ファティ・アキン
Fatih Akin


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(初出:『アジア映画の森――新世紀の映画地図』、若干の加筆)
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 今後の企画も含めたアキンの作品のなかで重要な位置を占めているのは、「愛」「死」「悪」をテーマにした三部作だが、そのドラマとアキン自身がすでに見出している答えやアイデンティティに対する考え方は深く結びついている。

 三部作の第一弾『愛より強く』でまず注目しなければならないのは、トルコ系移民の保守的な家族から必死に逃れようとするシベルの心理だ。彼女は、妻を亡くして自暴自棄になっている同胞の男ジャイトに偽装結婚の話を持ちかけ、自由を手にしたかに見える。フリーセックスにのめり込む彼女は、ジャイトが嫉妬ゆえに殺人を犯し、収監されるまで、目の前に「愛」があったことに気づかない。そして、生まれ変わってジャイトを待つためにハンブルクからイスタンブールに向かう。

 このシベルの心理については、タハール・ベン・ジェルーンの『歓迎されない人々 フランスのアラブ人』が参考になる。ジェルーンによれば、フランスに生きるマグレブの親たちは、新たな環境に現実的に対応するよりも、「イスラム教と母国のしきたりに対する彼らの愛着をことさらに強調した」。そして、「このような状況では、心中に荒々しい力と変化への激烈な意欲を最も強く抱いているのは娘ということになる」。それはまさにシベルの心理でもあり、彼女は反動と自由を取り違えて「愛」を見失う。そして、イスタンブールでもそれを見出すことはない。


   《データ》
1998 『Short Sharp Shock(英題)』

2000 『太陽に恋して』

2004 『愛より強く』

2007 『そして、私たちは愛に帰る』

2009 『ソウル・キッチン』

2014 『ザ・カット/The Cut(原題)』

(注:これは厳密なフィルモグラフィーではなく、本論で言及した作品のリストです)
 
 

 第二弾の『そして、私たちは愛に帰る』では、男女の関係が親子のそれに置き換えられ、さらに移民以外の人物の視点も盛り込まれる。ドイツとトルコをめぐってすれ違う三組の親子の感情が、二つの「死」という悲劇を招き寄せてしまう。しかしその死は、他者の存在を通して親子の絆を見つめなおし、再生させる契機となる。トルコ系二世の息子は、父親が命を奪ってしまったトルコ系娼婦の娘を探し出すためにイスタンブールを訪れる。ドイツ人の母親は、反政府活動に身を投じたトルコ人女性を救おうとして不運にも命を落とした娘の気持ちを確かめるためにイスタンブールを訪れる。この映画でも、彼らが求めるものは最初から目の前にあったが、他者の痛みを受け入れなければそれは見えてこない。

 そして、『ウエスタン』という仮題がつけられた第三弾では、ドイツとトルコという図式も取り払われ、20世紀初頭にヨーロッパからアメリカに渡った移民の物語が描かれる予定だ(※2014年にタハール・ラヒム主演の『ザ・カット(原題)/The Cut』として完成)。この映画はかなりの大作になるため、資金の調達に時間がかかっている。

 その間にアキンが撮りあげたのが『ソウル・キッチン』だが、この映画では彼が見出した答えがまったく別のかたちで表現されている。なぜなら、ギリシャ系の兄弟が営み、アラブ系やトルコ系など様々なバックグラウンドを持つ人々が集うレストランは、目の前にある「ホーム」や「自由」を象徴するアジール(解放区)になっているからだ。

 民族的なアイデンティティだけに立脚することは、しばしば他者を排除することに繋がる。アキンは、「愛」「死」「悪」といった普遍的なテーマを意識し、個人の次元からアイデンティティを掘り下げ、他者との新たな関係性を切り拓こうとするのだ。

《参照/引用文献》
『歓迎されない人々 フランスのアラブ人』タハール・ベン・ジェルーン●
高橋治男・相磯佳正訳(晶文社、1994年)

(upload:2015/06/09)
 
 
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