ゲイをめぐるダブル・スタンダード
――歪んだ社会を浮き彫りにする小説とノンフィクションを読む


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(初出:「骰子/DICE」No.6 1994年10月、若干の加筆)


 

 昨年(1993年)、アメリカで出たゲイ・フィクションのアンソロジー『WAVES』では、ストーンウォール暴動から25周年ということもあり、編者であるゲイの作家イーサン・モーデンが、長文の前書きで現在に至るゲイ・フィクションの流れを振り返っている。彼は、ストーンウォール以降のゲイ・フィクションの変遷を、大きく三つの波にわけて説明している。

 それを要約すると、まず、第一の波では、ゲイは、時代のなかの異物であり、疎外された異邦人として世界を彷徨い、かなり芸術的な観点から、自己のアイデンティティを探究しているという。具体的な作家としては、エドマンド・ホワイトやアンドリュー・ホラーランなどの名前が上げられている。

 その後、80年代前半から中盤にかけて台頭してくる第二の波の場合は、アイデンティティを探っていこうとする姿勢に変わりがあるわけではないが、一方でゲイは、もっと生活に根ざしたリアルな存在、ある意味では、“普通”の存在としてその日常がクローズアップされ、新しい家族の絆なども模索されることになる。作家では、デイヴィッド・レーヴィットやマイクル・カニンガムなどが、この波の代表とされる。

 それでは第三の波はといえば、第二の波が、ストレートの現実の世界のなかでゲイがどのように感じているのかを表現しているとするなら、第三の波では、現実の世界はゲイの世界であり、ストレートの人々は、どうしようもないでしゃばりとみなされるという。そして、モーデンが、第三の波の典型的な作品として解説を加えているのが、90年代初頭に登場したケン・サイマンの『ぼくの欲しかったもの』だ。

 主人公のアンディは、サバービアに暮らし、ハイスク−ルに通い、ひどいニキビに悩むゲイの少年であり、ハンサムで、肌のきれいな少年に憧れ、悶々とし続ける。彼はそのニキビのために、周囲から(原題にあるように)“ピザ・フェイス”と呼ばれている。

 著者のサイマンは、そんな主人公の外面のニキビと内面のゲイをダブらせ、強烈なコンプレックスに悩み、いじめにあうこの悲劇的な主人公の成長を追うと同時に、彼をある主の狂言回しにすることによって、周囲の世界=保守的なアメリカ社会の縮図としてのサバービアをブラックなユーモアで痛烈に風刺する。

 たとえば、アンディは、政治家のグッズ(特に、石膏やプラスティックでできた大統領の人形)を集めることを趣味にしている。ハイスクールで疎外されている彼でも、政治家に手紙を出すと必ず返事をくれるからだ(もちろん、本人がそれを書いているわけではない)。この小説では、そんな設定を利用することによって、アンディがファンであるカーターからレーガン政権へと保守化していく政治的な時代背景もたっぷり盛り込みつつ、サバービアの世界が描き出される。

 拙著『サバービアの憂鬱』で書いたように、サバービアでは、Jocks(体育会系の人気者グループ)がしばしば町ぐるみで優遇されるために横暴をきわめ、問題を起こしてももみ消されることがある。この小説でも、そんなJocks絡みのエピソードが出てくる。

基本的にはピザ・ハットはスポーツ万能の人気のある学生たちで占められていた。人気のない生徒たちはピザを持ち帰ってコンビニ・ストアでビールを買うのだ。そんな女の子の一人が誰かにオリーブを投げつけられて視力を失ってからというもの、ピザ・ハットからサラダ・バーがなくなった。彼女はもともとどもりだった上に、これからは一生眼帯をつけて過ごさなくてはならないのだ

 しかもこの後には、隣に開店した店のマネージャーが、「ピザ・ハットでものを投げつけられるような客層を」引き寄せようと、知恵をしぼるといった話が続く。そうした状況が、アンディの無表情を装った語り口で描写され、しかもそこに背景となる政治的な要素が重なると、“現状維持”に対する痛烈な風刺になる。

 また、このハイスク−ルにはふたつのカフェテリアがあり、白人と黒人が別々に食事をするようになっている。そこで、教師が『ハックルベリー・フィンの冒険』を課題として、「人種間の調和を立体的に表現する」という宿題をだす。するとアンディは、13代大統領フィルモアの人形の顔を黒く塗りつぶしてジムを作り、リンドン・ジョンソンの人形をハックにして、チーズを揚げて作った筏の上に糊付けして提出する。それが気に入った教師は、筏を味見しようとして糊まで食べてしまい、苦しみだすことになる。

 
《データ》
Waves by Ethan Mordden●
(Vintage 1994)
Pizza Face, or, The Hero of Suburbia
by Ken Siman●
(1991)
Queer in America : Sex, the Media and the Closets of Power
by Michelangelo Signorile●
(Abacus 1993, 1994)
Conduct Unbecoming : Gays & Lesbians in the U.S.Millitary by Randy Shilts●
(Penguin Books 1993)
Angels in America Part One : Millennium Approaches by Tony Kushner●
(1992)
 
『ぼくの欲しかったもの』ケン・サイマン●
田村明子訳(早川書房、1993年)
『クイア・イン・アメリカ――メディア、権力、
ゲイ・パワー』ミケランジェロ・シニョリレ●
川崎浩利訳(パンドラ、1997年)
『エンジェルス・イン・アメリカ――国家的テーマに関するゲイ・ファンタジア<第一部>至福千年紀が近づく』トニー・クシュナー●
吉田美枝訳(文藝春秋、1994年)
『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』イヴ・K・セジウィック●
上原早苗、亀沢美由紀訳
(名古屋大学出版会、2001年)
 
 
 

 “バッド・テイスト”によってサバービアを挑発してきたジョン・ウォーターズはこの小説に、「思い切り笑わせてくれる」というコメントを寄せているが、確かに、これはウォーターズ好みのユーモアであり、原題にある“サバービアのヒーロー”という言葉もいっそう皮肉な響きを帯びる。しかもこの小説の後半では、アンディがワシントンに出て、政治ニューズレターの編集人の下で働くことになるのだが、その編集人は実はゲイで、ワシントンに巣くうダブル・スタンダードも示唆される。

 そして、小説と同じように、ゲイを題材にしたノンフィクションも、認識や視点が変化してきているように見える。たとえば、筆者がとても面白く読んだ本にミケランジェロ・シニョリレの『Queer in America』(97年に邦訳『クイア・イン・アメリカ』が出た)というノンフィクションがある。ゲイのジャーナリストとしてゲリラ的な活動を展開する著者は本書で、それぞれメディア、政治、娯楽によってゲイを抑圧するニューヨーク、ワシントン、ハリウッドに着目し、ゲイ・ムーヴメントの先端ではなく、境界に生きる人々を通して歪んだ社会の方を浮き彫りにしていく。

 そこではもちろん、サイマンが示唆していたようなワシントンのダブル・スタンダードについても、現実として詳しく触れられているし、終盤ではシリコン・ヴァレーに至り、ゲイの絶対数が圧倒的に多いコンピュータ産業が、近い将来、別次元でのゲイ解放を遂げていくといったヴィジョンも提示され、いろいろな意味で興味深い。だがここで取り上げたのは、そうした現実が、切り口次第で社会を風刺するブラック・ユーモアになるといいたいためだ。

 たとえば、著者は本書のワシントンの部分で、ふたりの軍人に注目し、彼らの軌跡を交互に描きだしていく。ひとりは、ペンタゴンのスポークスマンというトップクラスの軍人で、内輪ではゲイであることが周知の事実でありながら、本人と上層部は著者の取材をのらりくらりと交わしつづける。もうひとりは、一介の水兵の若者で、密かにゲイの集まるディスコに通っているが、店に海軍憲兵のチェックが入ると、オーナーの機転で小さな倉庫に押し込まれ、「アンネ・フランクになった気がした」と感想をもらすといった具合なのだ。

 ちなみにこの水兵は、抑圧されるゲイの軍人に参考になるような本を探しまくり、結局、空振りに終わるのだが、いまでは『そしてエイズは蔓延した』で有名なランディ・シルツが書いた『Conduct Unbecoming : Gays & Lesbians in the U.S.Millitary』がある。

 今は亡きシルツがこの本を書くきっかけは、軍隊におけるゲイの問題について、実態に関する情報がないまま議論だけが沸騰している状況に疑問を抱いたことだった。そこで5年をかけて千人以上の人物にインタビューしてまとめあげた本書も、やはりゲイを語ることによって、ヘテロのアメリカをくっきりと浮き彫りにする作品になっている。

 それから最後に、ここまで書いてきた視点と関連して、昨年、翻訳が出たトニー・クシュナーの『エンジェルス・イン・アメリカ 第一部 至福千年紀が近づく』にもひと言触れておきたい。この戯曲では、赤狩りに協力し、レーガンとも親交があり、エイズで死亡した実在の大物弁護士ロイ・コーンが、物語の中心に位置している。そんな彼は、主治医からエイズを宣告されるときに、自分のことを「男とファックするヘテロ」だと言い張る。

 この言葉は、男社会における“ホモソーシャル”と“ホモセクシュアル”の関係について考えるヒントになる。イギリス文学におけるホモソーシャルな関係を掘り下げたイヴ・K・セジウィックの『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』の序章では、“ホモソーシャル”という言葉の意味が以下のように説明されている。

「ホモソーシャル」という用語は、時折歴史学や社会科学の領域で使われ、同性間の社会的絆を表す。またこの用語は、明らかに、「ホモセクシュアル」との類似を、しかし「ホモセクシュアル」との区別をも意図して作られた新語である。実際この語は、「男同士の絆」を結ぶ行為を指すのに使用されているが、その行為の特徴は、私たちの社会と同じく強烈なホモフォビア、つまり同性愛に対する恐怖と嫌悪と言えるかもしれない。とすると、「ホモソーシャル」なものを今一度「欲望」という潜在的に官能的なものの軌道に乗せてやることは、ホモソーシャルとホモセクシュアルとが潜在的に切れ目のない連続体を形成しているという仮説を立てることになる


(upload:2013/01/22)
 
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