フィリップ・K・ディック 02
Philip K. Dick 02


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(初出:日本版「Esquire」2008年10月号)

 

 

消費社会が作り上げる偽りの世界

 

 フィリップ・K・ディックのSF小説には、火星の植民地やパラレル・ワールド、タイム・トリップ、アンドロイド、予知能力といった通俗的なアイデアが散りばめられている。だが、そんな未来の物語を安易に楽しむことはできない。彼の小説では常に、揺るぎないものに見えた現実が崩れ去っていく。しかもそれは、未来のように見えて、実は私たちを取り巻く身近な世界で起こる悪夢なのだ。

 50年代に執筆に専念するようになったディックは、SFよりも主流小説で成功することを望み、10本以上も作品を書いたが、生前に出版されたのは『戦争が終り、世界の終りが始まった』だけだった。彼が遺した主流小説には、郊外化や大量消費によって変貌を遂げていく50年代のカリフォルニアの日常や風俗が生き生きと描き出されている。それらが評価されていれば、リチャード・イエーツジョン・チーヴァーのような作家になっていたかもしれない。

 ディックはSF作家の道を歩んでいくが、その作品には、主流小説で培われた洞察や感性が生かされている。たとえば、59年の作品『時は乱れて』では、主流小説のような展開が終盤でSFに変わる。46歳の主人公は、59年の平穏な町に暮らし、新聞の懸賞クイズに勝ち続けているが、次第に世界に違和感を覚えるようになる。実は、本当の時代は97年で、月の植民者と連邦政府が戦争を繰り広げている。彼は月からの攻撃を予測する任務についていたが、月の植民者を支持しているためにジレンマに陥り、平穏だった50年代に意識が退行してしまった。そこで連邦政府は、彼の周囲に50年代の世界を作り、パズルに偽装して任務を続行させていた。

 この小説でディックが関心を持っているのは、月と地球の戦争や連邦政府の陰謀ではなく、50年代の日常だ。そこでは、男たちは組織に順応して出世すること、女たちは郊外で優雅な生活を送ることしか頭にない。彼は、SF的なアイデアを使って、そんな画一的で表層的な価値観に支配された世界に揺さぶりをかける。つまり、この小説は、『シザーハンズ』や『トゥルーマン・ショー』といった映画の視点を先取りしているのだ。

 そして、60年代に入ると、アメリカ社会を掘り下げるディックの表現は、より大胆で巧妙になる。『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』では、バービー人形にインスパイアされたパーキー・パット人形とキャンDというドラッグが、時代を浮き彫りにする。太陽系の植民地に移民した人々は、苛酷な環境のなかで菜園を手入れする気力も失せ、キャンDに熱中している。それを使うと、人形に魂が乗り移り、精巧なミニチュアの世界に、ありし日の地球における優雅な生活が再現される。しかも、複数の夫婦が同時に使えば、密かな願望を叶えることもできる。

 60年代を題材にしたJ・アンソニー・ルーカスのノンフィクション『ぼくらを撃つな!かつて若かった父へ』では、アメリカ人の生活の変化が以下のように分析されている。

 「アメリカの辺境の生活や工業化時代の初期にさえふさわしかった労働の習慣は、六〇年代のしゃれた郊外で営まれる生活の場では、もはやあまり意味を持たなくなった。(中略)事実、アメリカ人は、急速に、仕事よりも遊びを、生産よりも消費を、生活を築くことよりもそこから何かを引き出すことを重視するようになってきている。
ヒッピーのドラッグ・カルチュアは、そうした価値の転移の劇的なしるしであり、古い世代における潜在的なテーマが、若い世代において顕在化したことにほかならない。麻薬、少なくともマリファナと幻覚剤は、行動、生産、達成、仕事とは結びつかず、受動性、消費、内省、快楽主義と結びつく。それらは文字通り消費される。呑みこまれ、吸われ、嗅がれ、注入されるのである。さらにそれは、これを消費するものにその効果を及ぼす――開拓者が環境をつくり変えたのとは正反対である

 ディックは、ユニークな発想で社会の変化をとらえるだけではなく、消費するものに及ぼす効果を掘り下げ、驚異的なヴィジョンを切り開いていく。だが、そこに話を進める前に、彼の人生と創作に最も大きな影響を及ぼした出来事を振り返っておくべきだろう。

 ディックの双子の妹ジェーン。彼女は生後六週間でこの世を去った。物心がつくようになって、妹のことを知った彼は、罪悪感に苛まれ、生涯に渡って彼女を探し求めた。そのトラウマは、ディックと女性の関係を複雑なものにした。彼は、妹にひどい火傷を負わせ、栄養失調で死なせた母親を許さなかったが、一方では精神的に依存してもいた。彼が14歳から没するまで精神科医の世話になり、女性の愛を求めて五回も結婚したことと、妹への想いや母親への愛憎には深い繋がりがある。

 
《データ》
『戦争が終り、世界の終りが始まった』
フィリップ・K・ディック●
飯田隆昭訳(晶文社、1985年)
『時は乱れて』
フィリップ・K・ディック●
山田和子訳(サンリオSF文庫、1978年)
『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』
フィリップ・K・ディック●
浅倉久志訳(早川書房、1978年)
『ぼくらを撃つな!かつて若かった父へ』
J・アンソニー・ルーカス●
鈴木主税訳(草思社、1974年)
『ドクター・ブラッドマネー
―博士の血の贖い―』
フィリップ・K・ディック●
佐藤龍雄訳(創元SF文庫、2005)
『ユービック』
フィリップ・K・ディック●
浅倉久志訳(早川文庫、1978年)
『スキャナー・ダークリー』
フィリップ・K・ディック●
浅倉久志訳(早川文庫、2005年)
『ラスト・テスタメント
―P・K・ディックの最後の聖訓』
グレッグ・リックマン●
阿部秀典訳(ペヨトル工房、1990年)
『ヴァリス』
フィリップ・K・ディック●
大瀧啓裕訳(創元文庫、1990年)
 
 
 
 
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 そんなトラウマは、ディックの作品にも表れている。核戦争後のアメリカを舞台にした『ドクター・ブラッドマネー――博士の血の贖い――』に登場する七歳の少女エディの体内には、死者と話すことができる双子の弟ビルが存在している。近未来の警察国家を描く『流れよ我が涙、と警官は言った』に登場する警官バックマンの魂は、双子の妹アリスの死によって引き裂かれていく。だが、妹の影響はそれだけではない。彼女の存在は、ディックのアメリカ社会に対する関心と宗教や神学、生と死に対する関心を結びつける役割も果たしている。

 『パーマー・エルドリッチ〜』では、キャンDが独占していた市場に、謎の星間実業家エルドリッチが銀河系の彼方から持ち帰った強力なチューZが出回るようになる。ディックがそうしたドラッグの効果をどう見ているのかは、以下のような言葉から明確になるだろう。「キャンDは移民たちの宗教さ」。「血と聖餅。おわかりですね、ミサのあれ。あれがキャンDの服用者にたいへん似ています」。「チューZを使えば、人間は生から生へと輪廻をつづけることができる」。「神は永遠の生命を約束する。わたしはそれ以上のことができる。永遠の生命を引き渡せるのだ

 ディックは、ドラッグを呑みこんだり、注入したりすることを、聖体拝領と結びつける。エルドリッチは、本人が死んでも、チューZを消費する人間の幻覚世界のなかで生き続ける。消費することが宗教的な体験になり、実業家を神に変えてしまうのだ。

 そして、『ユービック』では、そんなヴィジョンがさらに突き詰められていく。この小説では、超能力者たちの無力化を仕事にするランシター合作社の社長と不活性者≠フ部下たちが罠にはまり、社長は死亡し、生き残った部下たちは奇妙な時間退行現象に見舞われる。彼らは、一人また一人と干からびていく。だがそこに、死んだはずの社長から次々とメッセージが届けられ、衰退する現実を補強するユービックなるスプレー缶が存在することがわかる。

 ユービックとは何か? 小説の各章の冒頭には、ユービックの広告のコピーが挿入されている。ユービックは、車にも、ビールにも、髭剃りにも、胃腸薬にもなる。私たちが消費するすべてのものであり、さらに最後の章ではそれが、宇宙の創造者になってしまう。まさに消費社会が神になり、主人公たちは神に救いを求める。だが、それが本当に救いだとは限らない。この物語では結局、社長と部下たちのどちらが本当に死んでいるのかがわからなくなる。実は私たちは、神に成り代わった消費社会が作り上げる偽りの世界のなかで、死んでいるのかもしれないのだ。

 これに対して、70年代のディック作品では、SF色が薄れ、設定が現実味を帯びてくる。そこには、彼の体験が反映されている。まず70年の秋に、妻のナンシーと娘のアイサが家を出てしまう。欝状態で自殺に走ることを恐れた彼は、麻薬中毒の若者たちと付き合い、彼らに家を開放する。そして71年11月、住居侵入事件が起こる。ある日、彼が帰宅してみると、耐火性ファイル・キャビネットが爆薬によって吹き飛ばされていたのだ。この事件は結局、解決されなかった。

 『スキャナー・ダークリー』は、ディックがドラッグ・カルチャーのなかで出会った連中のポートレイトといえる。だが、この小説でまず印象に残るのは、管理され、システム化された世界だ。壁に囲まれ、入口で警備員がクレジット・カードをチェックする巨大ショッピング・モール。電気を流したフェンスと武装警備員に守られた要塞なみの複合アパートメント。マクドナルドやセブン・イレブンばかりの街路。主人公のアークターは、いつかマックバーガーを買うだけではなく、売るのも義務になり、近所のみんなと永久に売り買いを続ける日がくるかもしれないと考える。この物語では、それは必ずしも奇妙な想像ではない。匿名の麻薬捜査官であるアークターは上司から、麻薬中毒者を装っている自分自身の監視を命じられ、どちらが本当の自分かわからくなる。そして終盤では、麻薬リハビリ施設が、麻薬の供給源でもあることが明らかになる。この世界では、人が消費するだけでなく、システムに取り込まれ、与えられた役を演じ続けなければならないのだ。

 さらに、70年代のディックには、もうひとつの重要な体験がある。74年、カリフォルニアでも最も保守的なオレンジ郡のフラートンに落ち着き、5人目の妻テッサと息子のクリストファーと暮らしているときに、彼の身に神秘体験が起こる。

情景の変化が起きて、七四年二月から七五年二月まで、一年間そのまんま。世界をキリスト教の「黙示録」の相のもとに眺める状態がね。「立体映像」っていうものなんだよ。厳密には「覆い隠される」とか、草叢に隠すみたいに、何かを上にかけて隠したものを意味するんだな。まるで世界にかけられた立体映像の覆いがはずされたようだった。ありのままの世界を眺めていたんだ」(グレッグ・リックマン『ラスト・テスタメント』より)

 そんな神秘体験も盛り込まれた晩年の作品『ヴァリス』では、SF作家ディックが語り手となって、彼の分身であるファットの狂気を検証していく。友人の死やテッサとの別居といった自伝的要素、60〜70年代のカリフォルニアの風俗や文化、そして、神学や神話、心理学などをめぐる考察。多様な要素が複雑に入り組むこのポップにして深遠な物語のなかで、もうひとつ見過ごせないのが、ジェーンの存在だ。神秘体験をしたファットが綴る日誌には、以下のような記述がある。

われわれが世界として体験する変化しつづける情報は、開示されゆく物語である。ある女の死について語っている(傍点ディック)。はるか昔に死んだこの女は原初の双子のかたわれであった。(中略)<脳>によって処理される情報――物理的対象の配置・再配置としてわれわれが体験する情報――は、この女を保存する企てである

 これまで取り上げてきた小説の主人公たちは、消費社会が作り上げる偽りの世界に閉じ込められていた。ファットはそこから抜け出そうとする。そんな彼にとって、最も重要な意味を持つことになるのが、ジェーンの存在だろう。これは、ファット=ディックが、まったく異なる次元からジェーンを探索していく物語でもあるのだ。


(upload:2009/05/26)
 
 
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