仕事のやり方しかできないから。でもだからといって、エリート主義的っていうか、自己中心的な気持ちはまったくないんだ。ただハリウッド的映画作りってのがあって、それはつまりコミュニティでの映画作り…ええと、何て言えばいいかな…つまり委員会みたいなところでの映画作りってことだ。 30人が判断を下すというような。自分のアイデアを持って、「こうやりたい」って言えるのはインディーズの世界だけなんだ。残念なことに、そういうタイプの映画を作る場合、資金集めは難しい。 アメリカのインディーズ界の現状はひどく厳しいし。昔とは違うんだ。 コマーシャルにならないかもしれない映画のリスクを背負う奴なんていないんだよ。「リアル・ブロンド」はハリウッドのメジャー・スタジオが配給したんだけど、それはぼくの意思じゃなかったし、最終的に判断ミスだったと思ってる。二度とやらないよ。 今はっきり言っとくけど、ハリウッド映画は何があっても絶対に作らない。絶対にね」

 最後に次回作の内容について尋ねてみた。

 「次回作は「リアル・ブロンド」を製作するにあたって経験したことを下敷きにしたものになる予定だ。「リアル・ブロンド」を作るのはとても楽しくて、クリエイティブな経験だったんだ。たぶん(ぼくの話し振りから)感じ取れると思うけど、役者たちともすごくウマが合ったし、とにかく楽しい作業だった。 すごく誇りに思ってる作品なんだ。残念ながら、米公開を手掛けたパラマウントはこの作品をまったく理解していなくて、そのことが映画自体に悪影響を及ぼしてしまった。それが「リアル・ブロンド」を作るに当って経験した最悪なことだったんだけど。

 次回作は完全にインディーズで、低予算の作品になる。キャストは決まっていて、「リアル・ブロンド」で護身術のインストラクターを演じたデニス・リアリー、スティーブ・ブシェーミ、そしてエリザベス・ハーレー。『Double Whammy』というタイトルの犯罪ものなんだ。 ダブル・ワミー≠チていうのは「リアル・ブロンド」のなかでもたくさん起きている現象で、説明すると、人生のなかで何かひどいことが起き、やっと切り抜けて、もう二度とこんな酷い目には遭わないだろうって思ってると、窓からピアノが降ってくる、そんな踏んだり蹴ったりの状況を意味する表現なんだ。 映画もまさにそういう内容のコメディだ。アメリカのインディーズ映画におけるバイオレンスを題材にした、ちょっと変わったコメディ。今までの作品とはずいぶん違ったものになると思うよ」

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