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小説と映画では表現の方法が異なるが、ウェーバーは、脚本も手がけたトマス・ハリスとどのように共同作業を進め、映画の方向性を決定していったのだろうか。
「トマスは、ストーリーテリングに関して独自のヴィジョンを持っていましたが、脚本を手がけるのは初めてだったので、彼が映画的なストーリーテリングを理解する手助けをしました。小説と映画では、強調される部分も違いますし、内容も変わってきます。具体的には、ハンニバルの叔父が小説では登場しますが、映画では登場しません。他にも、映画ではいくつかのエピソードを削りました。この映画を私のヴィジョンだというつもりはさらさらありませんが、どんなクルーを使い、どんなセットを選び、どんな照明をあてるかなど、様々な判断を下すのは監督の仕事なので、当然、映画には私の感性が反映されることになります。私が目指したのは、トマスのヴィジョンにできるだけ敬意を払い、観客が楽しめる映画を作るということです」
この映画でハンニバルに扮するギャスパー・ウリエルは、外見的にはアンソニー・ホプキンスと似ているとはいえないが、彼を起用した決め手はなんだったのだろうか。
「ハンニバルの若かりし日々を描き出すうえで、どうしても避けたかったのは、アンソニー・ホプキンスに似た若い俳優を見つけて、キャスティングすることでした。それをやってしまったら、面白い作品にはならなかったでしょう。この映画は、これまでのハンニバル・シリーズとは異なる作品なので、自分なりのハンニバル像を作れる俳優、若いハンニバルを再生することができる新しいアプローチが必要でした。とはいえ、ギャスパーにはまず、ヴォイスと動きのコーチをつけて、『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスを手本にしました。ただこれは、模倣するためではなくて、新しいハンニバルを創造するためのレシピにおける材料のようなものです。ギャスパーは、アンソニー・ホプキンスへの目配せをしつつ、自分なりのハンニバルを作り上げることに成功したと思います。そして映画の最後、彼の目をとらえたシーンは、まさに彼が、私たちのよく知るハンニバルになりつつあることを表現できたのではないかと思っています」
ウェーバーの映画には、光と影が生み出すコントラストや独特のトーンなど、できるだけ台詞に頼らず、映像で表現しようとするスタイルがある。彼は、どのようにしてそうしたスタイルを切り開いたのだろうか。
「ひとつの要因は、テレビの世界で長く仕事をしていたことだと思います。テレビでは、台詞を話す人物のアップが基本になりますが、映画に移行することによって、そういう制約から突然、解放されました。言葉を使わない視覚的な表現を見出していったわけです。また、イギリスには、シェークスピアやディケンズなど、非常に強い文学的な伝統がありますが、それに対抗するように、映画による異なるストーリーテリングを目指してきたということもあります。サイレント映画にも魅了されました。さらに、日本の監督からもいろいろ学びました。小津作品では、登場人物の一瞥が、どんなに長い台詞よりも多くのことを物語る。同様に黒澤作品では、三船敏郎扮する主人公の刀の一振りが、彼が話すどんな台詞よりも多くのことを物語る。それこそが、映画的なストーリーテリングの最高峰であり、私が最も魅力を感じるものなのです。だから、私が映画を作るときには、できるだけシンプルで、洗練され、台詞を使わない表現を追求していきたいと思っています」
9・11以後の世界では、“復讐”が時代を象徴するテーマとして注目されているところがあるが、ウェーバーは、『ハンニバル・ライジング』と世界の状況に何らかの繋がりを感じているのだろうか。
「それはとても鋭い質問です。『ハンニバル・ライジング』は、メッセージ映画でも、政治的な映画でもありません。あくまでメインストリームの娯楽映画です。しかし、映画というものは、常にそれが作られた時代を反映している。どんな映画でも、その底にはシリアスなメッセージがあると、個人的に考えています。この映画でいえば、戦争によって家族を奪われた主人公が、復讐を望み、それを果たすわけですが、その過程で自分が持っていた人間性を失ってしまうということです。この映画には、切断された首や爆発する建物などの映像が盛り込まれています。それらが、現代の世界で起きている様々な恐ろしい出来事を思い起こさせるものであることは、記号学者やメディア・アナリストでなくても、誰でもわかることだと思います。つまり、とても重要なメッセージが、このコマーシャルな娯楽作品のなかに埋め込まれているということなのです」 |