隣人による殺戮の悲劇
――94年にルワンダで起こった大量虐殺を読み直す


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(初出:「SWITCH」1999年4月号)

 


 94年にアフリカの小国ルワンダで起こった多数派フツ族による少数派ツチ族の大量虐殺とその後のフツ族難民の大量流出は、当時世界に大きな衝撃をもたらしたが、いまでは多くの人々にとって過去のものになりつつある。 筆者がこの恐ろしい出来事をあらためて振り返ってみたいと思うようになったのは、昨年(1998年)の秋にアメリカで出版された『We wish to inform you that tomorrow we will be killed with our family』(邦題『ジェノサイドの丘:ルワンダ虐殺の隠された真実』、2003年刊)という本によるところが大きい。

 本書は「ニューヨーカー」のスタッフ・ライターであるフィリップ・ゴーレイヴィッチが、大量虐殺の翌年の95年から3年にわたって何度も現地を取材して書き上げたノンフィクションで、 「ニューヨーク・タイムズ」や「ヴィレッジ・ヴォイス」などで昨年出版された本のベスト10に選ばれ、決して明るい題材ではないにもかかわらず多くの読者を獲得している。

 本書の冒頭にはこのような言葉がある。ルワンダでは94年の春から初夏に至る100日間に国民の10人に1人、少なくとも80万人が虐殺された。この死者は、比率からすればホロコーストにおけるユダヤ人の犠牲者のほぼ三倍になり、 広島、長崎の原爆投下以来、最も効率的な大量虐殺だった。著者はこの事実が何を語るのかを掘り下げていくのだが、ここでは本書も含めた3冊の本を通して、この出来事を振り返ってみたい。

 まず最初に取りあげるのは、94年6月に内戦状態にあるルワンダに入ったBBCの南ア特派員ファーガル・キーンのリポートで、95年に出版された『Season of Blood』。 本書は、大量虐殺の背景を語る長い前書きと実際のルワンダ体験で構成されているが、この前書きだけでも非常に密度が濃く、紹介するのに骨が折れる。

 94年4月6日、フツ族のルワンダ大統領ハビャリマナを乗せた飛行機が何者かに撃墜され、フツ族によるツチ族の大量虐殺が始まった。海外のメディアはそれを長年に渡る民族対立の結果と報じた。 本書の著者は、アフリカでは大量の死者が出ると世界のメディアが集まり、報道が加熱するが、新鮮味が薄れるとすぐに下火になり、 強烈なイメージだけが人々の記憶に残るだけで、その意味が理解されることがないという。

 実はこの大量虐殺は何年も前から計画されていた。フツ族の支配層は新聞やラジオ、街頭演説などを通して反ツチ族の洗脳キャンペーンを繰り返し、フツ族の"十戒"を作って、 ツチ族と結婚したり、ツチ族を雇う者に裏切り者のレッテルを貼り、フツ族過激派を集めて組織的な訓練を行っていた。

 しかしこの計画的な大量虐殺には歴史的な背景がある。ツチ族とフツ族はもともと言語も同じで、遊牧民族である前者と農耕民族である後者の違いが、貧富の差を生み、階層を作っていたにすぎなかった。 ツチ族の所有する牛は豊かな階層のシンボルとなっていたが、フツ族でも豊かになって牛を手に入れればツチ族とみなされたということだ。

 ところがそこに植民地支配者がやってきて神話を広めた。その神話では、ツチ族は北のエチオピアからやって来た黒いアーリア人であり、よりヨーロッパ人に近い高貴な民族であるのに対し、 フツ族は下等な野蛮人とみなされた。ルワンダは独立に至るまでにドイツ、ベルギーの統治下にあったが、そのあいだにこの神話が強化されていく。 民族を証明するカードの所持が義務づけられ、高貴とされたツチ族は権力をほしいままにし、フツ族は永遠にフツ族として生きていくしかなくなったのだ。

 このツチ族とフツ族の立場は独立をめぐって逆転する。ツチ族の支配者たちはベルギーと距離を置いて権力を維持しようとしたのに対し、ベルギーはフツ族支援にまわり、 フツ族によるツチ族の大量虐殺が行われ、ツチ族は周辺諸国に流出していった。一方、隣国ブルンディではベルギーからの独立に際して逆にツチ族が権力の掌握に成功し、 92年に行われたフツ族の弾圧で生まれた難民がルワンダに流れ込み、このフツ族難民たちが94年の大量虐殺のときに大きな役割を果たしたという。

《データ》

season of blood
Season of Blood by Fergal Keane●
(Penguin)
 
Kill Thy Neighbor by Corrine Vanderwerff●
(Pacific Press)
 
we wish
We wish to inform you that tomorrow we will be killed with our families by Philip Gourevitch●
( Farrar Straus and Giroux )

『ジェノサイドの丘:ルワンダ虐殺の隠された真実』(上・下巻) フィリップ・ゴーレイヴィッチ●
柳下毅一郎訳(WAVE出版、2003年)
 
 
 
 

 さらにルワンダ国内のフツ族も決して一枚岩ではなかった。大統領を取り巻く北部のフツ族エリートたちが利権を独占したために、もう一方にたくさんの貧しいフツ族農民が存在していた。 政府は彼らが貧しい原因をツチ族のせいにし、彼らの不満がツチ族に向かうように仕向けた。また、アフリカにおけるフランス語圏を守ろうとするフランスがこのフツ族政権を支援しているという背景もあった。

 しかし93年、ハビャリマナ大統領は、亡命ツチ族からなるルワンダ愛国戦線の軍事的な圧力と民主化を求める国際的な世論に抵抗できなくなり、一党支配に終止符を打つ和平協定に調印する。 しかしこれまで一党支配で利権を独占してきたフツ族支配層が簡単にそれを放棄することはできない。そんな状況のなかで大統領が何者かに暗殺され、ツチ族の大量虐殺が始まる。 それを単に民族紛争の結果というわけにはいなかいだろう。

 本書ではこうした背景を踏まえて著者のルワンダ体験が綴られる。著者とスタッフたちは、虐殺が行われた町を訪れ、耐えがたい悪臭を放つ100人近い死体の山を目にし、生き残った人々の証言を聞く。 町のツチ族たちは、身の危険を察知し、フツ族のコミュニティ・リーダー、ガクンビチに助けを求めたが、受け入れられられず、教会に集まるように指示される。ところが後に、 教会を取り囲んで殺戮を指揮しているのがそのガクンビチであることがわかる。

 著者とスタッフは、タンザニアのフツ族難民キャンプを訪れ、25万人のなかからそのガクンビチを探しだし、生き残ったツチ族たちの証言を伝え、コメントを求める。彼は余裕を持って虐殺を否定する。 難民キャンプを仕切っているのは、国連でもタンザニア政府でもなく、大量虐殺を行った加害者たちの集団であり、彼はそのなかで王のように武器を持った部下たちに取り囲まれているのだ。そんなふうにして著者は、 前書きで分析した背景が作りあげる現実を浮き彫りにしていくのである。

 次に、この大量虐殺についてこのような本も出ているということで簡単に触れておきたいのが、コリーヌ・ヴァンダーワーフの『Kill Thy Neighbor』だ。著者は80年代初頭にルワンダで布教活動をしていた宣教師で、 大量虐殺を生き延びた人々から聞いた話のなかから、ひとりのルワンダ人の体験を選び、本書にまとめている。主人公はフツ族の父親とツチ族の母親のあいだに生まれた若者で、一家はフツ族のコミュニティに受け入れられるために、 両親が別々に暮らすことを余儀なくされる。そして父親がフツ族の女性を二番目の妻としたことから、主人公とこのフツ族の母親のあいだに深い確執が生まれる。本書の文章には稚拙なところが多々あるが、 虐殺の恐ろしさばかりでなく、家族の物語のなかにルワンダの縮図が見えてくるところが興味深い。

 そして最後に冒頭で触れたゴーレイヴィッチの『We wish〜』である。本書では先述の『Season of Blood』と同じようにルワンダの歴史的な背景を踏まえながら、計画的な大量虐殺がどのように行われ、その後に何が起こったのかが冷静な眼差しで綴られる。

 本書のなかでその大量虐殺の恐ろしさを強烈に印象づけるのは、ツチ族が多く暮らすキブエの物語だ。ルワンダ全体ではツチ族の比率は15%に満たないが、この地域ではツチ族とフツ族の比率がほぼ五分五分だった。 キブエは首都キガリから車で3、4時間の距離にあるが、実際には四駆を使って12時間もかかる。かつて全国的な道路の整備が始まったとき、キブエはその最後の場所となり、順番がまわってきたときにその予算が忽然と消えてしまったのだ。

 そのキブエでは大統領が暗殺される数日前から夜毎フツ族の若者たちがどこかに姿を消し、何かの準備を進めていた。そして大統領の死が報じられると、ツチ族たちは教会のコミュニティ・リーダーの指示によって教会施設に集められ、 虐殺された。キブエに暮らす25万人のツチ族のうち20万人以上が最初のひと月のあいだに殺害されたという。

 こうした大量虐殺については、アフリカのなかで最もキリスト教が浸透しているルワンダでなぜこのようなことが起こったのかという疑問をよく耳にするが、事実が明らかになると教会や宗教も利用されていることがよくわかる。 それは大統領夫人で女帝と言われたアガセの行動にも現れている。彼女は、ルワンダ中央部にあるキベホの丘に聖母マリアが現われ、地元の予言者たちに言葉を託すという話が広まったとき、その予言者たちを連れて各地を回った。 その予言者たちが語るマリアのメッセージには、ルワンダが近いうちに血に染まるという予言が繰り返し盛り込まれていたというのだ。

 そしてこうした計画的な虐殺が明確になるほど、国際的な支援の問題も深刻なものとなる。国連監視団は虐殺以前にその情報を入手し、国連本部に緊急ファックスを送っていたが、結局国連は何もしなかった。 難民となったフツ族勢力は、95年から96年にかけても国際的な人道援助を背景としてゲリラ活動を続行していた。

 本書のなかに希望を見出すのは容易なことではないが、皆無というわけではない。ある外資系ホテルのマネージャーだったフツ族のポール・ルセサバギナは、ツチ族難民をホテルに収容し、 奇跡的に生きていた昔のファックス回線を利用してアメリカやフランス政府にメッセージを送って行動を促し、収容したツチ族たちを守り通した。彼はそのあいだにたくさんの失望を味わったが、 そのひとつはツチ族の母親をホテルに連れてきた神父の言葉だった。ルワンダではフツ族がツチ族のことを"ゴキブリ"と呼んで蔑んでいたが、神父は彼にゴキブリを連れてきたと語ったという。そこで著者は、 この神父の弱さとポールの強さの違いは何に起因しているのかと考え込むのだ。

 本書は簡単には答を出すことができない問題に満ちているが、こうした現実があることを踏まえて世界に目を向けることには大きな意義があるのではないだろうか。

 
 
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