ジョン・ゾーン・インタビュー

1990年3月 高円寺
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――モリコーネもオーネットも入っていて、文字通りの集大成という感じですね。

JZ ぼくの音楽はコレクションのようなものだから。いろんなところからパクってきて、新しい音楽を紡ぎだしていく。バロウズのカット・アップだよ。「スピレーン」の場合もぼくの音楽のひとつの集大成だったわけだけど、 あの場合はそれが1曲に凝縮されていた。今度の場合は、バンドのレパートリーがだいたい200曲あって、そのなかから20曲とか40曲とかを選んで、ステージ上でバンドがそれを演奏していくことによって、ひとつの大きな音楽へとまとめあげていくのが狙いなんだ。 (手元のカセット・テープ)を取り上げて)ぼくは外で聴くためにこういうテープを作っているんだけど、コロンビアのアコーディオン・ミュージック、ジャズ、シャンソン、ヘヴィメタル、 トニー・ベネットみたいに1曲1曲まったくスタイルの違う曲が入っていて、今度のバンドはそのライブ版のようなもので、まったくスタイルの違う曲をステージでひとつにまとめあげていくんだ。

――新作には映画音楽のカヴァーが何曲か挿入されているんだけど、みんなお気に入りの映画なの?全体にフィルム・ノワールっぽいトーンがあるよね。

JZ もちろん、お気に入りの映画、作曲家、曲だよ。たとえばジェームズ・ボンドのテーマ。ぼくは初期のボンド映画が大好きだった。それからゴダールの「軽蔑」の音楽も入っている。 あとモリコーネにヘンリー・マンシーニ。確かにこのアルバムを作るときには、スピレインとかフィルム・ノワールが頭にあったからそんなトーンがあるけど、現在のバンドの方向はもっとハードコアに向かっている。 このアルバムにも非常に短い曲にハードコアの要素はあるんだけど、次のアルバムは、50曲くらい入れるつもりだ。しかも、それを20分で演奏してしまう。

――オーネットの <ロンリー・ウーマン> がハードコアですね。

JZ  <ロンリー・ウーマン> の下に、ロイ・オービソンの <プリティ・ウーマン> のリフがもぐっているんだ。だから <プリティ・ロンリー・ウーマン> だね。この曲のアレンジとしては極端な方法だったけど、 「スパイVSスパイ」を聴いてもらえば、オーネットに対する解釈がわかってもらえるはずだ。彼はサックス奏者として知られているけど、根本的には作曲家だと思う。過小評価されているけど、 彼の曲では単純なフレーズから即興の可能性が無限に広がっていくんだ。

 

 

 
 
 


――コンピレーションの「ドライヴ・トゥ・ヘヴン」に収められたジョンの曲では、ブラインド・イディオット・ゴッドをフィーチャーしているけど、これなんかはジョンの日米英ハードコア・トライアングル構想の一端なわけだよね。

JZ まだトライアングルになっているわけじゃないけどね。4、5年前に彼らのことは何も知らなかったけど、いっしょにやってみないかという話があって、実際にやってみたら、3人とも本物のミュージシャンといえるような連中だったんだ。 このグループの3人はブルックリンだから、まあトライアングルではなくて、ぼくのNYコネクションということになるかな。でもハードコア・シーンには、ぼくと真剣に音楽の話ができるミュージシャンがけっこういるから、これから先、 ハードコア・トライアングルを確立していくつもりだ。

■■日本の映画、文化、そして社会■■

――ジョンは子供の頃から日本に関心があったということだけど、その頃の関心はどういうものだったんだろう。

JZ 小学校のクラスにはいろんな人種がいて、日本人の友だちもいたんだ。それからやっぱり映画が好きだったということだと思う。最初は黒沢明、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男とかを観て、6年前に日本に来るようになってから鈴木清順、 深作欣二、神代辰巳とか、ぼくにとって本当の日本映画といえるものに出会ってとても感動したんだ。

――古い日本映画に興味があるみたいだけど。

JZ そう。でも多くの作品がもう処分されてしまったりしているからね。これはぼくが日本に来るようになって驚かされたことなんだけど、日本人の情報の収集欲というのはものすごい。情報の収集にはふたつのやり方があると思うんだ。 ひとつは主体性を持って情報を集めて、勉強して、自分のなかにどんどん蓄積して、まとめていくというやり方。もうひとつは、単なる情報の交換なんだけど、日本の場合にはほとんどがこっちだ。ぼくにはこれは使い捨てのファッションにしか見えない。 たとえば、去年はエスニック・ミュージックだといったらみんながみんなエスニックを聴いている。で、今年はメタルだとかいうとみんながメタルに走るんだ。これは単なる情報の出し入れで何も残らない。企画をする一部の人間に踊らされているだけなんだ。 それをもっと自覚するべきだよ。蓄積はとてもいいことだけど、単なる出し入れは最悪だね。(部屋の壁に貼ってある古いピンク映画のポスターを指して)これらの映画がなぜみんな処分されてしまったんだい。タイトルだけでも興味を引かれるのに。 ぼくは古いピンク映画とかをアメリカで上映したいと思ったんだけど、もうプリントがないんだ。保存するスペースの問題とかもあるんだろうけど、どういう価値基準で処分されるのかというのは疑問だね。

――壁のポスターはどこで手に入れたの?

JZ 神保町の古書センターで探したんだ。いまじゃ顔なじみになって、ぼくが行くと店の奥からいろんなものを出してきてくれるよ。日本映画でぼくがちょっと残念に思うのは、宍戸錠だね。彼は日活のスター、日本を代表する超大スターだったんだ。 けどいったいいまは何をやってる?テレビのグルメ番組で美味しいものを食べてるだけだ。あんなことをやっていて、誰が幸せになれるんだい、まったく。あれだけの才能を持っていながら、こんなことになっているのは、ぼくには残念でならない。 これも情報を蓄積するのか交換するのかの選択を誤ってる結果なんだよ。宍戸錠は日活のスターのなかでも、自分のまわりで何が起こっているのかを一番正確に把握していた人だったんだ。たとえば、小林旭とかは、 自分の立場とかキャラクターを何の疑いもなく信じきっていた人だと思う。でも宍戸錠は、のめり込むことがなくすべてがゲームだということを醒めた目で見ていた人なんだ。そして、そのことを一番最初に確信して、実行しようとしたのが、 鈴木清順ではないかと思うんだけど。宍戸錠が使い捨てになってしまったのは、もしかしたら彼がグローバルな視野を持っていて、どこでもやっていけるようなタイプだったからかもしれないね。

――東京とNYの往復生活をしているわけだけど、NYにない東京の魅力と、逆にどうしようもなく腹の立つことというのは?

JZ 東京は食べ物も美味しいし、ぼくがパクって自分のものにしていくための様々なスタイルの音楽や情報がある。しかし、生活するとなるとどうしようもなく住みにくいんだ。 外国からきて生活している人間を受け入れていくという経験が未熟なせいかもしれないけど、ほんとにひどい。こう言うとすぐに、日本は島国だからという言い訳が必ず出てくる。しかしイギリスも島国だし、マンハッタンだって島なんだ。 人種問題というのはどこの国にもあるものだし、ぼくはユダヤ系で、向こうでもそういう経験がないわけじゃないんだけど、日本の場合にはちょっと違っていて、もっと深刻なんだ。?ガイジン?という不快な言葉を聞くと本当に頭にくる。 この言葉は人間を向こうとこちらに分ける象徴なんだ。ぼくがこっちに来るようになってから6年になるけど、その間にどんどん保守化が進んで、まるでファシズムが台頭しているように感じる、30年代のドイツみたいに。

ここでは本当に基本的な人権といえるようなものが無視されている。ぼくは自分の世代に問題があるのかと思って、もっと若いミュージシャンたちにこの問題を説明したんだが、ガイジンはガイジンなんだからいいじゃないの、 みたいな答が返ってくる。そういう問題が存在することすら考えていない。洗脳がとても深いところまで進んでいるんだ。ニューヨークで黒人の前に行って、ニガーって言ったら、殴られるが撃たれるがするだろうけど、 ここではそんな最低限の相互理解が欠けているんだ。いっしょにプレイするミュージシャンが、ステージから観客に向かって、サックスを吹く?変なガイジン?みたいに紹介したりもするんだからね。それから取材を受けても、 歌謡曲や日本映画が好きな変なガイジンみたいに扱われて、洗脳の材料にされることが頻繁にあるんだ。それに日本のテレビも差別だらけで、とても見ていられない。

だから、ぼくも含めていまこっちに住んでいる人間が、アメリカ人も韓国人も中国人もみんなで、ガイジンと言って何が悪いと思っている問題意識すらない人々にはっきりと問題を提示しなければいけないんだ。 ぼくたちの世代からは、そうしていかなければいけない責任があるんだ。

■■エッジがあるハードコアとラップ■■

――ところで、ラップのムーヴメントについてはどう思いますか?

JZ いまは発展もしているし、非常に面白いと思う。ぼくはディスコのDJがしゃべったり、スクラッチを始めたばかりの未熟な時期からよく知っているけど、いまはそこにどんどんいろんな要素を盛り込むようになって、 スタイルができあがってきて、シーン全体が面白いと思う。特にエリック・B&ラキム。それにクール・モー・ディーもほんとうに素晴らしいし、パブリック・エネミーも。ヤングMCとかは、ユーモアがあっていいんだけど、 これから何十年も残っていくようなものを作っているのは、エリック・Bとかクール・モー・ディーだね。

――クール・モー・ディーは最高ですね。

JZ ぼくはエリック・Bの方が深いと思うけどね。それからクールJは、ラッパーからだんだんビジネスマンになってしまったようで、ちょっとファンを利用しているような気がする。まあ、それぞれの時代に音楽のエネルギーの流れがあって、 60年代にはジャズが最高潮にあったけど、今はもう死んでしまっている。アフター・ファイブのOLがファッション雑誌を持って聴きにいくものが、生命のあるジャズのはずがない。いまはハードコアやラップのシーンが盛り上がっている。 50年代後半にジャズというのは前衛的な音楽で、評論家とか勉強したり考えたりする人間が聴きにいっていたんだ。たとえば、ソニー・ロリンズが57年にヴィレッジ・ヴァンガードで演奏したとき、観客は1音でも聴き逃すまいという緊張感で接していた。 今、デイヴィッド・マレイの演奏を誰がそんなふうに聴いているだろう。しかしラップのライブに行ったら、みんな言葉ひとつでも聴き逃すまいとして聴いているよ。音楽が最高潮にあるときは、ものすごくエッジがあるんだ。

――最後にこれからの企画は?

JZ 日本でぼくがいっしょに仕事をしているミュージシャンたちを集めて、「死者」というバタイユの舞台劇をやろうと思っている。3人の登場人物で、サディズムや暴力を盛り込んだ40くらいの短いエピソードを積み重ねたような劇だ。 もしかしたら、ガイラ(小水一男)に演出を頼むことになるかもしれない。スプラッター・エロスの世界だね。

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