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あるいは、伝記映画「ジョルスン物語」で有名なアル・ジョルスンとコメディアン、バート・ウィリアムスの運命も対照的である。ユダヤ系アメリカ人のジョルスンは、牧師の厳格な家庭で育てられたが、黒塗りのパフォーマンスによって自己を解放し、才能を開花させた。これに対して、褐色の肌を黒塗りにして道化のスターとなったウィリアムスは、素顔に戻ると、誰も自分のことを知らない孤独に苛まれつづける人生を送った。
筆者がこのミンストレル・ショーに興味を持つようになったのは、80年代の初頭で、その頃にはハンス・ネイサンの『Dan Emmett and the Rise of Early Negro Minstrelsy』などミンストレル・ショーに関する本を何冊か手に入れることができたが、それ以後、新しい本をほとんど見かけなくなった。ところがここにきて、ミンストレル・ショーが大きな注目を集めている。いま筆者の手元には、『Inside the Minstrel Mask』『Demons of Disorder』『Love and Theft』『Racechanges』『Raising Cain』といったミンストレル・ショー関連の本があるが、これはすべてこの2、3年のあいだに次々と出版されたものだ。そして、これらの本を読むとミンストレル・ショーに対する視点が以前とは大きく変わりつつあるのがわかる。以前はあくまで大衆芸能のルーツ、音楽やダンスなどあくまで文化史的な色彩が濃かったが、新しい本では、現代をも含めた広い視野から再検証されるばかりではなく、当時の社会の複雑な背景を読み解くことによって、ミンストレル・ショーの意味そのものも変わってくるのだ。
スーザン・グーバーの『Racechanges』は、その出発点が現代にある。現代のアメリカでは、様々な文化から日常に至るまであらゆるレベルで人種の転換が起こっている。マイケル・ジャクソンが白人化するかと思えば、俳優のテッド・ダンソンが顔を黒塗りにしてクラブのディナーに現われて物議をかもす。
「Time」誌に取り上げられた白人のテレビおたくたちの意見によれば、O・J・シンプソンは、裁判が始まったときにはその立場が白人だったが、その進行とともにどんどん黒くなっていったという。また、何年か前に自分で子供を殺しながら、黒人の犯人をでっち上げて非難を浴びた母親の事件があったが、彼女の証言をもとに作った犯人の似顔絵を見た警官は、その男が口をすぼめると彼女と別れた夫の顔になることに気づいたという。
さらに映画を見れば、白人と黒人の立場が転倒したドラマを描く「ジャンクショーン」や黒人の血が流れていることを隠す宿命の女が登場するノワール「ブルー・ドレスの女」があり、音楽に目を向けると、ホワイト・ラッパーのヴァニラ・アイスやブラック・ロックのリヴィング・カラーがいる。
本書はそんな現代を出発点に、マン・レイのソラリゼーショーンのようなアート表現から、先述したようなアステアの黒塗りなども含む映画、ハーレム・ルネサンスの小説などあらゆる表現を通した人種転換を網羅する。そして、その背景にある黒人と白人の心理を掘り下げ、黒人であること、白人であることの意味を再検証しようとする。もちろんその文脈からは、ミンストレル・ショーが作りあげた黒人のイメージが20世紀に入ってもいかに大きな影響を及ぼしていたかが明らかにされる。著者のグーバーは、ミンストレル・ショーが差別的なものであったばかりか、それがアメリカ文化に及ぼした影響があまりにも大きかったために、これまで研究が進まなかったとも語っている。
それは間違いなく事実ではあるが、他の本、とりわけエリック・ロットの『Love and Theft』とW・T・ラモンの『Raising Cain』では、ミンストレル・ショーの出発点について新たな視点が切り開かれ、ミンストレル・ショーのもうひとつの重要な意味が明らかにされていく。
それを象徴しているともいえるのが、"ジム・クロウ"誕生の背景である。ミンストレル・ショーの歴史のなかで、その先駆者といわれるのがトマス・D・ライスで、彼が黒人のイメージの原型となる"ジム・クロウ"というキャラクターを創作したとされる。一般に流布している説では、彼が、身体の不自由な黒人を見かけたことがきっかけで、その動きを真似してジム・クロウが生まれたということになっている。
たとえば、筆者が昔読んだ本からひとつの例を引用すると、自称目撃者がニューヨーク・タイムズに語ったこんな話がある。芸人の一座の一員としてケンタッキー州ルイヴィルを訪れたライスは、劇場のそばにある貸馬車屋の庭で仕事をしているよぼよぼの黒人に興味を覚えた。彼の身体はひどく不格好で、右肩が吊り上り、曲がったまま強ばった膝を引きずるように歩く姿が、苦しそうでもあり、滑稽でもあった。その奴隷は主人の名前をとってジム・クロウと呼ばれていた。ライスは彼の姿と奇妙な歌を真似てジム・クロウのキャラクターを創作して人気を博し、ロンドン公演まで行うことになった。
この話を信じるなら、ミンストレル・ショーはその出発点から非常に差別的であり、しかも身体の不自由な人間の動きを真似たのであれば、黒人の伝統的な文化を何ら模倣すらしていないことになる。ところが、『Raising Cain』の著者ラモンは、流布しているこの通説はまったくの偽りであると主張する。以前のミンストレル・ショーの研究では、19世紀前半のアメリカでは、白人と黒人のあいだに接点はなかったと考えられていたので、こうした通説が信じられることになったが、実際には接点があったというのだ。
そこで『Love and Theft』と『Raising Cain』では、ミンストレル・ショーが誕生する社会的な背景が非常に緻密に検証され、特にミンストレル・ショーの芸人となった当時の白人の労働者階級にスポットがあてられることになる。19世紀前半というと単純な先入観から白人社会は一枚岩のように思えてしまうが、実はジェファソン時代以後の民主主義のなかで、中流階級が増え、下層の白人とのあいだに対立が生まれていた。
その下層の白人たちは、中流社会から疎外されるがゆえに、奴隷制や差別を受ける黒人たちと意識を共有し、ニューヨークの一部の地域ではすでに白人と黒人が共生する地域が誕生していた。彼らは、接点がないどころか活発な交流を行っていたのだ。『Raising Cain』では、当時のそんな交流を物語る絵や文献なども紹介されている。そこでは、食べ物をもらうためにダンスを踊る黒人の舞台に白人が一緒に立っていたり、白人の芸人の舞台を黒人の観客が見ていたりする。つまり、ミンストレル・ショーは、当時の社会に不満を持つ白人と黒人の文化の融合から誕生したきわめて先鋭的なパフォーマンスだった。差別的であるどころか、差別に対抗する姿勢がかたちとなって現われたものだったのだ。そうなると、ミンストレル・ショーがいま注目を浴びるのも納得がいくことだろう。
それではなぜそんなミンストレル・ショーが、いま紹介したような差別的な神話のベールに覆われてしまうことになったのか。それは、ミンストレル・ショーの広がりを脅威と感じた中流階級が、新聞などの媒体を使って仕組んだからだという。これは当時のミンストレル・ショーの影響力を逆説的に物語っているといえるが、実際のところ、ミンストレル・ショーは、当時の黒人文学であるスレイヴ・ナラティヴなどとはまったく違ったかたちで、逃亡奴隷たちを精神的にバックアップしていたということだ。
ここに取り上げた本の内容は、20世紀の特に50年代以降のアメリカを見直すヒントとなるという意味でも非常に興味深いものだが、それだけではなく日本の現代社会にとっても重要なテーマとなりうる。均質化する中流社会のなかで他者の認識が欠落し、自己のアイデンティティの喪失を招く状況に対する大きな刺激となるからだ。筆者はいまこのミンストレル・ショーを題材とした本「黒と褐色の幻想」(NHKブックスより刊行予定)を執筆しているところだが、この本にはそんなテーマも盛り込みたいと思っている。
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