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そんなドラマのなかでも特に印象に残るのが、ヘレンと彼女の夫ジョンのコントラストだ。ロンドンの日常と戦火で荒廃したクロアチアでは、生と死の位相がまったく違う。ふたりが存在する世界には隔たりがあるが、ヘレンが車にはねられるときに、ジョンを乗せた車も人をはねそうになり、ジョンが息子の幻影を見るときに、ヘレンも反応するというように、彼らはシンクロニシティ(共時性)で繋がっている。
「脚本を書いている段階で、私の指針になっていたのがそのシンクロニシティでした。死の瞬間の強烈なインパクトというものが、シンクロニシティを生み出すと思ったからです。オカルトみたいに思われるかもしれませんが(笑)、私はシンクロニシティを信じています。お互いに愛し合っていれば、地理的な距離というのはあまり意味がないのかもしれません。ジョンの旅については、背景を具体的に決める前から、戦争で荒廃した場所というイメージを持っていました。彼が愛や生に目覚めていくためには、死の世界を通り過ぎなければならないということです。ロンドンに降る雨は、ヘレンにとっては死と繋がるものですが、ジョンにとっては違った意味を持ちます。これまで不毛の土地を旅してきた彼には、雨が解放にもなるのです」
生と死の狭間の世界で、ヘレンは生から死へ、ジョンは死から生へと向かう。そんなふたりの想いが交錯することによって、この映画は、死と再生をめぐる神話的な物語となる。
「私たちは、自分の愛する人を失ったときに、特に神話との繋がりを感じます。私たちの生は小さなものですが、それが生と死の大きなサイクルに取り込まれ、神話になっていくのだと思います。それから旅そのものも神話性を持っています。私たちは、過去の人々が旅をしてきたのと同じ理由で旅をつづけている。この物語の構想を練っているときに、私の頭にはホメロスの「オデュッセイア」がありました。それも、オデュッセウスのことではなく、彼の帰りを待つ妻のペネロペイア、彼女の待つという行為について考えていました。彼女の行為もまたひとつの旅であり、それがヘレンの立場に反映されています」
この作品には、他のイギリス人監督とは異質な感性や表現がある。それは彼女が、ポーランド国立映画学校の監督コースで映画を学んだことと関係があるのかもしれない。
「ただ脚本が書きたいという欲求があるだけで、自分では違いを意識することはありませんが、他の監督ほどリアリズムにこだわっていないということはあると思います。ポーランドの学校を選択したのは、伝統的で、一貫した指針に基づいていて、イギリスのように脚本や台詞中心ではなく、ヴィジュアルを重視していたからです。それから、東欧圏に行きたいという気持ちもありました。違う伝統、映画作り、言語のなかで学んでみたかった。いまから振り返ると、これまでの環境から自分を解き放ちたくて、ポーランドに行ったのかもしれません」
ヤング監督の次回作は、アンドレア・アシュワースの「Once in a house on fire」という自伝の映画化ということだが、そこにはこのデビュー作に通じるテーマがあるのだろうか。
「次の作品は、十代の少女に関する物語です。彼女は、私と同じように読書好きで、自分の想像力によって変わり、希望を叶えていく。貧困や虐待という厳しい家庭環境のなかで、そのサイクルを変えていくのです。今度はフィクションではなく、実話の映画化ですが、共通するテーマがあるとすればコミュニケーションということです。彼女がどのようにして世界に手を伸ばしていくのかを、観客に体験してもらえればと思っています」
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