ファラカンとプリンス・アキーム

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(初出:「CITY ROAD」1992年、若干の加筆)

 神(特にイスラム教のアラーの神)に自分の作品を捧げるラッパーはそれほど珍しいものではないが、最近、『COMING DOWN LIKE BABYLON(バビロンの如く滅びゆく)』というラップ・アルバムをリリースしたプリンス・アキームの場合には、その事情がちょっと異なる。 アキームは、ラッパーであると同時に、ネイション・オブ・イスラム≠フ指導者ルイス・ファラカンから青年部代表に選ばれた人物でもあるからだ。

 ネイション・オブ・イスラムについて簡単に説明しておくと、これはアラーの予言者と称するエライジャ・ムハマッドによって1932年にデトロイトに創設された組織である。エライジャ・ムハマッドが登場した30年代は大恐慌の時代で、仕事に関していえば一番最後に雇われ、 最初に切られる立場にある黒人、あるいは、常に暴力の危険にさらされている黒人たちにとって、白人が悪魔で、その悪魔に対する自警を目指すというムハマッドの主張は説得力を持ち、都市の貧しい黒人たちの間に確実に広がっていった。 後にマルコムXが頭角をあらわすのは、このネイション・オブ・イスラムのニューヨーク地区の指導者としてである。

 エライジャ・ムハマッドの名前は、ラップのリスナーなら聞いたことがあるはずだ。たとえば、ブギ・ダウン・プロダクションのライブ・ビデオでは、リーダーのKRS-Oneが、「エライジャ・ムハマッドの『生きるための食生活』を読むんだ」といったメッセージを会場に投げかけているし、 パブリック・エネミーのチャックDも、インタビューなどでよくムハマッドの著作を引用する。また、ネイション・オブ・イスラムの一員でもあるプロフェッサー・グリフのライムには、マルコムやエライジャの息子という一節がある。

 マルコムXは、死の一年ほど前にこのネイション・オブ・イスラムから離脱し、ブラック・ナショナリズムの新たな展開を模索していくわけだが、とりあえず、現在の指導者ルイス・ファラカンは、エライジャ・ムハマッド、マルコムXに継ぐ回教徒の国の指導者ということになる。

 話はなかなかアキームへと進まないが、その前にさらに、アメリカで危険視され恐れられているファラカンについて触れておく必要がある。彼の顔を描いたイラストが「ヴィレッジ・ヴォイス」の表紙を飾ったのは、89年8月のことである。

 このファラカンは、ヒトラーを賞賛したり、聖書とコーランから独自の解釈を作り上げてユダヤ教を汚れた宗教と公言してはばからないなど、ユダヤ人批判などによってしばしばマスコミを賑わす人物だ。

 

 
 


 この黒人とユダヤ人の対立には根深いものがある。最近話題になったものとしては、 反ユダヤ発言によってプロフェッサー・グリフがパブリック・エネミーを離れることになったこととか、スパイクの「モ'・ベター・ブルース」に登場するユダヤ人のジャズ・クラブ・オーナーの表現をめぐる論争とかがある。ユダヤ人のナット・ヘントフは、「ヴィレッジ・ヴォイス」で、 ジャズ・クラブのオーナー兄弟の描写について、ユダヤ人を守銭奴として戯画化するものだと痛烈に批判したあとで、思うにファラカーンなら、このへどが出そうなユダヤ人兄弟を見て楽しめることだろうという皮肉を忘れなかった。また、もっと新しいところでは、アフリカ系アメリカ人は、 ユダヤ人とイタリア人のマフィアが動かすハリウッド勢力によって映画界で徹底的に屈辱されているという意見をめぐって対立が表面化した。

 一方、今年の8月には、ブルックリンでユダヤ教会の長老を警護するクルマが赤信号を無視したことが原因で、黒人少年を轢き殺したことから、報復としてユダヤ人が刺殺されたり、黒人と警官の衝突が繰り返されるという事件も起こっている。

 ファラカンは、そうした対立の鍵を握っているともいえるわけだが、「ヴォイス」の表紙を飾ることになったのは、彼とネイション・オブ・イスラムが、80年代にはいってから、これまでの支持層であった都市の労働者層から離れ、中流に支持層を拡大しているという変化によるものだった。 労働者層の支持では勢力の拡大がのぞめないと考えたファラカンは、それまで力をのばしてきた黒人の中流が、レーガン政権以後の保守化政策で再び疎外される立場に追いやられていることに目を向け、"パワー・プログラム"なる黒人による経済的な自立政策を掲げた。 こうして中流の支持を拡大することになったファラカンだが、政策の実務面では、業績が芳しくないらしい。

 たとえば、数年前には、黒人の消費者向けにネイション・オブ・イスラムがペルーから魚を輸入するビジネスを始めたが、ファラカンは、商才のある人材ではなく幹部を中心に置き、業績が振るわなかったばかりか、利益もほとんどがあまり仕事をしない幹部にいってしまい、 ビジネス界における信用を失った。また、彼は、黒人を中心とした大学のキャンパスで引っ張りだこだが、講演の内容は、教義やアジテーションに終始し、黒人の未来に向けられた方策は何ら浮かび上がってこないという。

 にもかかわらず、彼が支持を集めることについては、次の三つの理由があげられている。学生の間にはびこり、生活を脅かすドラッグに対し、警察が手をこまねいているのに対し、ネイション・オブ・イスラムのメンバーたちは、進んで危険を請け負う。レーガンの世代が、露骨な差別をキャンパス内に復活させた。 最後に、ファラカンには、黒人の大学教授にはないパフォーマーとしての魅力があるということだ。そして、この長い長い記事は、ファラカンが結局のところ、政治的な指導者ではなく、あくまで、伝道者なのだということで結ばれている。この最後の意見がけっこう重要なのではないかと思う。

 そこで、プリンス・アキームのデビュー作である。そのジャケットでは、腕を組んだアキームが、古代バビロンの建造物の前に立ている。背後の崩れさろうとしている石の塔の突端からは、ジョン・ハンコック・センターが顔をだしているところをみると、 これは、アキームが活動の拠点とするシカゴの再生が暗示されているらしい。いかにも宗教的な絵柄である。

 最近の「フェイス」誌に、そのアキームと彼のアルバムをめぐる面白い記事が出ていた。ファラカンのお許しが出て、「フェイス」がネイション・オブ・イスラムのモスクに入れることになり、アキームが、ネイション・オブ・イスラムの機関紙ではなく、「フェイス」のインタビューに答えるという取材記事だ。

 この記事によれば、アルバムが録音されたシカゴ・トラックス・スタジオは、レイド・ハイムというユダヤ人と黒人と白人のハーフのクレイグ・ウィリアムズによって運営されている。そして、ファラカーンの息子たちが、レコーディングの進行状況を視察にきたときには、ユダヤ人のエンジニアがひどくイライラし始めたという。 また、このアルバムをリリースするシカゴ・チップ・レーベルは、ティリ・マルナクとデヴィッド・チャクラーというユダヤ人が経営している。

 デヴィッド・チャクラーは、プロフェッサー・グリフとも仕事をしている。そのことについてグリフは、「チャクラーは、オレよりもネイション・オブ・イスラムのことをよく知っている」と冗談混じりのコメントをしている。一方、ティリの方は、「彼らの論理はこの時勢が作らせたもので、 わたしは彼らの言うことをほとんど真に受けていない。ただ、黒人たちは、彼らの子供たちを養っていけるということは信じているわ」ということだ。驚きなのは、このアルバムがディズニーによってディストリビュートされているということだ。記事には、ディズニー自身は反ユダヤ、反ブラックだったが、いまや時代は変わったとある。 よいことのようでもあるが、ファラカンやネイション・オブ・イスラムの現状を考えると何か複雑な気持ちになる話である。

 そしてもうひとつ驚きなのは、このアキームのアルバムからのファースト・シングル<Swingin>のビデオのことだ。筆者はそれを見たことがないが、この記事を書いているデヴィッド・トゥープは、ビデオのバックの音楽に"ウイ・ラブ・ファラカン"というメッセージがミックスされているような気がして、 それをクレイグ・ウィリアムズに尋ねてみた。その回答は、確かに入っているが、サブリミナル戦術をもくろんだわけではないというものだった。

 ネイション・オブ・イスラムの青年部代表が作ったアルバムだからいたしかたないのかもしれないが、これでは、白人社会におけるテレビ伝道師とあまり変わりがないのではないだろうか(ちなみに、ファラカンの記事のなかで、ファラカンは、スキャンダルで後退したジミー・スワガートと対比されていた)。 同じことは、プロフェッサー・グリフの作品などにも感じることだ。グリフが、宗教、歴史などを常に学び、革命家を目指していることはよくわかるが、ひとつ間違えば、過激なメッセージによってブラザーに覚醒をうながすと同時に、イデオロギーとかドグマを植えつけることになるのではないだろうか。

 テレビ伝道師の場合には、ルー・リードやフランク・ザッパといったロック・ミュージシャンたちが批判を繰り返しているが、現在のラップ界は、純粋な宗教的理想と政治にかかわる宗教の境界がひどく曖昧であるように思う。

 「ラップのアルバムは黒人のためのCNNだ」というのはチャックDの言葉である。パブリック・エネミーは、新作「黙示録91」でも真実を伝えないメディアに対して痛烈な批判を加えているが、その一方では、ファラカンの言葉に耳を傾けろというメッセージも聞こえてくる。 そして、何よりも、チャックDとフレイヴァー・フレイヴはアキームのアルバムにも参加しているのだ。「黙示録91」というタイトルも多分に宗教的だが、このような宗教の教義から果たして本当に政治的に明るい未来が見えてくるのだろうか。


《関連リンク》
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『ドゥ・ザ・ライト・シング』レビュー ■
『ジャングル・フィーバー』レビュー ■
ルイス・ファラカンとスパイク・リー
――あるいは“ミリオン・マン・マーチ”と『ゲット・オン・ザ・バス』
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