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この小説は、エーコならではのバロック的な迷宮世界が広がり、読者によって様々な解釈ができる。そのなかでも筆者が印象的だったのは、近くて遠い前日島を前にして、ロベルトが小説を書き出すことだ。彼はこんなふうに考える、「現実の世界で自分に何が起こったのか。それを理解するためにも、自らの手で、これまでの出来事の<歴史>を再考して、裏に隠された原因と動機を見つけなければならない。自分たちが読む<歴史>ほど不確かなものはない。それに比べれば<小説>のほうが、より確かな何かがある」。
子供の頃から存在しないはずの兄というドッペルゲンガーを創造し、逃げ道にしていた彼は、愛しい女性と兄を主人公にした物語を描き、自分の想いを果たそうとする。そして、物語のなかで兄と一体化し、愛を手にするだけでなく苦難を乗り越えていく。この前日という空間に集約されていく<歴史>とそこから紡ぎ出される<小説>の関係、あるいは距離が、この「前日島」をより現代的な作品にしている。
それは、行動派の作家としてカルト的な人気を誇るウィリアム・T・ヴォルマンの「ザ・ライフルズ」と比較してみると、もっと明確になることだろう。この作品は、いくつかの歴史的な事実が、膨大な資料をもとに詳細に読み解かれながら、同時に時空を越えた小説に収斂されていく。
歴史的な事実の軸になるのは、イギリス人のジョン・フランクリン卿が、19世紀前半に繰り返し挑んだ北西航路遠征である。その最後の航海で、フランクリン率いる2隻の艦船は、3年に渡って北極海の氷に閉じ込められる。食料が底をついたため、探検隊は艦船を放棄し、人肉まで糧として氷の世界に活路を見出そうとするが、結局全滅してしまう。もうひとつの軸になるのは、今世紀半ばに、カナダのケベック北部に暮らしていたエスキモーたちが、白人によって強制的に辺境の地に移住させられ、劣悪な環境での生活を強いられたという出来事だ。
遠征隊は望んで死地に赴きながらも、いざとなれば親切なエスキモーたちが救いの手を差し伸べてくれると信じていた。その百年後、エスキモーたちは死地に等しい辺境に強制的に隔離され、白人は救いの手を差し伸べようともしなかった。そんな彼らの皮肉な運命には、「何の制約もなく、技術すら不要な武器」であるライフル銃が、伝染病のように極北の地に広がったという事実も、暗い影を落としている。
本書はそんな題材だけでも十分に興味深いが、決して歴史を扱ったノンフィクションではない。事実は、時間的な繋がりが混乱するほどに断片化され、再構成される。小説には、著者ヴォルマンのドッペルゲンガーであるサブゼロが登場する。サブゼロは極寒の地を自ら体験し、時にフランクリン卿になり、逆にフランクリン卿がサブゼロになり、そして隔離されたエスキモーの現実と伝説の境界を彷徨う。そんなふうにして直線的な歴史の流れは解体され、目の前に生起する事実の断片から、物語が紡ぎ出されていくのだ。
そして、現実的な航海のエピソードこそ出てこないものの、この2冊の小説と対比してみると面白いのが、スティーヴ・エリクソンの「真夜中に海がやってきた」だ。この小説では近未来の東京やロスを舞台に、自宅に引きこもってアポカリプスのカレンダーの創作に没頭し、黙示録学者を自称する"居住者"、彼と結婚していたものの、妊娠をきっかけに失踪した混血女性アンジー、彼女の父親で、かつて日本人の科学者としてアメリカで原子力開発に携わった老博士、フェイクのスナッフ映画を作って注目を浴びたものの、各地で本物が製作されるきっかけを作ったことに深い罪悪感を持つルイーズといった人物が、奇妙な糸で結ばれていく。
そんな物語の中心にいるのが、生まれてから夢を見たことがなく、夢を探して故郷を旅立った娘クリスティンだ。彼女はカルト教団に引き込まれ、2000年になった瞬間に北カリフォルニアの断崖から飛び降りた2千人の女たちのなかで、2千番目の人間になるはずだった。しかし土壇場で逃亡し、黙示録学者である居住者に出会うことで、記憶の海を彷徨うことになる。
居住者がカレンダーにとり憑かれているのは、20世紀の後半にアポカリプスがあまりに肥大化し、神の力を凌駕してしまったからだ。そこで、カレンダーを作ることによって、移動するアポカリプスの中心点をとらえようとする。要するに、現代ではミレニアムは、カレンダー通りにすべての人間に同時に(もちろん時差はある)やってくることはない。もちろん集団自殺の2千という数字にも何の意味もない。だから、直線的な時間に基づく歴史の呪縛から自由になり、自分だけのミレニアムの瞬間を見つけだすしかない。この小説では、クリスティンを含めた主要な登場人物たちが、記憶を遡りながら、それぞれにミレニアムを迎え、それが物語を形作る。
既成の歴史が崩壊しつつある現代とは、地図もない海のようなものであり、歴史の残骸と記憶を頼りに前進し、自分の地図=物語を紡ぎ出していかなければならないのだ。
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