新しい郊外の現実

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(初出:東京書籍刊「サバービアの憂鬱」、1993年)
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 アメリカ人が好むあの芝生のある一戸建ての住宅。これが一般的なものとなったのは、激しい勢いで郊外化が進んだ50年代のことだが、サバービアそのもののルーツはだいぶ昔にさかのぼる。アメリカの住宅に関する研究書などを読むと、ひと口に一戸建てといっても様々な様式に分かれ、時代によって流行などが変化していることがわかるが、本書は建築様式がテーマではないので、ここでは基本のなかの基本と思える要素をふたつだけ取りあげておく。

 ひとつは、イギリスからアメリカに渡った初期の移民が、新天地に本国にあった荘園の邸宅とか別荘のイメージを植え付けたということ。もうひとつは、人々がフロンティア・スピリットに駆り立てられた開拓時代の土地の所有や生活が、一戸建ての独立した住宅に結びつき、アメリカン・ドリームの一端を担っているということである。郊外を舞台にした小説などを読んでいると、植民地風とかランチ・スタイルの家という表現によく出くわすが、それはこうした背景からきているわけだ。

 アメリカでサバービアが本格的に成立するようになったのは、デイヴィッド・リースマンの『何のための豊かさ』によれば、19世紀の初めからということになる。具体的にはその時期に、アメリカにおいて都市化と工業化が急激に進んだこと、またその一方で、新しい移民がアメリカに流入してきたことから、旧アメリカ人が、古きよき時代の田園が消滅しつつあるという危機感を抱くようになった。そこで、田舎に小さな土地を持ち、そこに自分の家を持ちたいという欲望は、イギリス的な荘園の邸宅や別荘のイメージを引き継ぐと同時に、アメリカのイメージを再び求めることにもなったということだ。

 都市の状況ということでいえば、それから時代が進んで1920年代にヨーロッパからの移民が中断されると、今度は南部から、貧しい白人や黒人、ヒスパニック系の人々が北部の諸都市に流れ込むようになり、だんだんと都市の荒廃が進み、多くの白人が郊外に移住するようになったという。

 50年代以前の郊外の住宅は、こうしてみるとあくまで都市に対する相対的な価値観や懐古的な感情を反映したものとして、都市の周縁に散在していたような印象を受ける。もちろん50年代以降の郊外化の波でも、そうした価値観や感情はひとつの要因になってはいるが、さらに政治、経済、技術の進歩など様々な要素と結びついて、そのかたちを整えはじめ、ライフ・スタイルや人間関係など郊外独自の発展を遂げていくことになる。

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 あるいは、フロンティアという観点からいえば、かつて人々は東から西へ西へと進み、西海岸に到達してフロンティアが消失すると、今度は都市化によって上へ上へと向かった。そして50年代に人々の欲望は、摩天楼の遥か彼方にある宇宙へと向かいつつあったが、現実的な視点に立てば、郊外に新しいフロンティアを見出していたともいえる。新しい郊外には、もちろん消え去る田園を求める気持ちを満たすような緑もあったが、もう一方でそこは、明らかにテクノロジーに支えられた人工の楽園でもあった。第1章で引用したオードリーの歌に出てくるような電化製品から、緑あふれる自然やスカイラインを際立たせるために地下に埋設されたケーブル、あるいはクルマにハイウェイなど、この人工の楽園は、快適な生活を目指して都市からさらに進化した空間ということになる。そうした意味では、フロンティアのベクトルは、現実的には都市から郊外へと向かっていたわけだ。

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 一戸建てやサバービアのルーツを含めた前置きはこのくらいにして、いよいよ50年代に始まる新しい郊外の現実を探っていくことにしよう。

 その手順としては、まず新しい郊外について全般的な流れを展望し、それから具体的にある特定の郊外の町に関する文献/資料を取りあげて、その内側を覗いてみることにする。

 それではまず全体的な展望である。ここで参考にしているのは、アメリカの中流階級にとって成功とは何かを探るローレン・バリッツの『The Good Life』である。この展望には、戦後の郊外化を具体的に示す数字が出てくるが、それを目にするといかに激しい勢いで郊外化が進行していったのかよくわかることだろう。

 この郊外化を理解するためには、戦後の状況を把握しておく必要がある。戦後に続々と戦地から引き上げてきた兵士や、戦時に軍の工場労働者として駆りだされていた人々が、新たな生活を始めるにあたって、まず問題になったのは、住宅が圧倒的に不足しているということだ。その上、後にベビー・ブーマーと呼ばれる世代を生むことになる爆発的な出産ラッシュが追い打ちをかけることになった。そのために新たに両親となった人々は、苦しい生活を強いられていた。1947年の時点では、こうした事情のために600万戸の家族が親戚といっしょに暮らし、50万戸の家族が兵舎や廃車になった電車、倉庫といった仮の宿に暮らさざるをえなかったという。しかし、そうした生活を送る人々の大多数は、いつでも新しい郊外住宅に入居する余裕があった。というのも仕事はたくさんあり、復員軍人への有利な貸付が、中流の家庭の数を大きく増やしていたからだ。

 連邦政府はその財源を住宅政策に注ぎ込んだ。ニューディール政策で誕生した連邦住宅局(FHA)や戦後の在郷軍人局(VA)といった連邦政府の機関が、家を持つための資金を積極的に貸し出すことによって、自分の家を所有することは、膨張する中流の人々にとって実現が可能なアメリカン・ドリームへと変貌していく。家を購入するのに必要な頭金は、ニューディール以前の50〜67%から10%にまで引き下げられ、返済の期限も10年から30年に引き延ばされた。これだけ買い手にとって有利になれば、人々が郊外の一戸建てに群がるのも頷けることだろう。

 こうなると都会でアパートを借りて暮らすよりも、郊外の一戸建てを所有する方が安くつくことも珍しいことではなくなってくる。たとえば、当時ニューヨークのアパートを毎月50ドルで借りていたあるカップルは、毎月29ドルの支払でニュージャージーの郊外に家を購入することができたという。こうして労働者が郊外に転居することも難しいことではなくなり、郊外の一戸建てはアメリカ人が暮らす住宅の主流として定着していく。

 この時代のアメリカ人のライフ・スタイルの急激な変化は、数字が明確に物語っている。1955年までには、なんと一日平均4000戸の家族が都市を離れ、郊外へと転居するまでになった。その郊外には、すでに全国民の25%が暮らしていた。そして50年代末までには、国民全体の三分の一にあたる人々が郊外居住者となり、その多くは1900万戸の住宅、ほとんどが戦後に建造された植民地風かあるいはランチ・スタイルの住宅に入居したのだった。

 これはもうアメリカ人の大移動といっても大袈裟ではないだろう。郊外がどうしてこれほど人々を惹きつけることになったのか。その背景をもう少し細かく検証してみよう。

 現実的な生活ということからいえば、やはり出産ラッシュという要因が大きい。都市は人口の増加によっていっそう過密化し、生活費も高くつくうえに、危険が多く、人種問題も激化している。子供が生まれ、生活にも余裕ができた人々は、そんな住みにくい場所から離れることを考えることだろう。そこで中流の人々の目標は、同じ理想を持った人々とともに、都市から独立した快適な生活を送ることになっていく。郊外化はまず何よりも、子供たちを育てるうえで望ましい環境、新しく清潔で、緑にあふれたコミュニティという展望のうえに成り立っていた。

 また現実的な生活からくる要因以外に、政治的な状況からくる精神的な要因も大きいといえる。戦後のアメリカ人は、外部からの侵略といった感覚にひどく敏感になっていた。たとえば、反共ヒステリーを引き起こしたマッカーシズムが、当時の侵略もののSF映画にまで反映され、核爆弾の脅威が学校の授業に盛り込まれ、一般の人々のなかでは、政治からの大規模な逃避が進んでいた。50年代には人々にとって最も重要な目標は、仕事と家を確保することになり、この時代の教育の目標は、いかに危険を避け、安全を手にするかということにあった。当時の郊外を舞台にした小説では、芝生の庭に穴を掘って核シェルターを作るといったエピソードを目にすることもそれほど珍しいことではない。

 そしてもうひとつ精神的な要因をあげるならば、それは前の章のオードリーの歌とイメージにも満ちあふれていた新しさということだろう。新しさは、伝統的にアメリカの特に若い世代にアピールする魅力を備えている。家、クルマ、電化製品、生活、そして人間関係まで、すべてが最初から始められる。すべてが新しいということは、戦後の核家族を大いに惹きつけることになった。

 こうした要因が結びつくことによって、郊外の発展は爆発的なものとなった。1944年には新たに建造された住宅の戸数が10万戸にとどまっていたのに対し、その2年後にはほとんど100万戸近くまではねあがる。その後も記録は伸びつづけ、1950年には170万戸に達した。その後の20年間で、郊外の人口は3600万人から7400万人に倍増し、初めて郊外に暮らす市民の数が、都市あるいは農村部のそれを上回った。こうして郊外の生活が、“アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ”に、郊外の新しい家族が、“アメリカン・ファミリー”として定着していく。

 日本では一般的には、一度購入したマイホームは家族が一生暮らす場所ということになるが、50年代のアメリカの郊外化の場合には、家族がおいそれと根を下ろしてしまうことはない。都市の伝統的なライフ・スタイルや楽しみから解放された中流の郊外居住者たちは、それと同時に、場所に定着するという考え方からも解放されていく。というのも郊外には根を下ろすほどの歴史的な地盤が欠落しているからだ。そこで、これまで受け継がれてきた家族の習慣とか、馴れ親しんだ都市の眺めや喧騒からひとたび生活を切り離してしばえば、定着することよりも自由に移動することが新しい刺激になる。

 ある郊外の町が暮らすのに快適な場所であったならば、別の町もまた同じように快適なはずだということだ。歴史や伝統といったものが欠落した郊外の生活は、移動を容易なものとし、しかもアメリカ人の属性ともいえる移動願望と結びつくことによって、定住よりも移動と密接な関係を持つようになる。あるデータによれば、平均的な郊外居住者は、3年に1回の割で転居するという。都市からの最初の脱出は、2度目の移動をより楽なものにするという結果を導くのだ。そして特に若い中流層は積極的に移動し、なかでも教育水準が高ければ高いほど、移動の頻度も高くなっているという。

 一方、過去という要素が欠落した郊外の生活は、当然のことながら現在への依存の度合いを強める。伝統的な楯のつながりよりも、いま目の前にある横のつながりがいっそう重要なものになるわけだ、そこから新しいコミュニティが形成され、コミュニティ精神が発展していくのである。

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 そうした郊外のコミュニティの実態を明らかにするために、今度は具体的に特定の郊外の町を対象にした文献/資料をひもといてみることにしよう。

 郊外化をめぐってこれほど急激な変化があっただけに、アメリカではすでに50年代から、アカデミックな分野で郊外の住宅やライフ・スタイルに関する研究が始まっている。ウィリアム・H・ホワイトの『組織のなかの人間』には、当時の郊外で実際に調査を行った結果が盛り込まれ、初期の研究書として興味深い。

 『組織のなかの人間』では、ホワイトが“オーガニゼーション・マン”と呼ぶ人々の価値観を通して、アメリカ社会の変貌が浮き彫りにされる。オーガニゼーション・マンというのは、「組織の生活に忠誠を誓って、精神的にも肉体的にも、家郷を見捨てたわが中産階級の人々」である。

もう少し詳しく説明すると、戦後の経済的な発展によって中流層が膨張すると同時に、企業が全国レベルで組織化されていくようになった。そこでアメリカ社会は、家庭の結びつきや地域社会の縁故よりも学歴がものをいう世界へと変化し、組織に順応するホワイトカラーが増大していく。彼らは故郷を捨て、組織に命じられるままに積極的に移動していくというわけだ。このオーガニゼーション・マンがどうして郊外と結びつくのかといえば、彼らの多くが暮らし、彼らの価値観が明確なかたちで反映されているのが、新しい郊外住宅地であるからだ。==> 2ページへ続く

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